タクシン派団体UDDのデモ隊から首相府を守る軍警備隊 2009年2月1日 バンコク
海外で逃亡生活を送っているタクシン・シナワット(Thaksin Shinawatra)元タイ首相(以下敬称略)は、タイ国内に莫大な資産を保有している。
その額は、邦貨にして約2220億円(766億バーツ)。
ただし、タイ政府によって全額を凍結されていた。
タイ最高裁は、その資産の約6割を不正蓄財と認定し、没収を決定した(2月27日)。
不正蓄財と認定された額は、約1350億円(464億バーツ)。
タクシンは首相在任中のたった5年半で、これだけの不正蓄財を作った。
しかし、タクシンは海外にも相当額の資金を逃避させているようだ。政変で国を追われる直前の外遊の際、航空機2機に合計114個ものスーツケースを積み込んだことが確認されている。もし、国外に資金を保有していれば、それも不正蓄財の疑いが濃い。海外の隠し資金については憶測の域を出なかったが、2007年にその存在が明らかになった。
タクシンは、スイスの新聞とのインタビューの中で、スイスの銀行口座をタイ政府が凍結した、と怒りの発言をした。口座を凍結した銀行は複数で、それらを提訴するとも息巻いた。このニュースがタイに伝わると、タイ当局は、何のことを言っているのかさっぱり分からないとコメントした。口座凍結の要請など行なわれていなかった。おそらく、スイスの銀行が独自の判断で、不正の疑いのある預金として凍結したのだろう。近年のスイスの銀行は不正預金の早期発見と凍結、そして当該国への返還に積極的に取り組んでいる。
タクシンは怒りで冷静さを失い、海外の隠し資金の存在を自ら公表してしまったわけだ。彼は自分の大失態に気付いて、一転して資金と口座の存在を否定し、メディアの「誤報だ」と言い出した。一人で勝手に大騒ぎして、タイ政府をののしり、一人で勝手にうろたえて、なかったことにしようとした。
タイ当局は、タクシンの海外資金の実態をつかんでいるようだが、詳しい数字や所在は公表されていない。タイの英字紙は約1450億円(500億バーツ)と予想しているようだ。没収が決定した約1350億円と合わせると、5年半の首相在任期間中におよそ2800億円もの不正な蓄財を形成したことになる。もし、タクシン政権が存続していたとしたら、いまごろ不正蓄財の大山脈を築いていたかも知れない。
しかし、タクシンの不正蓄財を非難するような外国メディアの報道はほとんど見当たらない。世界のメディアは、タクシンの不正にはとても寛容だ。タクシンは、何か特別な免罪符でも持っているのだろうか。
故マルコス元フィリピン大統領は、世界で最も腐敗した大統領の一人と言われるが、20年かけてスイスの銀行に積み上げた不正蓄財は、約600億円(6億8400万ドル)だ。
※為替レートは4月6日現在で換算
タクシン政治の腐敗と人道に対する重大犯罪
タクシンは5年半の首相時代に、露骨ともいえるネポティズム(縁故主義)を政府内にはびこらせた。政府組織や軍、警察などの重要ポストにはタクシンの一族や腹心、タクシンの警察士官学校同期生などが配置された。能力よりも自分とのつながりの濃さや服従心が重視される。国民の利益よりもタクシンの利益を優先するイエスマンたちが政府を牛耳った。こうした行為は、独裁国家に見られる政府の私物化と同じであり、民主主義とは対極にある行為のはずだ。
タクシンは、親族やイエスマンを配置した政府機構を利用して、莫大な不正資産を積み上げていった。かねてからタクシンは、個人資産を家族や使用人名義に変え、所得隠しを行なっていたが、その程度はもはや子供だましだ。首相になってからは、株価操作、インサイダー、資産隠し、脱税、マネーロンダリング等々、蓄財のためのあらゆる不正行為が可能になった。タクシンは不正の利益率をさらに高めるために法律さえ変えた。そして、家族名義で所有していた通信会社をシンガポールの投資会社に売却して、一度に2120億円(733億バーツ)という途方もない巨利を得た。もちろん税金も逃れている。
