報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

東ティモール : ラモス・ホルタ大統領襲撃の真相 1

2008年02月21日 10時56分37秒 | 東ティモール

2月11日に東ティモールで発生したラモス・ホルタ大統領襲撃に関するウェブ記事を訳しました。メディアによる一般報道とは、まったく違った内容が記されていますが、僕自身が東ティモールを観察してきた結果とほぼ一致した内容です。
なお、あくまで素人による訳文であり、不備もあることをご了承ください。

東ティモールの極めて不可解な「クーデター計画」

原文
A very strange "coup attempt" in East Timor
http://www.wsws.org/articles/2008/feb2008/tim-f13.shtml
By Peter Symonds
13 February 2008

東ティモールの首都ディリで、月曜日(2月11日)に起こった出来事に関しては、何も明確になってない。反乱将兵アルフレド・レイナドは、そこで射殺され、この国の大統領ジョゼ・ラモス・ホルタは銃撃によって胸と腹部に重症を負った。最も信憑性のない説明はシャナナ・グスマン首相による、クーデターの試みは阻止された、というすばやい声明だ。そして、グスマンはオーストラリアに軍事的・政治的支援を要請し、非常事態宣言と戒厳令を発令した。

グスマンは、彼と大統領が暗殺の企ての標的だったと主張している。レイナドと武装した部下は、月曜の朝、大統領官邸にやってきた。しかし、暗殺計画にしては、レイナド  ─ オーストラリアで訓練された元少佐 ─  は下調べさえしていなかった。ラモス・ホルタは、二人のボディガードとともに、朝の日課である散歩に出て不在だったのだ。レイナドは、暗殺の準備よりもむしろ、以前からそうしていたように、単に大統領と話をしようとしていたにすぎない、と考えた方が自然だ。

次に何が起こったかについては、さまざまな見解がある。いくつかの報告によれば、レイナドと部下は、警備員から武器を取り上げ、家屋になだれこみ、大統領を探した、となっている。しかし、昨日のオーストラリアン紙は、警備員の方から銃撃が行われたのが事実である、と指摘している: 「隣人とラモス・ホルタ家のスタッフは、レイナドは先に発砲していない、彼らは大統領が在宅かどうかを尋ねるために、ゲートに現れたのだ。そして、いきなり目を撃ちぬかれた、と語った」

散歩から帰ったラモス・ホルタは銃撃に巻き込まれた。彼は、少なくとも二発被弾したが、なんとか住居にたどり着いた。少し後、オーストラリアの軍医は彼の出血を止め、容態を安定させた。大統領は、高度な医療処置のために、空路でオーストラリア北部のダーウィンへ搬送された。大統領は重症ではあるものの、容態は安定していると伝えられている。

いったい誰が誰を暗殺しようとしていたのか。ディリに蔓延する憶測のために、グスマンは、声明を出さざるを得なかった: 「大統領がアルフレドを殺すために彼をおびき寄せた、という噂はやめたまえ。繰り返すが、私もまた待ち伏せをうけ、標的にされたのだ。これはまさに、アルフレドによって計画された作戦であったことを示しているではないか」「確定するまでは、憶測を発表するべきではない」と彼は、メディアへの遠回しの威嚇で締めくくった。

ラモス・ホルタの官邸で起こった出来事は漠然としているのに対して、グスマン暗殺計画の方は詳細だ。グスマンは実際には襲撃されてはいないのだ。グスマン首相は、彼の車列が、ガストン・サウシーニャ(Gastao Salsinha)率いる反乱兵の別働隊による待ち伏せを受けた、と主張している。サウシーニャとは、「嘆願者」と呼ばれている兵士のリーダーで、彼らは、2006年に軍隊内での待遇改善を求める抗議行動によって軍を解雇された。グスマンの車列は、「弾丸の雨」を浴びたにもかかわらず、誰一人負傷していない。しかも、襲撃者は追跡されることもなく、簡単に逃げ延びている。サウシーニャは、オーストラリアン紙のレポーターに対して、この攻撃とはいかなる係わり合いもないし、なぜレイナドが大統領官邸に現れたのかも知らない、と述べた。

