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十種神宝 歴史の中の経緯・11

2023年10月17日 | 歴史の中の「経緯」

なぜ、事代主は娘を神武にとつがせることができたのだろう?

 

そう書いていながら、思う事がある。

やはり、一方では、大物主の娘をというはなしもあるわけで・・・

 

と、なると、この事代主というのは、なにもの?

と、なってくる。

 

そこで、少し、話を戻す。

代理の頭の中では、

饒速日が本来の「日本人」だと思っているのだが・・・

 

饒速日もまた、多くの国をおさめていた大国主といってもいいだろう。

実際は、出雲に逃れた饒速日が大国主の尊の正体ではないのか?

と、いう思いが沸いても来る。

 

ここで、ヘブライ人と比べて、考えたとき

大きな違いとしての伝承は

三種の神器。(アロンの杖・マナの壺・十戒石)

饒速日は

十種神宝(とくさのかんだから)

 

で、まず、十種神宝を調べて来ます。

沖津鏡(おきつかがみ)

辺津鏡(へつかがみ)

八握剣(やつかのつるぎ)

生玉(いくたま)

足玉(たるたま)

死返玉(まかるかへしのたま)

道返玉(ちかへしのたま)

蛇比礼(へびのひれ)

蜂比礼(はちのひれ)

品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)

 

  • 蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
  • 蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

思わぬところで大国主命がでてくるじゃないですかあ。

 

剣のほうは、布都御魂の方だと、勘違いをしていたのですが・・

布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。

建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。

神武の治世にあっては、物部氏穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。

 

上の話から、ひょっとして、饒速日のもの?

 

と、なると・・先に書いた話が符号してくるような・・・

********

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内社で、旧社格県社大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。

三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。

村屋坐弥冨都比売神社

の、HPになると、鳥居の影になって、千木がハッキリ見えない。

あちこち探して、y.tama @tama311 8月27日 のフェイスブックにいきあたり

無断拝借と相成った。

 

美穂神社とおなじような、横並びの千木であるが・・・

このような形態はここにしかないと言われていたことに矛盾をかんじたのであるが・・・

よくよく、見たかった千木の、その形態が違う。

美穂神社は

天千木・地千木の並びである。

この主祭神が

大国主命と美穂津姫で、

美穂津姫は、天津神の娘である。

大国主命はといえば、出雲大社で判るように、地千木を掲げている。

(ただし、この考え方は日御碕神社で崩れる。

天千木は天意をうけていると取る場合もある)

 

美穂津姫がまつられているならば、天千木・・

大物主・・大国主命    は、 地千木

と、なるのではないかと思うが

両方の千木が地千木である。

 

と、なると、場所も奈良・・

美穂津姫の名前も、美保神社では、

美穂に暮らしていたというところから、ともあるので、

美穂津姫という名前の別人ではないか?

と、かんがえていたが・・・

よくよく、見ると

弥富都姫・・みふつひめ、とある。

 

どうも、妙な状態なのだが、

国津神(地津神というか、地方豪族)であるならば

地千木も頷ける。

 

妙な合祀や祀り変え・同一視は、どこでもあるのだが、

千木もひとつの判断材料になる。

**********

みふつ姫・・・

ふつのみたま・・・・

 

ふつのみたまが仮に饒速日の護り刀であったのなら

みふつ姫もまた、饒速日の護り人のごとき存在であったかもしれない。

 

******

  ●蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

  • 蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

と、いうことで、大国主の神話・・素戔嗚とともに調べてくる。

と・・・・

*****https://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/14000/より、拝借。

最初に日本に到着したのは、ネパール、インドを経て中国の江南地方から博多湾沿岸に上陸した陸路グループでした。彼らはすでに九州にいた部族を併合しながら日向地方(現在の宮崎)まで南進・平定し、日向族として君臨します。

一方、インドから東南アジアの島々を経由して朝鮮半島に渡った海路グループは、壱岐島から出雲に上陸、出雲族となります。

日向族の族長にはイザナギ、イザナミが、出雲族の族長にはスサノオの父フツがいました。パミール高原を出発するときの約束では、日本で合流したら一致協力して日本を治め、「人類の進化と文化の隆盛を促す」はずだったのですが、先に強大な国家を九州地方に築いた日向族はそれを拒み、逆に出雲族が保持する皇位継承の証である「十種神宝(トクサノカンダカラ)」の引き渡しを求めます。

 

****

素戔嗚の父・・フツ?

みふつ姫の父親???

あるいは、ふつのみたまの正体?

と、なれば、饒速日はフツの家系になる?

いや・・

フツゆかりの姫という意味合いで、孫かもしれない。

つまり、素戔嗚の娘。

この娘と饒速日が祀られていると考えることもできる。

 

奈良のほうでは、みふつ姫と饒速日(大物主?)がまつられ

美穂では、

みほつ姫と大国主命。

 

もしかすると、大国主命と饒速日が同一人物?

 

大和朝廷がわの粉飾で、すせりびめという「偽物」が作られたとしてもおかしくはない。

 

  ●蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

  • 蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。
フツの娘・あるいは孫であれば、とくさのかんだからから、
おろちひれ、はちのひれをもってくることも可能だろうし
逆に、饒速日(大国主命)がとくさのかんだからをもっていても、おかしくないし、
それを素戔嗚(あるいはフツ)にとりあげられたというか、
娘をくれというのなら、
此方の大事な物をただわたすわけにはいかない。
そちらのだいじなものをわたせば、その心誠とみよう。とかいう調子で
とりあえずは、とりあげられたwww
とも、考えられる。
 
 
*****
その饒速日(大国主命)と みふつ姫(スセリビメ)の子供が
事代主だというのなら
事代主の娘を神武天皇に嫁がせるだろうか?
 
なにか、理屈にあわない気がするのは代理だけだろうか?
 
 
この理屈にあわない(と、感じること)を
納得させる考え方を探している。
 
ーーー続くーーー
 

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