憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

本当の宇気比(誓約)は、気比神宮でおこなわれた?  歴史の中の経緯・62

2023年10月30日 | 歴史の中の「経緯」

素戔嗚と天照の誓約ののち、

天照が三姫神を沖の島にいくようにと・・・

沖の島がかなりの「重要ポイント」であったのは、

いうまでもないことなのであるが・・・・

*********

物書きの視点でいうとき、

起承転結はむろんであるが、

書きたい中心点というのは、

全体の1/100ページもあるかどうか・・

なのだけど、

中心点を書いていきたいと思っても

いろんな設定が必要になってくる。

いきなり、主題(中心点)をもってきても、

読み手はむろん、書き手本人すら、納得できない。

 

すると、およその人物、キャラクター造りとなってきて

事こまごまの設定、構成が必要になってくる。

 

簡単にいってしまえば

風が吹けば桶屋が儲かる。

と、いうことを書きたいのだが

これだけでは、だれも納得しない。

すると、

風が吹く。→砂埃が舞う。→通行人の目に砂埃がはいる。→目が見えなくなる。

→芸事で暮らしをたてることになる。→三味線が必要になる。→三味線の皮になる猫を捕る。

→猫が居なくなる。→猫がいなくなったのでネズミがいっぱい出てくる。→ネズミが桶をかじる。

→桶屋に桶の注文がはいる

正しい筋書きといえるかどうかはおいといてwww

 

じつは、このようなかんじで、記紀もできあがってきたのではないかと思い始めた。

 

極端すぎるかもしれないが

元々、素戔嗚のものだった沖の島を天照のものにかえたマジック(説明)と言ってよいか。

 

天照が沖ノ島を搾取した。

と、いう話の中に

天照→素戔嗚という豪族がいた。→素戔嗚が沖ノ島を本拠地にして、かなり多くの地域を統括していた。→後から、でてきた高天原族(のちのヤマト朝廷)が、搾取したが、そのままかくと、搾取になる。素戔嗚を追いやったとなっては、人心の恨みを買う。→大義名分が必要になる。→敵対していたわけでない関係として、素戔嗚を弟にする。→素戔嗚は、傍若無人のふるまいを行う→よって、高天原追放となり、国津神となる。(もともと、国津神ー地方豪族(全国的規模の地方というべきかもしれない)→そして、誓約の話になる。→おそらく、元々、祀られていた海の女神?航海の女神・・を、さも、天照のものとするように話を作る。

*****

スサノオはアマテラスの疑いを解くために、宇気比(誓約)をしようといった。二神は天の安河を挟んで誓約を行った。まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。

この三姉妹の女神は、アマテラスの神勅により海北道中(玄界灘)に降臨し、宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮、それぞれに祀られている

*******

古事記では天照大神(アマテラス)は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神は建速須佐之男命(スサノヲ)の物から生まれたから彼の子だと宣言した。建速須佐之男命は自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、天照大神は彼を許した。

日本書紀第一と第三の一書では男神なら勝ちとし、物実を交換せずに子を生んでいる。すなわち、天照大神は十拳剣から女神を生み、素戔嗚尊(スサノヲ)は自分の勾玉から男神を生んで彼が勝ったとする(第三の一書で、素戔嗚尊は六柱の男神を生んでいる)。第二の一書では、男神なら勝ちとしている他は『古事記』と同じだが、どちらをどちらの子としたかは記載がない。古事記と同様に物実の持ち主の子とするならば天照大神の勝ちとなる。第七段一書(三)では、筋立てが他とは異なり、思兼神が登場しない点が大きな特徴である。

