●「民主化」によって誰が得をするのか
いま、国際社会では、ミャンマー「民主化」に向けた合意が形成されつつある。ミャンマーの「民主化」を最も強く訴えているのはアメリカとイギリスのようだ。しかし、イラクやアフガニスタンの「民主化」を最も強く訴え、そして両国を爆撃し、占領したのもアメリカとイギリスだった。
「大量破壊兵器」や「アルカイーダとの関係」をでっち上げてまでイラクに侵攻し、大勢の命を奪った米英が、いまミャンマーの「民主化」を訴えている。軍事政権が倒れたとき、ミャンマー国民に待ち受けているのは、イラクやアフガニスタンと同じ事態ではないのだろうか。それとも、今回だけは決してそうはならないという確たる根拠があるだろうか。
イラクは2003年の爆撃以来、すでに100万人もの人々が命を落としたという推計さえある。たった5年弱でだ。イラクにはもはや安全な場所などどこにもない。一歩家を出れば、戦闘や爆弾、銃撃、拘束などの危険がつきまとう。家の中にいても、米英軍がいつドアを蹴り破って浸入してくるかわからない。もし連行されれば生きて帰ってこれる保証はない。電力や上水、燃料などの供給は制限され、生活環境は極度に悪化している。教育や医療機関もほとんど機能していない。そして、宗派間の激しい対立まで生まれた。「民主化」後のイラクは、国家と言える状態ではなくなった。
フセイン時代は、少なくとも安全に外出し、安眠することができたはずだ。各宗派は隣人として暮らし、極端な対立はなかった。経済制裁までは、インフラは整備され、教育と医療水準はアラブ随一を誇り、男女平等の教育が保証されていた。フセイン時代の方がはるかによかったと、イラク国民が感じても何の不思議もない。
現在のイラクやアフガニスタンの惨状を、欧米による「民主化」の失敗例と見ることもできる。しかし、「民主化」後、イラクやアフガニスタンに乗り込んできた欧米の企業や資本は、国民の窮状を尻目に、莫大な利益を得ている。こうした企業や資本からみれば、失敗どころか明らかな成功と言える。欧米が口にする「民主化」とは単なる政治的方便であって、「民主化」の本当の目的は当該国の資源や経済を支配することにしか見えない。
だとすると、欧米の企業や資本にとって、ミャンマーもぜひとも「民主化」したい国と言えるだろう。ミャンマーは1988年に社会主義経済を放棄したとはいえ、実際は、国内経済を外国の企業や資本に開放することには消極的だ。「グローバリゼーション」の時代にあって、閉鎖的な経済政策は世界経済の敵とみなされる。ましてや、ミャンマーには、天然ガスをはじめ豊富な鉱物資源が眠っている。チークなどの森林資源、ルビーや翡翠などの宝石も豊かだ。「民主化」によってミャンマー経済を支配すれば、これらの利権をすべて手中に収めることができる。
欧米には、ミャンマーを「民主化」したい明確な動機があり、そのための準備を進めていたとしても何の不思議もない。
●10万人はいかにして街頭闘争に出たのか
報道によると、「燃料費の高騰」をきっかけとして、10万人もの人が街頭に出て「軍事政権打倒」を訴えたとされている。
しかし、タイでの反政府活動を取材した経験から言えば、10万人はそう簡単に集まる数字ではない。タイの反政府団体は、党員1400万人(公称)の前与党政党が母体だった。それほど巨大な組織でも2万人の集会やデモが最高の記録だった。仮に党員数を10分の1の140万人だと少なく仮定して、さらにそのうちの10分の1を動員したとすると、14万人になる。感覚的には簡単に実現できそうに思える。しかし、実際は最高で2万人だったのだ。前巨大与党政党の組織力、資金力を持ってしても、そう簡単には人は集められないのが現実だった。
ミャンマー情勢を伝えるメディアは、大規模デモは「軍政に対する国民の怒り」が噴出した結果、というようなもっともらしい、世界中の誰もが納得するような説明をしている。しかし、ミャンマー国民の怒りや不満は本当に沸点に達しているのだろうか。
