報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモール報道:小出しにされる真実

2006年07月11日 20時18分13秒 | ■東ティモール暴動
いま、小さな東ティモールで起こっていることは世界の縮図だ。それが非常に分りやすい形で進行している。

東ティモールで起こっていることは、決して東ティモール固有の内的な事件ではない。しかし、そうした観点からはほとんど検証されていない。

ただ、面白いのは、当のオーストラリアのメディアが散発的に東ティモールの出来事の裏事情を報じていることだ。それはまるで、豪メディアのまわり持ちのようだ。もちろん、まわり持ちなどではない。

メディア同士というのは、常にまわりのメディアの報道を気にしている。それは、”トクオチ”を心配しているからではない。自分のところだけがうっかり”真実”を報じてしまったら、大変なことになるからだ。

どこまで書いていいのかを、互いの報道を見ながら判断しているのだ。その中で、一社が物事の真実の一端を報じたら、すかさず他社も別の側面を報じる。

そうしたメディア間の力学を理解していれば、報道内容ではなく、報道の姿勢からいろいろなことを読み取ることができる。ただし、何があっても真実の全容が報じられることだけはない。


オーストラリアの”The Age"紙が、昨日、東ティモール暴動にまつわる、真実のほんの一端を報じた。含みの多い内容なので、僕自身、何を指しているのか理解しづらい部分もある。しかし、記事の内容そのものよりも、豪紙がこうしたことを報じはじめている姿勢に、様々な情報が詰まっている。

『東ティモール : 我々が告げられなかったストーリー 』
The Age
July 10, 2006
前首相アルカティリは、自国の混沌に対して非難されてきた。しかし、アルカティリへの告発者たちは、誰が暴力をはじめたかについては説明してこなかった、とジョン・マルティンクスは書いている。

三週間前、私は東ティモールにいたが、失脚した首相、アルカティリが当初からずっと言い続けていたことを、東ティモール国防軍の上級将校が裏付けた。: 昨年の4月から、軍の上級指揮官たちによって政府に対するクーデターが三回企てられていた。

以後、何が起こったかを考慮すれば、それは明らかだ。
政府を打倒するための組織化されたキャンペーンが行われたのだ。

内部ではよく知られたその動機は、指揮官との関係を絶ち、武器を取る国防軍内の下士官のグループの支援を、反アルカティリ派が募ったのだ。

彼らは、5月23-24に国防軍を攻撃した。ディリでの、突然の広範な政情不安によって、国際軍が要請されることになった。そのあと、西部からのギャング団は、フレティリン政府を支持する東部出身者だと思われている人々の資産に対する破壊行為を行った。そして、海外メディア(主にオーストラリアの)によって、最終的に首相の辞任につながる継続的な内容の報道が行われた。

この作戦の背後にいる黒幕は、その正体の痕跡を残さないだろう。したがって、恐怖で家に帰れなくなった15万人の難民を出した破壊行為と、彼らとの関係を解明するのは難しい。
こうした難民の窮状は、アルカティリの退陣を求めるグループ(難民を出した最初の暴動を起こしたのと同じグループだが)によって利用された。それは、控えめに言っても、卑劣で皮肉な政治工作だった。

ほとんど全メディア共通のフレティリン党批判にもかかわらず、その政党が(好きか嫌いかは別にして)、来年の5月までの広範な統治権を保持している。こうしたいつくかの明白な疑問が存在するにもかかわらず、いまだにオーストラリアのメディアはその問いに答えようとしていない。国連が自由で公平と宣言する選挙の統括権を(メディアがこぞって批判する)フレティリン党が獲得したのにだ。

まず第一に、いったい誰が暴動をはじめたのだろうか?
他の国では、もし、政治に不満な一群の兵士が、つまりアルフレド・レイナドの部下が5月にしたように、武器を取り、そして軍に攻撃をしかけたら、間違いなく逮捕されているだろう。