大統領と首相の暗殺を試みる、いかなる動機がレイナドにあるのかについて、説得力のある説明はなされていない。2006年にはレイナドのことを、反フレテリン兵士のリーダーの一人として褒め称えたオーストラリアのメディアは、今回は総じて彼のことを、「大胆で愚かな反逆者」または、誇大妄想のランボーと切り捨てた。死亡した少佐は、間違いなく心理的に不安定ではあったが、軍事面では手堅く優れていたことは確かだ。だが、この「暗殺計画」と「クーデター」はひどく不手際で、重要な中枢を押さえるという計画性がない。また、何百ものオーストラリアと外国の部隊・警官を相手にするなど、ありえない筋書きだ。


       いったい誰が得をするのか?


このようなとき役に立つ経験則は、こう尋ねることだ: いったい誰が得をするのか?。この場合、質問はこうなる: レイナドが死んで誰が得をするのか?。グスマンは、オーストラリアの後ろ盾とともに、リストのトップにいる。

2006年に、オーストラリア軍の介入を招くことになる、国防軍の反乱と住民の暴動に対して、グスマンは直接的な責任があるとして、レイナドはグスマンを非難した。ほんの先月のことだ。オーストラリアのメディアは無視したが、ビデオによって流布したメッセージがある。その告発の一部: 「私は目撃者として証言する。シャナナはこの危機の主要な作者だ。彼はこの件について嘘をついたり、否定したりできない。彼は、我々を悪人と呼ぶが、それは彼自身のことだ。彼が我々を創り、我々にこのような行動をとらせた。つまり、彼が、嘆願(反乱のきっかけとなる軍内の差別待遇改善要求)の作者だ。最初に嘆願がなされたのは、彼の支援によるのだ。そして彼のメディアへの無責任なスピーチが、今日に至るまでの住民の衝突と殺害を招いたのだ。そして、彼はそれ以上の多くを知っている。我々は、それについて話し合うつもりだ」

レイナドの「話し合い」の脅迫は、グスマンとキャンベラにとって深い政治的含みを持っていた。2006年5月に、当時オーストラリア首相だったジョン・ハワードは、東ティモールの国防軍は分裂し、警察は崩壊しているので、急増する暴力を止めるためには、オーストラリアの部隊を急派する必要があると主張した。当時の大統領グスマンは、オーストラリア部隊の介入を要請し、そして、マリ・アルカティリ首相とフレテリン政府が、600人の「嘆願者」を解雇したためにこの危機を招いた、として非難した。事態を収拾できない「マルキスト」のアルカティリは辞任せよ、とオーストラリアのメディアはわめき続けた。

アルカティリは断じてマルキストではない。ティモール海に埋蔵されている石油とガスの最も有望な部分をよこせ、というキャンベラの要求に従うことを、彼の政府は拒絶しただけだ。1999年に東ティモールに軍隊を展開したハワード政府は、2001年に小さな国家が誕生すれば、オーストラリアが支配的な役割を演じるだろうと、当然のごとく確信していた。しかし、アルカティリ政府は、旧宗主国ポルトガルや中国、キューバ、ブラジルといった外国と友好関係を築いて、わずかでも独立を維持しようと試みた。2006年5月に、オーストラリアが部隊をすばやく派遣したのは、決して東ティモール人を助けるためではない。それは、アルカティリを首相の座から引きずり落とし、そこにオーストラリアの要求により従順な政治家──とりわけグスマンとラモス・ホルタを就任させるという、ハワード政府の計画の一部によるものだ。

オーストラリア軍を東ティモールへ派遣する口実となった暴動において、2005年にキャンベラで訓練されたレイナド少佐は中心的存在だった。彼は「嘆願者」に加わり、抗議活動をする兵士に対して武力を使用したフレテリン政府を激しく非難した。彼は、グスマンの周りに集まった「コーラス」の一部であり、それは、アルカティリによる非常に懸命な改革に敵対する、教会の指導者、元インドネシア派民兵、ビジネスマンなどからなっていた。彼らは、貧困と失業による広範な憤懣を利用して、若い反政府ギャング団を養成した。