こうしたタクシン政治の露骨なネポティズムや不正腐敗を、タイのメディアが追求すると、タクシンは他者を介してメディアの株式を買収し、経営権を掌握しようとした。買収攻撃を跳ね除けたメディアもあるが、タクシン擁護に変身したメディアもある。タクシンは、不都合な記事を書いた外国メディアの特派員を国外追放にもしている。
タクシンは、多くの人命を奪う残虐な政策も実行している。国際人権団体が告発し続けているタクシンの「麻薬撲滅戦争」だ。麻薬撲滅という名のもとに、たった数ヶ月の間に2500人もの命が奪われた。これは意図的な処刑だったとも言われている。しかし、このうちの1400人は麻薬とはまったく無関係の人々だったことが判明している。なぜ麻薬組織とは無関係の大勢の市民が殺害されたのか。タクシンの逃亡後に調査が行なわれたが、証言を拒む関係者が多く、調査は頓挫してしまった。タクシンはもともと警察エリートであり、妻の親族にも警察高官が多い。警察機構を使ったテロルや脅迫はそれほど難しいことではない。
タクシン政治の不正や腐敗、非人道性には疑いの余地はない。しかし、欧米や日本のメディアは、こうしたタクシン政治の実態にはひたすら目を瞑り、タクシンをまるで民主主義の旗手のように描き、エールを送り続けている。
ニューズウィーク日本語版オフィシャルサイトに掲載されている「タイ新首相を悩ますタクシンの真実」という記事はとても興味深い。
「タイ新首相を悩ますタクシンの真実」2009.04.28
http://newsweekjapan.jp/stories/world/2009/04/post-101.php
最後まで読んでも、「タクシンの真実」が発見できない。
タクシンにやさしい国際社会
民主主義や人道の理念からほど遠いタクシンだが、国外逃亡以来、多くの国が彼を厚遇している。これまでタクシンが滞在した国は、イギリス、香港、シンガポール、中国、カンボジア、ドバイ、モンテネグロ、スイス、スウェーデン、ロシアなど広範囲にわたっている。ロンドンを恒久的な滞在拠点にするつもりだったようだが、タイ最高裁が有罪判決(土地の不正取得、禁固2年)を下したことにより、英国政府はタクシンのビザを停止した(2008.11 )。
この判決を受けて、タイ外務省はタクシンの外交旅券を無効化し(2008.12 )、その後、一般旅券も無効化した(2009.04 )。本来なら、タクシンは本国へ送還されるところだが、タクシンは複数国からパスポートを取得していた。現在その数は6カ国と報じられている。本名は国際指名手配されているので、ニカラグア、ウガンダ、モンテネグロのパスポートには別名(Takki Shinegra )が記載されているという。タイ外務省は、この別名も国際刑事警察機構に通報している。
タクシンが正式に国際指名手配されても、多くの国が身柄の引渡しに応じていない。特にカンボジア政府は引渡しの拒否どころか、タクシンを政府の正式な経済顧問に就任させた。そのため、タイとカンボジアの外交関係が険悪化し、双方の大使を召還する事態になった。タイ政府はカンボジアへの借款も停止した。また、タイからの観光客が減少し、カンボジアの観光産業にも大きな打撃を与えると予想されている。カンボジアのフン・セン首相は国益を損ねてまで、なぜ一個人を庇護するのだろうか。
タクシンは国を追われてまだ半年ほどにしかならない頃、英国のプレミア・リーグに所属するマンチェスター・シティの買収を計画して注目を集めた。このとき国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチは、売却に反対する意見書をプレミア・リーグに提出した。タクシンには市民虐殺という重大犯罪の嫌疑があり、世界で最も視聴されているサッカーリーグのチームオーナーとしては不適格であるという内容だった。しかし、プレミア・リーグは「厳格な審査をパスしており、問題はない」とにべもなく答えた。イメージを極端に気にするスポーツ界にしてはあまりにも不可解な対応というしかない。タイガー・ウッズは自損事故と不倫で、スポンサー契約を次々と解約されたというのに。
