2018年の10月の記事の中・・・
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だが・・
どこかで、危惧があった。
ある程度の観光整備は良いと思うが
観光に依存しきってしまったら、
街が売り物になってしまう・・
うまくいえないな・・・
漠然とおもっていたことだったが
今回の地震頻発でそこが、判った気がする。
確かに、観光でなりたつのは良いが
成り立たない事態になったとき、
復興すればよい・・けど
何度も被害が起きたら
観光というものが、砂上の楼閣のようにもろいものではなかろうか?
なにか、それに依存しきらないでおける「町つくり」も
考えていかなきゃならないのだろう・・・
そんな気がしていた。
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何度も被害が起きたら、という被害想定に
コロナ禍は無かった。
だが、今をみてみると、
確かに、観光でなりたつのは良いが
成り立たない事態になったとき
が、そこらじゅうで起きたし
感染源となったのが
観光地(人が多く集まりやすい)を抱える都道府県だった。
近隣でいえば
岡山と聞けば、倉敷や後楽園 岡山城
と、うかび、(そこからの感染が出なくても)
観光地があるからなあ。と、思う。
交通網による、人の流れも多いだろうし・・・
(単に岡山の方が近いと言うだけで、岡山をたとえにしたが)
どこでも、観光地・観光名所等はある。
前述の北海道、3年前に行った時は・・・外国に行ったかと思うほど
外国人であふれかえっていた。
そこでの、賑わいも、今は、嘘のように失くなっているだろうとは思うが・・・
観光というものが、砂上の楼閣のようにもろいものではなかろうか?
と、いうくらいの「もろさ」では無かったとも思う。
過去、鎖国を敷いた日本の強靭さが思い浮かぶ。
観光(交通網)がもろ刃の剣になるということも思う。
文化・文明が隆盛を極めたとき
その繁茂は崩れ去る。
歴史の中で繰り返されたことが
そのまま、巻き返し起きて来ることを
まのあたりにすることなるのだろうか?
なんともいえぬ暗澹とした気持ちになるが
そこからの、立て直しも必要なのだと思う。
時代が行き詰まっているのを
こんな形で知らされることになるとはおもってもみなかったが
逆に、
生き延びる方向性を見出すチャンスになるんだとも思う。
やっと、パンドラの箱をあけてしまったことに気が付いている今だと思う。
ここで、生き延びなきゃ
「希望」が箱から飛び出してくるのも、見れない。
生き延びるための覚悟をいかにはやくもつかが、突破口なのかもしれない。
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