2007年2月22日、前首都ヤンゴンで反政府デモが発生した。ミャンマー開発委員会を名乗る25名ほどがヤンゴン市内をデモ行進したのである。こうしたヤンゴン市内のデモはほぼ10年ぶりのことである。彼らは、物価の安定、教育、社会保障の改善などのプラカードを掲げながら、おおよそ30分程度静かに市中を行進した。このデモに遭遇した市民の中には拍手を送る者もいたようだが、飛び込み参加などでデモの規模が拡大するような動きは見られなかった。政府当局はただちにデモを解散させ、デモ参加者数名(後日拘束された者も含めると最終的には17名)とそこに居合わせた報道関係者を拘束・逮捕した。翌日には国営新聞紙上で、「デモは違法行為であり、政府は断固とした措置にでる」と強く非難した。
ジェトロ アジア経済研究所
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Asia/Radar/myanmar.html
今年2月の時点では、ヤンゴン市民は反政府デモに対して、意外と冷静で、傍観している様子がうかがえる。もちろん、ミャンマーのような国では誰もが政府に対して不満を持っていることは間違いない。しかし、それが身を挺しても政府を打倒したいというぎりぎりの思いであるかどうかはあやしいと言える。
だとすると、この8月に起こった燃料費高騰に対する小規模だった抗議行動が、短期間に拡大していったのは不自然ということになる。どちらかというと冷静と言える市民を、人為的に10万人も大動員したとすると、相当な手腕を持った組織でなければならない。反政府団体や僧侶団体にそこまでの手腕があったのだろうか。
ミャンマーには、アウンサン・スー・チー女史が率いるNLD(国民民主連盟)という反政府団体がある。NLDは海外では有名で、支援者も多い。
「アウンサン・スーチー女史およびNLDの民主化闘争は、英米の力を頼りに軍政一致の伝統を破壊することを唯一の目標とした都市型権力抗争に変容しており、すでに国民の関心と ISSUE からは乖離し、寧ろ国民から覚めた目で傍観されていると窺い得る。」
「欧米諸国が民主化の象徴として庇護し続けるスーチー女史に、国を建て直す現代の経済社会政策がある訳でなく、近隣諸国との外交政策を LEAD する経験・知見があるとも思えない」
財務省HP :(委嘱調査2001年)国際金融情報センター
https://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou008f.pdf
NLDは、国内ではその影響力はあまりないと言えそうだ。今回の抗議行動では、反政府団体よりも、僧侶が大きな役割を演じたようだが、ミャンマーの仏教界にはそのような手腕があったのだろうか。
僧侶の数は推定で35~40万人。正式僧はそのうちの約半数と思われる。人数的には巨大組織と言える。しかし、仏教界は、カトリックのような上意下達式の縦割り組織ではなく、寺院単位のゆるいつながりで構成されているようだ。組織的には強固な形態とは言えない。また、政府による懐柔策によって、仏教界の重鎮の多くは取り込まれており、仏教界全体が団結して動くということはなさそうだ。寺院単位で行動するしかない。
ミャンマーの人口の90%が仏教徒で、仏教は生活と深く密着している。したがって、僧侶は信徒の生活に大きな影響力をもっている。しかし、それはあくまで仏教という枠内での話である。宗教行事には何万という人が集まっても、同じ信徒を街頭デモに導けるわけではないだろう。何百年も続く宗教行事には黙っていても信徒が集まるだけで、僧侶が呼びかけて集めているわけではない。
今回、反政府活動の中心となったのは、「全ビルマ僧侶連合」という若手僧侶の団体ということになっている。この団体は抗議行動の過程で組織化されたようだが、メディアの報道でもその実態はよくわからないとなっている。そうした実態不明の組織の呼びかけで、危険な街頭に出ようとする人がどれだけいるだろうか。古くから市民に知られている僧侶の組織であれば、ある程度の市民は呼応するかもしれない。しかし、聞いたこともない組織が、突然ラジオで呼びかけただけで、大勢の市民が応じるとは到底思えない。本当にその組織が存在するという保証すらない。