タクシンは、英国のビザを停止されたあと、アラブ首長国連邦のドバイに拠点を移したが、それを知ったタイのイスラム委員会は、ドバイの首長宛に、タクシンの追放と入国禁止措置をとるよう要請した。理由は、タクシン派の団体UDDがイスラム寺院を攻撃したこととされているが、本当の理由は、タクシンが首相時代に行なったイスラム系住民に対する弾圧政策であることは間違いない。ドバイは現在でもタクシンに滞在を許している。
タクシンはすでに正式な市民権も取得しているかも知れない。パスポートを得た国のひとつモンテネグロでタクシンが目撃されたとき、地元の警察当局はタクシンの市民権を確認していると報じられた。この報を受けて、モンテネグロの野党は、実刑判決を受けた者に対する市民権とパスポートの付与は違法であるとして、外務大臣に事実関係の確認を要求した。
世界のメディアがタクシンの不正や疑惑に目を閉ざす一方で、世界の多くの国がタクシンに様々な便宜を供与している。その理由はいったい何だろうか。軍事クーデターで追放された大金持ちの元首相だからだろうか。それだけでこれほど異例の扱いを受けるとは思えない。不自然な出来事には必ず理由がある。利用価値もない者を優遇するほど、国際政治はやさしくはない。タクシンが異例の扱いを受けているのは、タクシンには何らかの利用価値があるからだ。
王室をも軽んじたタクシンの本心
首相時代のタクシンの振る舞いの多くは少し極端に見える。彼のやり方は、意志が強くて大胆というよりも、ただ強引で乱暴だ。ブルドーザーのように有無を言わさず邪魔者をなぎ倒し、一片の慈悲もなく踏み潰していく。彼の手法は、洗練さとはほど遠い。露骨なネポティズムとなりふり構わぬ蓄財。うるさいメディアは株式を買収して支配する。そして、短期間に何千もの人命を奪った冷酷な作戦の実行。法的にも倫理的にも、完全に許容範囲を越えている。タクシンは自分の政策や言動が常軌を逸脱していることに気付いていない。絶対的権力を手中にしつつあったタクシンの慢心は止まるところを知らない。
結果的に、タクシン路線は破綻し、国を追われてしまったわけだが、その後のタクシンは、世界の大手メディアの惜しみない援護射撃を受け続けている。数々の巨悪を暴いてきた世界の著名なメディアが、なぜ自分の過去の不正はいっさい取り上げないのか、タクシンは不思議に思っているだろうか。それとも、いつかは外国メディアが自分の悪事をつぶさに報じるのではないかと戦々恐々としているだろうか。タクシンがそんなことを心配しているようには見えない。世界のメディアは自分の味方であるという確信があるようだ。
世界のメディアと多くの国の支援に支えられて、タクシンの慢心はまったく衰えを見せていない。では、首相時代のタクシンの過剰なまでの自信と慢心はいったい何に支えられていたのだろうか。
タクシンは資産家出身ではあるが、自身は警察勤務の公務員であり、高収入職ではなかった。しかし、タクシンは警察時代から事業を手がけて副収入を得ていた(タイでは可能)。87年に警察を辞して本格的に事業活動を開始した。そして10年ほどで財閥を形成するまでに成長した(携帯電話、ケーブルTV、通信衛星)。財を成したタクシンは、94年に政界に進出し、外務大臣や副首相を経験した。そして98年にタイ愛国党(現プアタイ党)を設立する。そして結党から3年後の2001年1月の選挙で、最大議席を獲得して政権を取った。それからほんの5年半ほどで政府を私物化するまでに成長した。
絵に描いたような立身出世物語だが、ここまでなら、それほど珍しい話ではないかも知れない。しかし、得意の絶頂にあるタクシンが、タイ国王や王室を軽視するような言動を繰り返したことについては、少し理解を超えている。たった5年半で、人間がそこまで慢心できるものだろうか。
