報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモールで何が起こっているのか

2006年06月01日 22時36分41秒 | ■東ティモール暴動
2月28日の兵士による待遇改善を要求する抗議行動が、結局三ヵ月後の5月25日には、オーストラリア軍が東ティモールの治安維持を掌握する結果を招いた。
いったい東ティモールで何がおこっているのか。
まず時系列で、ざっとこの間の動きを追ってみよう。

2月28日
404名の兵士が無断外出し、大統領府にて抗議行動を行う。
抗議内容は、”軍内で東部出身者だけが昇進する””独立闘争で主要な役割を果たしたのは東部出身者であると主張する何人かの指揮官がいる”というものだ。

抗議兵士はその後、591名に増加。全員、非武装。

3月16日
ルアク国防軍司令官は、591名全員を正式に解雇。
国防軍は約1600名だが、そのうちの約4割を一度に解雇したことになる。少し異常な気がする。
マリ・アルカティリ首相ら政府首脳は、これを支持。
シャナナ・グスマン大統領は、解雇に遺憾の意を表明。

3月24日
大規模な暴動発生。
この暴動は、反政府グループやギャング団と見られる。
抗議兵士はデモを予定していたが、実際は何も行っていない。

4月28日
抗議兵士グループ、政府庁舎前で抗議活動。
治安部隊と衝突。死者5名、負傷者30名。
抗議兵士グループはアイレウの山へ逃れ、以後山中に留まる。

5月4日
パトロール中の憲兵隊長率いる18名が武装したまま失踪。
この憲兵隊長アルフレド・レイナード少佐が、抗議兵士グループのリーダーだったことが判明。

5月12日
ラモス・ホルタ外相、アルフレド少佐と会見。
アルフレド少佐、グスマン大統領に忠誠を表明。

5月16日
オーストラリア政府、東ティモール近海に兵員輸送船2隻を派遣。

5月19日
与党フレテリン党、書記長選挙開催。
アルカティリ首相の独断で、投票方法が変更される。
無記名投票から挙手へ。
アルカティリ首相が、圧倒的多数で書記長に再選される。

5月22日
ホルタ外相「アルカティリ首相の党首再選は、国内世論を反映したものではない」と発言。

アルフレド少佐、ホルタ外相との和解交渉にほぼ合意。

5月23日
和解協定出席のためディリへ赴いたアルフレド少佐を豪メディアSBSが取材中、政府軍兵士が銃撃、戦闘となる。
ディリは暴徒で騒乱状態となる。

5月24日
東ティモール政府、オーストラリア、ニュージーランド、ポルトガル、マレーシアに正式に支援要請。

5月25日
アルフレド少佐、東ティモール政府には問題解決能力がなく、外国軍の派遣を歓迎すると発言。また、政府を転覆させることが目的ではないとも。

国防軍兵士(抗議兵士ではない)、警察本部を攻撃。警官9名死亡、27名負傷。

オーストラリア軍先遣隊、東ティモールに到着。東ティモール国防軍は基地に戻り、治安維持活動はオーストラリア軍に移譲された。

暴徒の勢いはおさまらず。

5月28日
カトリック教会、アルカティリ首相の辞任を求める。

5月29日
治安会議にて、首相の退陣を検討。
群集、大統領府前で首相の辞任を要求。

5月30日
グスマン大統領、全権掌握を宣言。

5月31日
アルカティリ首相は「国防と治安はまだ政府の一部であり、私が政府の長である」と述べる。グスマン大統領が単独で軍を統帥したとの報道を声明文の誤訳によるものだと否定。

アルフレド少佐、「大統領は過ちを犯した。これでは解決にならない」と、大統領が首相を解任しなかったことを批判。武装解除には応じない構え。

凶悪な暴徒は、なぜかオーストラリア軍に対しては、非常に従順であるとメディアが報告している。


以上のことを、まとめてみると、実に単純な構造が浮かび上がってくる。

マリ・アルカティリ首相
   VS
グスマン大統領
ホルタ外相
カトリック教会
抗議兵士グループ
暴徒、群集
誰も彼もが、アルカティリ首相の退陣に固執している。

反首相派には、与党フレテリン党のメンバーも少なからず加えるべきかもしれない。5月19日の党大会で、アルカティリ首相は書記長に再選されているが、彼は、無記名投票方式を独断で「挙手」による投票に変更した。無記名投票の場合、アルカティリ首相は負ける可能性があったと考えられる。つまり、自党の内部にも少なからぬ反首相派が存在するということだ。