ちょっと想像してほしい。たとえば(豪の)北部地区で訓練中のオーストラリアの兵士たちが無断外出をして、彼らを追跡中してくる兵士を銃撃したら、どうなるだろうか。彼らは、タクティカル・レスポンス部隊に撃ち殺されるだろう。よくて軍刑務所行きだ。

しかし今回、レイナドの部下にはオーストラリアのSASのボディガードがつき、彼らが持ち出した若干の武器を返還したあとは、自由のままでいるのだ。

第二に、フレティリン政府を支持しているとみなされる東部出身者の家を広範囲に襲撃した、ギャング団はいったい何者なのか?私は、東ティモール駐留オーストラリア軍の指揮官、ミック・スレイター将軍に訊いてみた。

「明確なグループ群だった。それをギャング群と呼ぼう。彼らは、明らかにギャングの世界以外の人物によって、操られコーディネイトされていた。それは絶対に真実であると私は強く感じる」と将軍は言った。

アルカティリの辞任後も、フレティリン党メンバーや東部出身者の家は、いまだ標的にされている。難民も脅迫されている。そのことが、この暴動の背後に潜む者の正体を如実に物語っている。

三番目に、誰によって、アルカティリに対する非難が行われたのか。そして、彼らは立ち上がったのか?暴動が鎮まった後は、反アルカティリ派は、違った作戦を取ったように見える。

アルカティリの指示による虐殺の犠牲者が、60、70、80人、あるいは500人以上も、集団埋葬されているという主張と噂だ。噂とは、その連鎖が深いほど効果的だ。

ディリに滞在する我々と、あといくつかのメディアはこの噂の検証を試みた。死亡者のリストと思われるものを聖職者が持っていた。しかし、それは犠牲者のリストではなかった。そして、この説はうやむやになった。

次ぎは、”For Corners”によってリポートされた、アルカティリの暗殺隊と呼ばれるものの説だ。他のリポーターたちは、このグループを探しに行ったことがあった。しかし、そのうち何人かはリポートしないことにした。

彼ら(暗殺隊)は、カラスカラン一家の家にいる、というリポーターたちの説は真実とは思えなかった。

カラスカランは、東ティモールの由緒ある家柄で、1975年にフレティリン党とともに短い市民戦争を戦ったUDT党を設立した。要するに、これらの人物は打ち砕いておくべき有力者なのだ。

意味を成さなかった他の暗殺隊説もあった。5月24日に、国防軍の基地が攻撃されたとき、レイナド・グループの兵士と一緒に、暗殺隊の者が、国防軍攻撃の一翼を担ったというのだ。
これはアルカティリが、ディリにいた私に直接指摘した矛盾点だ。「どういった類のフレティリンの秘密グループなのか。彼らは、国防軍とも戦うのか?まったく矛盾している」と。
(注:レイナドは反アルカティリである。そのレイナドがアルカティリの組織したとされる「暗殺隊」と行動をともにするのは矛盾する、ということだ。)

以上の疑問点は、危機が始まって以降、首相を追い詰めようとしていたオーストラリアのメディアによって検証されることはなかった。それは、特に驚くべきことではない。彼ら特派員は、アルカティリを非難する(報道の)大合唱に圧倒され、(報道の)隊列を乱すことを恐れたのだ。

端的に言って、東ティモールの公職者を反政府へと向わせようとした者の試みは成功したように見える。しかし、それは、15万人ものティモール人を犠牲にすることになった。それならば、単に来年の選挙を待った方が、はるかに容易で確実だったはずだ。

ジョン・マルティンクスは、1995年以来、東ティモールをリポートしてきた。彼の本、” A Dirty Little War: An eyewitness account of East Timor's descent into hell 1997-2000”は、NSWプレミアズ賞の最終選考まで残った。
The Age
"East Timor: the story we weren't told"

http://www.theage.com.au/news/opinion/the-story-we-werent-told/2006/07/09/1152383608905.html

※訳出には正確さを欠く部分もあるかもしれません。
 素人の訳出であることをご了承ください。


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