鎮圧必至の危険な街頭へ、ほんの数週間の間に、市民を10万人も結集させることは、反政府団体や仏教界、ましてや実態不明の若手僧侶グループには不可能だと言える。ということは、10万人はまったく別の経路で動員されてきたと考えなければ説明がつかない。
●「民主化」の常套手段
世界で過去に発生した大規模な反政府デモや暴動、政権転覆の例を見てみると共通した事実が浮かび上がる。それは、デモや暴動、クーデターは、外国が計画し、裏でコントロールしていたということだ。
こうした例はアメリカの庭先で特に多い。中米ではグアテマラのアルベンツ政権やニカラグアのサンディニスタ政権、パナマのノリエガ将軍など。カリブではキューバのカストロ政権(未遂)やハイチのアリスティッド政権。南米ではチリのアジェンデ政権が有名だ。すべて大国の謀略によって政権転覆した。2002年にはヴェネズエラのチャベス大統領にクーデターが仕掛けられたが三日で失敗に終わった。
これら中南米での暴動やクーデターは、国民の意思によって起こなわれたことになっているが、実際は大国が計画し、陰でコントロールしていたことがいまでは明らかになっている。大国の謀略がなければ、抗議行動や暴動、クーデターなどもともと発生さえしていなかっただろう。これらの政権が大国によって暴力的に転覆させられてきたのは、大国の利益に反する政権だったからだ。
アジアでも、インドネシアのスハルト大統領や東ティモールのマリ・アルカティリ首相が、大国の操る暴動で失脚させられた。
(インドネシア暴動の際)「二五キロメートル以上に広がる地域で中国人の経営するショッピング・センターを四〇カ所も同時に襲うのは、計画を練ったうえでなければ不可能だと思われ、『重装備の治安部隊のあいだを人びとが縫うように歩く人口一〇〇〇万人の都市で、一人の犯人も警官や軍隊に阻止されなかった』ことを考えれば、なおさら仕組まれた暴動であるとしか考えられないのである」
「四半世紀にわたって経済成長をとげてきたインドネシアをIMFとアメリカ国防省が挫折させ、いかなる政権をもってしても立ち直れそうもない状態におとしいれたのである」
『アメリカ帝国への報復』 チャルマーズ・ジョンソン著p111、114
スハルト大統領は、インドネシアの独裁者として30年間も君臨していた人物だが、それは欧米の利益に貢献してきたからにほかならない。しかし、1998年、アジア通貨危機の最中、年老いた独裁者はIMFやワシントンの強要する理不尽な経済政策の履行を拒絶した。その数ヵ月後、燃料費高騰を理由に激しい暴動が発生し、スハルトは辞任した。暴動で中国系の商店だけが襲撃されたのは、インドネシア経済を支える華僑・華人資本を国外に叩き出すためだった。この暴動を陰でコントロールしていたのは、米軍によって訓練されたインドネシア国軍の特殊部隊コパススだ。
人口80万人の小国、東ティモールの初代首相マリ・アルカティリも反乱軍と暴動により辞任した。マリ・アルカティリ首相は2002年の「独立」以来、東ティモールの天然資源を奪おうと画策するオーストラリアに対して、粘り強い抵抗を続けた。いつまでたっても屈服しないマリ・アルカティリ首相に業を煮やしたオーストラリアは、2006年に東ティモールで反乱と暴動を起こして、ついに彼を追い落とした。このときの反乱軍のリーダーは、かつてオーストラリアで亡命生活を送り、独立後、オーストラリアで軍事訓練を受けていた。彼の率いる反乱軍は山に立てこもったが、オーストラリアのPKFは何の行動も起こしていない。また、豪軍PKFは暴徒を捕まえても、その場でキャッチ・アンド・リリースした。
今回のミャンマーでの大規模デモも、これらとまったく同じ構図に見える。いつまで経っても経済を開放しようとしない資源国ミャンマーに、欧米がついに業を煮やし、市民や僧侶が蜂起したように見せかけて、政権を転覆しようとしているのではないのか。
●誰が欧米に協力したのか