また、日本全国にある天真名井神社、八王子神社などでは、宗像三女神と、王子五柱の男神を五男三女神として祀る。

********

ようは、天照が沖の島(他、)の統治権を得た。

と、いう話なのだろうが、

このような「経緯」をだしてこなければならないほど、

素戔嗚の支配?圏は、かなり大きく

八岐大蛇退治、製鉄(たたら)の基礎になる治水、整備など

民衆のために動いてきたという功績があったと思われる。

この素戔嗚から、統治権を奪う(あるいは、素戔嗚の惨殺)などを

やってしまったら、

まさに、「卑弥呼の鬼道」になってしまう。

人心をまどわすどころか、

不信と遺恨をかってしまっては

ヤマト朝廷の存続にかかわる。と、いうことで、

記紀作者は壮大なストーリーを作り上げたのだと思える。

******

一方で

イザサワケの進言ではないかと書いたのも、

ひとつに、多くの入鹿の鼻がつぶれまくっていたという記述にもよる。

馬の鼻を向ける・・と、いえば、

進むべき方向を指す。

それと同じように、入鹿の鼻がつぶれていた。

それは、

進むべき方向が間違っている。と、いう暗示でもあったと思える。

********

やはり、本当の?宇気比は、気比神宮でおこなわれたと思われる。

魏書に邪馬台国と狗奴国という表記があるが、

いずれにせよ

志賀島の金印 漢委奴國王にしろ、

奴・・なのだ。

奴隷・・の奴

委は、

自分ではしないで、他人にまかせる。

率直に読むと、

漢は自分で統治せず、奴を(に?)任せた国

率直に、読むと、いやがらせ のような印字である。

仮に漢を漢(おとこ)とよむと、

漢(男)は、なにもせず、奴に任せている。

卑弥呼という「奴」にまかせている。

と、言う風にも取れる。

******

どういうわけか、日本を侮りたがる。

その風潮はいまだに、変わらないようだが・・・

******

侮った話をまともに信じる気にはなれないのだが、

どうも、このあたりの歴史が、

残っていないせいで、

藁にもすがる気持ちで「資料」にしてしまうところがあるのだと思う。

だが、地方に残る地名など、大きな資料になっていると思える。

昨今、住所表記がかわり、本来、なぜ、その名前(元の名前)がつけられたのかも

判らないまま、新しい地名に変わってしまう。

*******

だけど、なぜ、こんなことを、かきはじめたのかという

原点を考えると、

やはり、饒速日。

なぜ、彼だけが、天磐船にのっていたのだろう?

天照も天鳥船をあやつっていたが、

こちらは、「すでに神」という位置にいて、

どこか、神さまだから、なんでもありだ。という感覚になる。

だが、饒速日は人間として描かれている。

 

目下のところ、ウガヤフキアエズ王朝の饒速日という考えでいるが、

実のところ、

それよりも前、古代天皇として存在していたのではないかという思いがある。

 

それは、また、大本の話にもよる。

*********

何年か、前。

もう、12年以上たつだろうか。

そのころに、漠然と考えていたことがある。

今頃は、いろいろと、「発見」やら「公開」が進んできて

漠然と思っていた事々が、

ちゃんと?証拠を持つようになってきている。

 

その漠然と思っていたこと。

いくつかあるが、

ピラミッドは、日本が発祥である。

稲の栽培も日本が最初。

日本には、ちゃんと文字があったし、漢字もあった。世界の文字は、日本が、起源。

日本は、地球の中心。要。

他・・・いろいろと・・・www

12年前にこんなことを言い出せば、

「おまえは、あほか」と、いわれるか、

「根拠を述べよ」と、たたかれただろうと思う。

 

今、ネットを渡ってみると、たたかれもせず、ちゃんと、考察されて

それらが、通説になっている感がある。

その下敷きになっている、「日本」から文明が起きた、

伝播していったという部分が

ピラミッドになってくるし、

古代天皇であると考えている。

そして、饒速日・天照の乗った空飛ぶ船。

これは、ピラミッド以降の移動手段だったろうと思う。

*******

このあたりの話はいかにも、荒唐無稽で

どうしても、宇宙人と結びつけてしまうところがあるのだが

それも、ありえると考える。

確かに、超古代文明のレリーフなどをみると、

宇宙人(神?)が、DNA操作をおこなっていたと思える手術?の図がある。

人間が宇宙人に作られたと考えたとき、

ひとつだけ、腑に落ちないことがある。

 

これが、証明できれば、

あるいは、歴史そのものが、解明できるかもしれないと思う。

 

********

それは、「魂」の存在である。

動物にも、宇宙人にも「魂」があるのかどうかは、

さだかでないが、

宇宙人が人間を創造したとして

宇宙人が「魂」を人間にいれこめたのだろうか?

 

日本の考えでは、

人はひと=霊止(ひと)であり、

その肉体に「霊」(魂と呼ばれるものと一緒かどうかわからないが)が宿って

はじめて「人」になる。

 

実際、代理も、一度だけ、人魂と思わしきものを見ている。

冬の夕暮れ、窓から外をみていると

地面から2mくらいのたかさで、

南西の方向に、弧を描いてとんでいく白い物体をみた。

大きさは鳩よりちょっと小さい。

セキレイによくにた飛び方だが、

あそこまで、鋭角?な弧でなく、スピードも遅い。

不思議半分でながめていたが、

結論を家族に話した。

「珍しいものを、みた、大きな白い蝙蝠が飛んで行ったよ」

と。

家族、みんな、異口同音の指摘。

「今、冬だよ。蝙蝠がいるはずがない」

(ましてや、白い、でかい蝙蝠など・・いたら、すでに(夏場に)目撃しておろう)

・・・・

思い余って、同僚に話をした。

見えるタイプ?らしく

一言でいなされた。

「ああ、そりゃ、人魂だね。ちかじか、誰かなくなるだろう(親しい人が)」

でも、白い色だったよ(白い蝙蝠と思い込んでいる)と告げると

「いろんな色がある。私がみたのは、オレンジ色だった・・・」

そのことを、母上にはなしをすると

亡くなった父の友人(代理の仲人さんでもある)が、夢にでてきて・・

と、はなしだした。

そして、1週間後に、その人が亡くなったと連絡がはいったのだが、

このことだけで、

霊・魂は存在すると証明できることではないが、

やはり、最終的に

宇宙人がつくったのは、いわゆる「器」だけでしかなく

人間本来の「魂」というものは

どこからきたのだろうか?

これは、宇宙人とて、操作できるものではないだろう。

 

********

その「魂」の違いを感じるのが

縄文人と弥生人の思考?感情?パターンでもある。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天日矛の太刀  胆狭浅の大... | トップ | 人間の霊的質量は7層から成る... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史の中の「経緯」」カテゴリの最新記事