それから、国防軍の大部分は大統領が掌握しているので、国防軍も反首相派に加えるべきだろう。

唯一、警察は首相のコントロール下にあったが、5月25日、警察本部が国防軍に襲撃され、警官9名が死亡、27名が負傷するという大惨事が発生している。なぜ正規軍が警察本部を襲撃したのか、続報はまったくない。ただ、首相はいままで通り警察をコントロールすることはできなくなったと見られる。

アルカティリ首相には、もはや味方がほとんどいない。
彼は、最後の悪あがきをしているところだ。
なぜ、これほどまでにアルカティリ首相は疎まれているのか。
おそらく、自己の権力と利益の拡大にしか興味がないからだろう。
それは、オーストラリアの横暴から、ある程度東ティモールを守った。
しかし、彼は国民の利益にも何の興味もなかった。
そして結局、オーストラリアの奸計にはまって、国の未来を台無しにしてしまった。
今回の一連の出来事はあらかじめシナリオができていたと見ていいだろう。

興味深い事実がいくつか報道されている。
5月25日に、抗議兵士グループのリーダーのアルフレド少佐は「外国軍を歓迎する」と発言している。欧米メディアは、彼らのことを ”rebel :反逆者”と表記している。本来、外国軍は、反乱軍の鎮圧のために来るはずだ。その反乱軍が、外国軍を歓迎するとは不思議なことだ。

実は、アルフレド少佐はオーストラリア軍によって訓練されている。しかも昨年、彼はキャンベラに滞在していた。そもそも、東ティモール国防軍そのものがオーストラリア軍によって訓練されているのだ。要するに彼らは、身内みたいなものだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000009-nna-int

オーストラリア軍は抗議兵士グループを鎮圧に来たのではないようだ。では、暴徒を鎮圧するために来たのか。いや、そうでもなさそうだ。暴徒はオーストラリア軍に遭遇すると、なぜか抵抗もせず従順に武器を渡しているのだ。そして武装解除された暴徒は解き放たれ、また破壊と略奪に戻っていく。

豪平和維持部隊は土曜、ディリ中心部の治安を確保したのち、自動小銃や山刀で武装し民兵組織を結成した若者らが散発的に衝突を繰り返している周辺部に移動した。同軍将校は、50人からなる集団を一発の銃弾も発することなくたちまちのうちに武装解除した(Lusa、5月27日)。
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/news89.html

そして、一見無秩序で凶悪に見える暴徒だが、実は非常に組織的で統制が取れ、しっかりした目的を持っているようだ。

検察当局の建物に暴徒が押し入り、内部に保管されていた殺人関連の文書が略奪された。モンテイロ検事総長によると、持ち去られた文書の事件について起訴手続きを再び行うことは困難という。文書には、人権侵害で起訴されているインドネシアのウィラント元国軍司令官に関する書類が含まれていた。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200605310006.html

混乱に乗じた反政府組織や若いギャング団が暴徒化して、たまたま検察局に侵入したところまでは容認しよう。しかし、たまたま暴徒がウィラント元国軍司令官の訴追資料を持ち出すとは到底考えられない。

暴徒は明確な支持に基づいて、役割を分担して行動しているようだ。無秩序に破壊や盗みをしているわけではない。すべてには明確な目的があるのだ。そして、なぜかオーストラリア軍には従順で決して抵抗しない。もちろん、攻撃などしない。

この三ヶ月間の出来事は、たった一つのことに向って進んでいた。
独裁者マリ・アルカティリ首相の退陣だ。
そして、そのあとに残るのは、オーストラリアのよき友人たちばかりではないのか。



「ティモール・ロロサエ情報」ニュース翻訳
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/news89.html
豪軍1,300人、東ティモールに展開
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000009-nna-int


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