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7分で終わる日食に、国をあげて祈る必要があるのか(桃山堂)(再掲載4)

2023年10月13日 | 歴婆の勝手な解釈

https://www.hon-momoyamado.com/2016/04/05/スサノオが火山ならば-太陽を隠すことができたかもしれない/

*代理も天照大神の岩戸隠れは、皆既日食だという考え方をしていた。

よって、237年あたりの皆既日食がどうも、天の岩戸隠れに比類するのではないかと思っていた。

だが、この本の解説?書評として発表されている桃山堂さんの洞察は

「あっ」

と、目から鱗・・・・

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このブログはワノフスキーの応援団なのであえて書きますが、日食が、「永遠の夜」の神話を生じるということがありうるでしょうか。日蝕はたしかに珍しい現象でしょうが、月の陰に太陽が完全に隠れてしまう皆既日食の継続時間は最大で七分三十一秒(理論値)で、たいがいの日食は数分で終わるものです。

アレ、変だなとおもっているうちに終わってしまうのですから、太陽の復活を祈るタイミングなどありません。実質的な被害はゼロで、国をあげて、神々や人々が祈るほどの問題であるとはおもえません。

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確かに、その通りだ。

よ~~く考えてみれば、皆既日食で岩戸隠れは不可能だ。

急遽、フルスピードであめのうずめがおどりまくったとしても

たぢからお が岩戸の前で構えているうちに

お日様は復活する。

 

う~~む。

あまりにも感心(あるいは、代理のスカポン頭に感心)したので、

書評?をいただいてきてしまった。

*********

7分で終わる日食に、国をあげて祈る必要があるのか(桃山堂)

寺田寅彦やワノフスキーが主張した「岩戸隠れ火山説」が、学界はもちろん、一般読書人の支持をあつめることができなかった理由は何でしょう?

 

日食説を主張したなかには、民族学、比較神話学の大家、大林太良がいました。冬至説については、折口信夫の有名な論考があります。いずれも学界の枠を超えた知名度と影響力をもつビッグネームです。

それに対し、寺田寅彦は物理学者、随筆家としては有名であったとしても、古事記神話の専門家ではありません。ワノフスキーは革命家くずれの早稲田大学ロシア語教師で、古事記についてはやはり素人です。古事記研究、神話研究の「プロ」から相手にされなくても致し方ないかもしれません。

 

しかし、それよりももっと大きな原因は、学界の専門家も一般の人も、火山噴火のほんとうのすさまじさ──太陽を隠してしまうほどの巨大な噴火が過去に起き、人類の歴史そのものを変容させている事実を知らなかったからではないでしょうか。

 

ある火山研究者が書いていましたが、火山の噴火がどのようなもので、どのような被害を生じるかということが、日本人共通の知識になったのは、1986年の伊豆大島・三原山の噴火だったそうです。カラーテレビによってリアルタイムで大きな噴火が中継された最初のケースであったからです。主火口でないところにできた割れ目から、巨大な噴水のように火柱を噴き上げる光景が、カラー画像としてテレビで流れ、全島民が島から避難するにいたる状況も実況中継されました。1991年の雲仙で生じた火砕流では、多くの人命が失われました。火山から出る熱い雲のような奔流のすさまじさを、やはりテレビをとおして多くの人は目撃しました。

 

情報技術はまたたくまに進歩し、いまでは、三原山の噴火や雲仙の火砕流を、インターネットをとおして動画で見ることができます。日本は火山列島だといっても、ほとんどの日本人にとって、実感の乏しいものだったはずです。火山学者でありながら、ほんとうの噴火を見ることなく研究生活を終えるという人がふた昔まえの日本にはいたそうです。火山列島のリアルな現実が共有されるようになったのはつい最近のことで、私たちはその最初の世代といえるのではないでしょうか。

 

書店や図書館に並ぶ本、雑誌で、火山と古事記神話のむすびつきが論じられることはまだ珍しいことのようですが、インターネット上ではすこし違った状況が生じているようです。たとえば、ネット百科辞典ウィキペディアには「天岩戸」という項目があって、その解釈として以下の記述があります。

 

天照大神が天岩戸に隠れて世の中が闇になる話は、火山の噴火によって火山灰が空を覆い、太陽の光が届かなくなる現象を表すという説がある[6]。 また、日食を表すという解釈と、冬至を過ぎて弱まった太陽が力を取り戻すことを表すとする解釈がある[7]。日食神話、冬至神話とも世界各地にみられる

 

[6] 記紀の太陽神である天照大神が隠れ、世界が真っ暗になった天岩戸をBC5300年の鬼界カルデラ大噴火の火山灰の雲と考える説がある。一万に一回の大噴火で日本全土はほぼ火山灰に覆われ長期にわたり太陽光が失われた。幸屋降下軽石(K-KyP):体積は約20km3。幸屋火砕流(K-Ky):竹島火砕流とも呼ばれる。体積は約50km3。鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah):体積は約100km3。なお天孫降臨の地の高千穂からは鹿児島湾や鬼界カルデラを目視できる。この説では日本の太陽信仰(天照大御神信仰)は鬼界カルデラ大噴火に起因すると考える。

 