10万人の大規模デモを計画指揮したのは、多くの政権転覆を手がけてきた欧米の機関だと考えられる。しかし、大規模な動員をするためには国内の協力者が必要だ。軍隊や警察、政党、反政府団体、犯罪組織などだ。インドネシアや東ティモールでは軍やギャングが使われたが、ミャンマーの場合、軍事政権なので軍や警察は最初から除外される。反政府団体や仏教界はすでに見たように組織的に少し力量不足だ。残るのはマフィアやギャングなどの犯罪組織ということになる。
犯罪組織なら外国の機関が水面下で接触するのに最も都合がよい。絶対服従の指揮命令系統を持ち、指令が素早く末端まで行き渡り、確実に実行される。大きな犯罪組織は、全土に展開しているので、各都市での同時多発デモも可能だ。情報収集力もあり、結束が固く、機密漏洩も少ない。そして、金で簡単にコントロールできる。隠密作戦には適任と言える。犯罪組織にとっても、欧米の画策に手を貸すことは、出る目の分かっている博打を打つようなものだ。すべての犯罪組織がこの賭けに乗りたがるだろう。
犯罪組織を使えば、短期間に大動員をすることは難しくはない。支配地域の有力者や商人組合、あるいはタクシー会社などの事業体を利用すれば効率よく動員することができるだろう。最初から選択肢など与えられていないので、動員漏れはほとんどないに違いない。10万という市民のほとんどは、こうした裏の経路で、鎮圧必至の危険な街頭闘争に立ったと考えられる。
デモの表舞台に立った僧侶は別の目的で欧米に利用されたと考えられる。こちらは最初から軍事政権に弾圧させるつもりだったのだろう。所在が明確な僧侶は、簡単に特定されて弾圧されるに決まっている。多くの僧侶が拘束され、いくつかの寺院が閉鎖された。大勢の僧侶が弾圧されれば、世界中で非難の声があがる。ミャンマーの場所さえ知らない人でも、僧侶が弾圧されたと聞けば怒りを感じるだろう。僧侶はそのために利用されたに違いない。
世界の主要メディアは、こうした場合、大国の意図を汲んで徹底的にサポートする。カストロやアジェンデ、フセインやタリバーン、スハルトやマリ・アルカティリは、メディアによって悪の化身のように描かれた。メディアはあらゆる手を尽くして大国の意図に沿った報道を心がける。その過程で、露骨な捏造報道さえ行われる。メディアとは大国の利益代表でしかない。メディアが総出で誰かを「悪」と決めつけたときは十分注意する必要がある。
ミャンマーの軍事政権は「大量破壊兵器」も持たず、「アルカイーダ」とも縁がないので、それに匹敵する悪の材料が必要だったのだ。その答えが「僧侶弾圧」だ。それはまんまと成功したようだ。
その裏で、実際の動員を行った犯罪組織は、もともと地下世界の住人なので、特定されることもなく無傷で温存されているだろう。そして必要なときに何度でも利用できる。ミャンマーが首尾よく「民主化」された暁には、犯罪組織には多くの利権がタックス・フリーで与えられるだろう。欧米のために働いた者は、「民主化」の貢献者として最大限に優遇される。アフガニスタンの軍閥群は実質的な治外法権を与えられ、世界のヘロインの90%を生産密売している。
いま、世界中の人々はミャンマーの軍事政権の倒れる日を待ち望んでいるに違いない。しかし、欧米の手でミャンマーが「民主化」されたとき、ミャンマー国民に待っているのは、いまだかつて経験したことのない苦痛と困窮である。「民主化」後になだれ込んでくる欧米の企業や資本は、国民の困窮を尻目に、天然ガスや鉱物資源、ルビーや翡翠などで笑いがとまらないほど儲けることだろう。軍事政権の方がましだった、と思っても手遅れなのだ。そのときには、あらゆるものが元には戻せないほど徹底的に破壊されている。
欧米の唱える「民主化」という言葉には、とても恐ろしい罠が仕掛けられている。
ミャンマー : 欧米の唱える「民主化」の罠 :資料編
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/c9865ebef8e92452c5c3abfda62b8184