当時、よく聴いたシシー・ヒューストンのアルバムをさがしてみたが、判らない。
娘、ホイットニーのデビューが1985年だから、
まだ、そのアルバムを聴いたころは、デビューさえしていないのだから
娘の存在など知る由がない。
そして、そのあとは代理も音楽を聴いているどころではなく
LPを買う金があったら、おかず代にまわすという状態でもあった。
そして、ぽつぽつと音楽ライフに復帰し始めるころ
いっさいの情報網もなくしていた。
多くの友人・知人とは離れた土地にきたせいもあるが、
音楽を聞く状態でなかったところが
なおさら、拍車をかけた。
そんな、ある日・・・
ボデイ・ガードという映画にでていたホイットニーの唄声と曲にひかれ
サントラ盤を購入してきくこととになった。
だが、この時点でも、まだきがついてなかった。
シシーの声はもっとソウルフルでパワーがあったと記憶しているせいもあった。
それに、なんとなく似ている名前もおおかった。
シーナ・イーストンとか
ブルース・スプリングスティーン
シルベスター・スターローン
スティーブン・セガール
ジョージ・シーガル
シーバス・リーガル(12年物が旨いwww)
と、なんだが、似たような名前が多く
確か、同姓同名の歌手もいたりで
さして、きにとめていなかった。
おまけに、ネットも使い始めたのが2002年くらいからだったから
(パソコンはもっていたが・・・・)
調べようもない。
後年
何がきっかけだったか
ホイットニー・ヒューストン?
シシー・ヒューストン?
ん?
んん?
うむむ~~~?????
経緯などどうでもいいことだが、やっと気が付いて
ネットでしらべた。
母娘ね・・・
いわゆるサラブレッドというところか・・・
ボデイ・ガードは1992年公開となっていた。
そこからでも、10年近く母娘関係を認めずwww
やっと確認できたと思ったら
2012年2月ホイットニー死去・・・
親より先に死ぬほどの親不孝はないというが・・・
シシーの心中思い計るとせつなくもある。
今探しても、シシーのあのアルバムが無いということは廃盤になったのかもしれない
が、その探し途中にまたも、ショックな事実を見てしまった。
シシーの孫娘、ホイットニーの一人娘 クリスティーナが22歳の若さでなくなっていた。
代理がシシーのそのアルバムを聴いたのも、期せずして22歳?位だったかと思う。
遠い他国でシシーと邂逅を得た22歳と
シシーとの別離になる遠い他国へ旅立った22歳
なにか、重苦しい思いがただよってしまうが
シシーがまだ、健在で歌っているらしく
そのニュースに救われる
1992年、ケビン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』が公開され、成功を収めた。彼女の新曲6曲を収録したサウンドトラックは全世界で4,200万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚[17]を売り上げる驚異的なヒットとなった。カントリー歌手、ドリー・パートンのヒット曲をカバーした主題歌、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は全米シングルチャートで14週連続No.1を記録する自身最大のヒット曲になった。
同年R&B歌手、ボビー・ブラウンと結婚。翌年には一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウン(1993年3月4日 – 2015年7月26日)を出産した。
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