レイナドは騒乱を引き起こす工作に直接かかわった。オーストラリア軍部隊が到着する前日、オーストラリア人カメラクルーに伴われ、混沌と破壊の雰囲気に包まれた彼の部下は、東ティモール政府軍と衝突した。グスマンはこれらの出来事に、全く打つ手がない、と常に主張していた。しかし、増加する証拠は、グスマンと反フレテリンの共謀者、そしてグスマンとレイナドとの関係を示している。

2006年5月以来、キャンベラとディリの政治的共謀によって、彼らが欲していたものを表面的には、すべて手に入れた。軍事介入の2カ月以内に、アルカティリは、辞職を強要するキャンベラの圧力に屈従した。そして、ラモス・ホルタが臨時首相としてアルカティリに取って代った。ホルタとグスマンは、オーストラリア政府の暗黙の支援のもと、昨年の大統領と議会の選挙戦で共闘し、ラモス・ホルタは大統領の座を得た。グスマンは、暴力と投票操作の異議申し立てによって混乱する選挙で苦戦しながら、ようやくのことで首相になった。

根本的な問題はまったく解決されていない。議会選挙で最多議席を獲得したフレテリンは、現グスマン政権(連立与党)の正当性に異議を唱え続けている。公約が守られないことに対する憤懣の増加に直面している不安定な連立に、グスマンは依存している。グスマン政府は、約10万人の難民(主にフレテリン支持者)への米の配給を削減する2008年度予算案を提出した。元フレテリン闘士のための年金やビジネス上の税制優遇措置、他の財政的奨励金も削減される。

ディリは政治的陰謀の巣窟状態のままだ。オーストラリア、ポルトガル、およびマレーシアは、東ティモールの政府と国家機構の中で発言力を増大させるために、この小さな国に保安部隊を保持している。中国とブラジルは、影響力を拡大するために経済援助を提供している。東ティモールの警察と軍隊は、あいかわらず政治党派色が濃く、昨年の選挙時の党派抗争により広範に非難されている。国連のコントロール外にあり、オーストラリア部隊の駐留が続いていることにも敵意を増大させている。

過去20カ月、レイナドは、ある種の解き放たれた大砲だった。彼は殺人と武器の不法所持で告訴されているにもかかわらず、自由な生活を送っていた。彼は、2006年に武器に関する裁判で拘留されていたが、ディリ刑務所から文字通り歩いて出た。そこは、オーストラリアとニュージーランドの部隊によって警備されていたのだ。彼は、さまざまな隠れ家で頻繁にメディアとのインタビューを行ったが、再逮捕を免がれていた。ラモス・ホルタは、選挙で19%を獲得した右派民主党の基盤を安定化するため、つぎの仕事として、公式にレイナド狩りを中止した。

危機が続く最中、先月のレイナドによる脅迫は、2006年にグスマンが果たした役割を暴露した。それは東ティモール政府にとっては将来的な危険をはらみ、オーストラリアにとっては、影響力を弱める政治的な爆弾となった。アルカティリはすばやく、グスマンの辞職を要求し、新たな選挙を求めた。三週間前、ラモス・ホルタは、モビシにあるレイナドの基地で彼と会った。少佐の要求である起訴の取下げによって、少佐のフラストレーションを鎮めようとしたことは疑いない。先週、レイナドが三人の政府議員と会っていたとき、オーストラリア部隊は彼と一触即発の事態になった。その1週間後に、レイナドは死亡した。

いまや、やっかいな反逆者を排除しただけでなく、ディリ政府とキャンベラは、「クーデター計画」を、すぐさまそれぞれの立場の強化に利用した。グスマンは、48時間の非常事態宣言と外出禁止令を布告し、「東ティモールが失敗国家にならないことを保証する」ための安全策を強化すると発表した。

オーストラリアの労働党新首相ケビン・ラッドは、月曜日の朝、グスマンと二度話して、内閣安全委員会の幹部会議を招集し、190人の部隊と連邦警察の急派を、数時間以内に発表した。その部隊は昨日(12日)の午後、東ティモールに到着した。現在オーストラリアは、海軍兵員を含めて1000人の治安維持軍によって、島全体にその影響力を及ぼしている。昨日のオーストラリアの新聞の各社説はすべて、新しい労働党政府は最初のテストに合格したと報じた。