首相という立場にある者なら、国王や王室に対する発言や態度は、慎重の上にも慎重になされるものだ。絶対的権力を手中にしつつあるタクシンの慢心が高じて、つい調子にのってしまったというようなことは考えられない。タクシンがそれを行なったということは、彼は王室に対する敬意など持ち合わせず、それを隠すつもりもなかったということだ。彼に対する猛烈な反発も、気にしていなかったように見える。
王室を軽視するようなタクシンの言動は、慢心が高じた果ての不遜な行為などではなく、明確に意識して行なっていたとしか考えられない。人がそれをするとき、自分が王に取って代わるつもりか、王制を無きものにするつもりかのどちらかしかないだろう。タクシンは地方を回って、自分を国王のイメージにダブらせるような努力もしている。
タクシンが絶対的権力を確立するためには、タイ国王と王室が最大の障壁であったことは間違いない。タイでは、すべての法律や人事は、国王が署名することで発効する。国王は署名を拒否することで、法律や人事に対して異議を唱えることができる。タクシンが不動の権力者になるためには、タイ国王と王室の排除は不可欠の要素だ。タクシンは、はっきりと国王と王室を射程にとらえていた。タクシンは、消えゆくものに敬意を払うつもりなどなかったのだ。
タクシンが国を追われて以降、ネット上では、タイ国王や王室に対する批判的なサイトが急増した。動画投稿サイトのユーチューブには、タイ国王を侮辱するような動画が投稿され、タイ当局がユーチューブへのアクセスを遮断するという出来事があった。この措置に対してユーチューブ側は、「ブッシュはもっとひどい扱いを受けている」と抗議した。ブッシュとタイ国王を同列に論じるユーチューブの言い分は理不尽というしかない。タイ国王は、他国を武力占領していないし、爆撃も命じていない。ユーチューブの主張が通用するなら、たいていの名誉毀損は正当化される。
イギリスの週刊新聞The Economist紙は、タクシンが海外逃亡して以降、タイ王室に関する批判記事を何度も掲載している。同じくイギリスのTIMESonlineは「国王の死で‘ 輝かしい’時代が到来、タクシン・シナワット元タイ首相」という生々しいタイトルのインタビュー記事を掲載した。この記事がタイで波紋を呼ぶと、タクシンはまたしても自分の発言を否定した。しかし、このインタビューのスクリプトは同サイトで公開されている。
世界の長者番付を毎年発表するフォーブス誌は、2008年の世界の王族の資産第1位をタイ国王と報じた。フォーブス誌は、タイ国王の資産をなぜか前年の7倍にも見積もった。突然、タイ国王の資産が増加したわけではない。タイ王室財産管理局は国王の個人資産でないものまで含まれていると発表した。フォーブス誌はなぜ、このタイミングでそのような計算間違いをしたのだろうか。
タクシンの明らかな不正や腐敗、虐殺容疑には目も耳も口も頑なに閉ざすメディアが、なぜタイ国王や王室は批判するのか。王室の排除を目論むタクシンの追放と同時に、英米のメディアがタイ王室を批判的に取り上げるのは、どこかにタイの王制を廃止したいと望むコンセンサスが存在するのかも知れない。
しかし、ひとつ疑問がある。首相時代のタクシンが、いくら権力を持っていたとしても、はたして王制を廃止できるほどの勢力を形成していたかというと、とてもそうは思えない。タイ国内には、王制廃止などというコンセンサスは存在しない。伝統的勢力は、高い防波堤を築いて王室を庇護している。タクシンが選挙で圧倒的多数を獲得したといっても、それはばら撒き政策のおかげであって、票には王制廃止の合意など含まれていない。王制廃止は、慢心極まったタクシンが夢見た単なる妄想だったのだろうか。
ただし、当時のタイ国内を見渡してみると、ひとつだけとても特殊な勢力が存在していた。それは政府の中の政府のようなもので、タイ国内の組織ではなく、外からやってきた。そして、それはタイ政府に対してあれこれ指図する立場にあった。IMF(国際通貨基金)だ。タイは1997年から2003年まで、経済主権をこのIMFという国際機関に明け渡していた。IMFはあたかも占領軍のように、タイ政府に命令を下していた。IMFは国連傘下の機関ではあるが、国連の干渉はいっさい受けず、完全に自由裁量で活動をしている。