ご存じの方がいれば教えてほしいのですが、ウィキペディアには、いつから、岩戸神話の「火山説」が出ているのでしょうか。「日本の太陽信仰(天照大御神信仰)は鬼界カルデラ大噴火に起因する」という驚くべき説は、誰が、どこで書き、あるいは述べていることなのでしょうか。

 

古事記は、スサノオの暴虐に怒ったアマテラスが岩屋に隠れてしまい、高天原も葦原中国も夜が続き、「万(よろず)の妖(わざわ)い、ことごとく、おこりき」としるしています。「常夜」つまり永遠の夜だというのです。まるで世界がそのまま終わってしまうかのように神々は心配して、さまざまな策を講じるのです。

 

このブログはワノフスキーの応援団なのであえて書きますが、日食が、「永遠の夜」の神話を生じるということがありうるでしょうか。日蝕はたしかに珍しい現象でしょうが、月の陰に太陽が完全に隠れてしまう皆既日食の継続時間は最大で七分三十一秒(理論値)で、たいがいの日食は数分で終わるものです。

 

アレ、変だなとおもっているうちに終わってしまうのですから、太陽の復活を祈るタイミングなどありません。実質的な被害はゼロで、国をあげて、神々や人々が祈るほどの問題であるとはおもえません。

冬至の祭というものは、たしかに世界各地にあるのでしょうが、古代人がどんなにボンヤリとしていたとしても、冬が終われば春が来るという季節の循環は知っていたはずです。それを承知したうえでの年中行事としての冬至祭ならわかりますが、それは神々が勢ぞろいして、太陽の再生のために力と知恵を尽くす「岩戸神話」とは違うのではないでしょうか。

 

そもそも、一部の日本海側のエリアを除けば、日本列島の冬は雨が少なく、クッキリとした輪郭の太陽をおがめる日が多いものです。太陽を永遠に隠してしまう恐るべき力が、日本の冬にあるとはおもえません。

 

クリスマスのお祝いが十二月であるのは、イエス・キリストの誕生日という史実というより、冬至の祭という性格がつよいそうですが、サンタさんの出身は北欧です。太陽の光の乏しい北欧であるからこそ、冬至の祭に対する切実な気持ちがあったのではないでしょうか。

 

「火山の冬」を記録した世界最古の文献──かも?

 

寺田寅彦、ワノフスキーにとって追い風なのは、火山の巨大な噴火によって、「火山の冬(volcanic winter)」といわれる地球規模の寒冷化が生じていることが、近年の研究(気象の観測や地質学的な調査)によってわかってきたことです。噴煙が成層圏に達するような超巨大噴火が起きると、大気中を漂う火山性の微粒子は数週間で姿を消しますが、微粒子は二、三年におよんで滞留して太陽光を遮断し、同緯度の広いエリアに平均気温の低下をもたらすというのです。

 

ウィキペディアの「天岩戸」で書かれている七千年まえの「鬼界カルデラ」の噴火は、鹿児島県の南方の沖合で生じた超巨大噴火、いわゆる破局噴火です。九州の南半分を火砕流で破壊し、埋め尽くし、少なからぬ縄文人の命が奪われたことが考古学の研究によって判明しています。このときの火山灰は東北、北海道でも確認されており、日本列島を覆うおそるべき噴火であったことがわかります。 

 

歴史上はっきりしているのは、インドネシアのタンボラ火山の超巨大噴火により、世界的な低温現象が生じたことで、一八一六年は北半球で夏に雪が降った「夏のない年」(year without summer)として記録されています。一七八三年、アイスランドのラキ火山で巨大な噴火が起きたあと、世界各地の農業に深刻な被害が生じ、食糧不足がフランス革命(一七八九年)の誘引となったという見解もあります。江戸時代の飢饉のなかで、最も深刻な事態を招いた天明の飢饉の時期とも重なっています。(『歴史を変えた火山噴火』石弘之)

 

「火山の冬」は近代、近世の社会において、深刻な社会不安をよびおこしています。長期間の太陽光線の遮断は、食糧事情の悪化に直結するからですが、人間社会の基盤が比べものにならないほど脆弱であった古代、さらには縄文時代、旧石器時代においてはより大きなダメージをもたらしたにちがいありません。

 

「火山の冬」は、古事記神話に描かれた「永遠の夜」によく似ています。

 

古事記神話の主要な舞台である日向(九州南部)が火山の王国であることが、このことと無縁であるとはおもえません。

 

鬼界カルデラの超巨大噴火が「火山の冬」を招いたことを実証する研究はまだないようです。しかし、噴火の規模としては、「火山の冬」とむすびつけられているタンボラ火山、ラキ火山の噴火よりもはるかに巨大スケールであり、何年にもおよぶ「火山の冬」が日本列島をつつんだ可能性があります。

 

古事記は「火山の冬」を記録した世界最古の文献かもしれません。 

 

もし、そうであるならば古事記は、紀元前の「火山の冬」という人類的な記憶の保存庫として、世界遺産的価値をもつ──なんてことを書けるのも、インターネット上の気軽さゆえですが、本当にそうなのではという気がしないでもありません。

 

本の宣伝ブログであるのをいいことに、オーバーなことを書きすぎです。文字通りの誇大広告で、失礼しました。 

 (桃山堂)


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