レイナドの死は、グスマンに都合がよいことは間違いない。少佐を殺害する陰謀があったかどうかは、なお調査されるべきである。しかし、確かなことがひとつある: 月曜の出来事を、オーストラリアのメディアと国際メディアが、暗殺計画とクーデターであると、すばやく宣言することによって、この実に不透明な事件に対する、いかなる調査も妨またげてしまったように見えることだ。

http://www.wsws.org/articles/2008/feb2008/tim-f13.shtml


東ティモール : ラモス・ホルタ大統領襲撃の真相 1 : 参考資料

2008年02月21日 10時46分13秒 | 東ティモール
●旧ブログ『報道写真家から』 カテゴリー「東ティモール暴動」より

2006.07.28 レイナド元少佐逮捕に新事実
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24

2006.07.26 反乱兵士リーダー、レイナド元少佐逮捕の意味
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/5e1d62d9e68c09387f13b76666f41f24

2006.07.21 ティモール海の石油とガスの価値
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/03c705bc471b71a618bd1f7cea9fb20a

2006.07.18 世界が見逃したクーデター
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/380071a383cba22fe0ba2c7dc00b0421

2006.07.15 ギャング団を操る勢力
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/9b4f9012c07d66b1d05af96d1096e376

2006.07.11 東ティモール報道:小出しにされる真実
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/65dcf520483615b130483052528c2eb3

2006.06.27 アルカティリ首相辞任、豪、東ティモール支配に前進
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/6bec4585bcd9081bf24875fc4ae18dd2

2006.06.25 オーストラリアは東ティモールの敵
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/d7390bfb7239450b62ea598d6c05a462

2006.06.01 東ティモールで何が起こっているのか
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/d425e4a09cf0d765358f93007e117223

2006.05.29 石油のためなら国際法も無視
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/b0e4db99598701d7ca944d7caab6c78d

2006.05.26 東ティモールと石油
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/7e7b590506bf7f6d85d60ed994527872

●東ティモールの石油を狙うオーストラリア

2007.09.08 Australia siphoning off East Timor's oil and gas reserves
http://www.thedailystar.net/story.php?nid=3066

2007.08.17 Australia:international oil thief
http://www.greenleft.org.au/2007/721/37445

2006.06.24 East Timor's main enemy Aust: General
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200606/s1670775.htm

2006.06.22 Australia - Peacekeeper or Petroleum Predator?
http://ipsnews.net/news.asp?idnews=33714

2004.05.19 Australia rapped over E Timor oil 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/3729807.stm

2004.11 オーストラリアに横取りされる東ティモールの石油資源
http://www.diplo.jp/articles04/0411-3.html


●ラモス・ホルタ大統領襲撃 : 一般報道

2008.02.14 東ティモール 『戦い引き継ぐ』気勢と拳
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008021402087331.html

2008.02.14 襲撃は暗殺ではなく誘拐が目的だった
http://www.25today.com/news/2008/02/1_8.php

2008.02.13 東ティモール、大統領襲撃事件で18人に逮捕状
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2350227/2631775

2008.02.12 増派の豪州軍が12日到着、大統領暗殺未遂の東ティモール
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200802120027.html

2008.02.12 E Timor called off hunt for Reinado
http://www.worldpress.org/link.cfm?http://www.abc.net.au/news/stories/2008/02/12/2160982.htm

2008.02.11 東ティモール大統領、銃撃され負傷
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2349378/2626239

2007.03.14 オーストラリア外相の投降要求を拒否 東ティモール反乱軍リーダー
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200703142108323

2007.02.01 反乱将兵なお火種:東ティモール、混乱再発も
http://209.85.175.104/search?q=cache:YK5HNIDUZWEJ:kk.kyodo.co.jp/is/column/risk/risk-070201.html+%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%89&hl=ja&ct=clnk&cd=26&gl=jp

2006.09.01 反乱将校ら57人脱走 政情不安の東ティモール
http://www.47news.jp/CN/200609/CN2006090101002787.html