大本が、示した「事柄」は、
いくつにも、とれる事柄である。
よくにた話(内容)としては、
日月神示(ひふみ神示)があるが、
封印されていた神が、国常立であり、
同じ神であると思わせる、一番大きなところが
同じ語り口調(?)である。と、言う事かもしれない。
大本のほうも、
「****ざ」という口調であったが、
日月神示も自動書記でありながら、「*****ざ」という
語り口がある。
代理が福井のほうに居たころに、
その「ざ」をよくきいた。今ではうろ覚えになっているが・・
「そうやざ」ー(そうだよ)
「あかんざ」ー あかん(だめ)よ
と、いうふうに・・・。
ウィキから「ざ」が含まれるものをひきぬいてきたが・・
「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。」
「此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。」
「今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ」
「この神示肚(はら)に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」
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また、もうひとつ、かんじるのが、
「~ぞ」という表現。
「偉い人皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたらなにもかもはっきりするぞ。夜明前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ。」
この「ぞ」の使い方は、限定的な「ぞ」
「だめだぞ」という時のような、「ぞ」のつかいかたもあるが、
愛媛あたりの
「~ぞなもし」がつづまった「ぞな」の「ぞ」の使い方ににている。
「なんぞなもし」は疑問形であるが
一言で「なんぞ」というとき、なんぞ?という疑問形で使われる時がある。
「なにか、なかったかなあ」というときにも、
「なんぞ、なかったかなあ」というときがあるが、
同じ「なんぞ」でも、意味合いが違ってくる。
「~ぞ」は、古い言い回しでも使われることがあり、
「見にゆこうぞ」
など、意志的な言葉で使われることが多いと思う。
「~ぞ」に関しては
地方独特の物とはいいきれないのとはおもうが、
「~ざ」という言い回しは
どうも、福井近辺。
福知山の言葉をしらないので、
大本のほうは、福知山の表現なのだとかんがえていたが、
日月神示のほうでも、「~ざ」が入ってくる。
どうも、国常立(あるいは、介在した神?)
降臨した神霊がその後に日月神示を天明に書記させていく「国常立尊」で、これがその後に続く機縁の始まりだと言われている。ただこの時には「日月のかみ」や「天之日月神」と名乗り国常立尊とは名乗っていない。
(※この「天之日月神」は「国常立尊」自身ではなく「国常立尊」と天明との間を仲介した媒介神霊または媒介天使だったという説[も非常に有力である。)
いずれにせよ、介在した神がいわば、通訳しているというところで
国常立(あるいは、介在神)は、「~ざ」という言葉を使う。
と、いうことになる。
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岡本天明は岡山
大本は京都
このあたりで、「~ざ」は使われることは無いと思う。
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簡単にしらべたところでは、
綾部・福知山・・あたりにも「~ざ」はないようである。
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さらに、
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日月神示はそのほとんどが数字や記号で書記されているが、その理由を神霊自らが神示の中で
「高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす「レ」と「〇」と「+」があるのみ。また高度の霊人の文字として、ほとんど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである」(二日んの巻第十三帖)や「天人同志の文字は数字が多いぞ。天人の言葉はマコトであるから、ただ一言で万語を伝え得るぞ。」と「星座之巻」第十八帖、第十九帖で述べている。同様なことは18世紀の巨大な科学者にして政治家であり、また、その後半生は霊能者として有名なスェーデンの貴族であるE.スウェデンボルグも天界探訪の事を記した自身の著作で「天人の文字は数字が非常に多かった。」と書いていて興味深いものが有る。日月神示より以前に他で出された神示類ではこのようなことは見られず、神霊が「今まで他に出て居たのは皆、神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。キの神示ぢゃ」(カゼの巻第六帖、第七帖)と書記させている。また、「アメの巻」第十三帖でも「外で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界 のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち着いて聞き落としのない様になされよ。」とも語られている。
また、一方ではこの神示は単に現界に生きる人間のみならず、天界や霊界、また、その他多くの世界に住んでいる存在(神、竜神、天人、天使、霊人達)にも等しく与えられているらしい次のような記述も見られる。「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」と「極め之巻」第十八帖で述べられている。
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このあたりのことから、国常立の言葉を人間に判るように媒介したものが、居ると、考えられるのだが、
「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」
とも、いう。
竜神という存在をみとめていて、
「~ざ」は福井であるとすれば、
一番にうかぶのは、九頭竜である。
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黒龍大神信仰の創始
- 雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(後の九頭竜川)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高龗大神(黒龍大神)、闇龗大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜に創祀された。この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭龍川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。
- その後、黒龍大神と白龍大神のうちの前者は、天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する4柱の神々「四大明神」の一柱を祀るものとされた。東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年{593年})、北の越前国の当地には黒龍大明神として、日本の国家鎮護 及び 黒瀬川(後の九頭龍川)流域の守護神として祭祀されてきた。
岐の神
岐の神(クナド、くなど、くなと -のかみ)、とは、古来より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。 日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。また久那土はくなぐ、即ち交合・婚姻を意味するものという説もある。
八岐大蛇は、幅広く婚姻する・・という意味合いにも取れてくる。
実際、
高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。
と、いう話からしても、他部族が、女性をひっさらっていった話であるように思われる。
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だが、高志の国からやってきた八岐大蛇・・?
越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。
7世紀後半に書かれた木簡には高志とあり、古い時代にはこのように書かれたのであろう。8世紀の諸書のうち、古い時代の表記を残す『古事記』は高志と記し、『出雲国風土記』には古志とある。日本書紀は古い時代の地方名として越(こし)・越洲(こしのしま)を記す。
越の字は、高志国が分割され越前・越後などの国が生まれてから使われるようになったと考えられている。越の字が統一表記として採用されたのは、大宝4年(704年)に国印が鋳造されたときで、それまでは高志前国、高志中国、高志後国といった書き方もあったと考えられる。つまり、一つの国として存在した当時の書き方は高志国であり、越国は廃止後の表記ということになる。読みはどれも「コシ」である。
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福井の九頭竜が、八岐大蛇ではないか?
と、おもってしまうのだが・・・
九頭竜の名前はのちのことなので、あてはまってこないが、
他部族・・と考えれば
悪く取ると、八岐大蛇は、
勢力拡大のために、無理やり?婚姻を結ぶ?高志の部族。と、いう言い方になる。
だが、この姿をみると、大蛇ではなかろう?
素戔嗚側にとっては、
邪悪である「じゃ(蛇)」であり
福井にとっては、「竜」になる。
この立場の違いがあるのだろう。