アジアのトラを狩れ
1990年代はじめ、アジア経済は世界から惜しみない賞賛を浴びていた。「東アジアの奇跡」「世界経済の成長センター」と呼ばれ、驚異と羨望の目で見られていた。成長を続ける東アジア経済は、欧米の経済理論ではまったく説明のつかない、まさに奇跡と映った。バブル崩壊後の低迷する日本をよそに、東アジア諸国は着実に経済成長を続けていた。
ところが、1997年、東アジア経済は突如崩壊する。タイバーツの暴落を発端とするアジア通貨経済危機だ。通貨危機に陥ったタイ、韓国、インドネシアはIMFの緊急支援を受けざるを得なかった。本当は、日本の豊富な外貨から数兆円程度を貸出せば、タイの危機はすみやかに終息したはずなのだが、IMFとアメリカ財務省は日本主導の支援を許さなかった。そして、タイ、韓国、インドネシアの地獄がはじまった。
タイ王国は、外国の支配を受けたことがないという輝かしい歴史を持っていたが、このとき、経済主権をIMFに明け渡すという屈辱を味わった。IMFは過酷な政策の実施をタイ政府に要求した。金融の引締めや緊縮財政などだ。拒否する権利はいっさいない。そのためIMF占領とも呼ばれる。IMFが要求した高金利政策の実施にによって、資金調達できなくなった多くの企業が倒産した。そのため不良債権が増加した銀行は貸出を抑制し、さらに倒産を増やした。失業者が増加し、消費は縮小した。多くの銀行や企業が外国資本に売却された。IMFの政策によって、通貨危機は経済危機へと拡大していった。タイ国民の間には、IMFへの不信感が高まった。
IMFは当該国に乗り込むと、個々の事情などいっさい考慮せず、常に同じ政策を実施する。自由化、民営化、規制緩和を柱とする構造改革だ。資本規制や輸入規制を撤廃することで、外国資本の自由な出入りと活動の土壌を造る。市場メカニズムや自由競争と言えば聞こえはいいが、弱肉強食型の経済構造は規模の大きな外国資本や外国企業に圧倒的に有利だ。自由競争が、公平な競争を保証しているわけではない。IMFの構造改革によって引き起こされる結果は常に同じだ。経済成長力は失われ、大多数の国民は貧困化する。一部の特権階級に富が集中し、国家は私物化される。
IMFはアジアの救済に来たのではなく、外国資本にトラ狩りの狩猟場を提供するために来たのだ。このIMF占領から逃れる術はなかった。タイ、韓国、インドネシアの成長経済は息の根を止められる運命にあった。
ところが、IMFは占領政策を途中で緩めざるを得ない事態になった。マレーシアのマハティール首相がIMFの前に立ちはだかった。マレーシアも通貨危機に陥ったものの、マハティールはIMFの支援を断固拒否して、IMF路線とはまったく逆の政策を実施した。マハティールは国際的非難を浴びたが、マレーシア経済がすぐに回復しはじめることは、IMFにはわかっていた。マレーシアが本格的に経済回復して、IMF占領組みの経済が破綻すれば、今度はIMFが非難を浴びるだろう。IMFはやむなく占領政策を緩めた。金融引締めを解除し、銀行貸出を増加させた。窒息寸前だったタイ、韓国、インドネシアの経済は息を吹き返した。マレーシア経済は言うまでもない。
97年に危機が発生し、翌98年のタイ、韓国、インドネシア、マレーシアの経済成長率は大きなマイナスとなったが、99年にはタイ、韓国、マレーシアは大幅なプラス成長となった。インドネシアも2000年にはプラス5%になっている。この4カ国は以後、ほぼ4~6%台の成長率を維持し続けている。通貨危機の初期段階で、もし日本が必要な資金をタイに供給できていれば、被害はほんの軽微で済み、周辺国への影響もごく小さかったはずだ。IMFの政策こそがアジアの通貨危機を経済危機にまで拡大させ、その影響を世界中に及ぼしたのだ。
マレーシアのマハティールの存在が、IMFに政策の緩和を余儀なくさせたが、その後もIMFがタイの経済主権を握っていることに変わりはなかった。IMFは占領軍としてタイの政府内政府として絶大な権限を保持していた。