6月18日(2012年)、時事通信社の社長が引責辞任した。
理由は、記者が起こしたある不祥事だ。
その不祥事も、それにともなう社長の辞任も、とりたてて関心を呼ばなかった。
出来事のあらましは、数行におさまる。
6月13日、時事通信社のワシントン支局が配信したある記事の発信地表示が、「 ワシントン共同 」 になっていた。この記事を執筆した時事通信社の記者は、共同通信社が配信した記事を参考にした際、発信地表示までうっかり選択して自分の記事にコピー&ペーストしてしまったのだ。
ただそれだけのことだ。
メディアによる海外発信の記事には、発信地表示がなされる。新聞社による自社取材の場合は、【テヘラン=報道太郎】、【ムンバイ報道花子】のように発信地と記者名を表示することが多い。通信社の場合は、【パリ時事】、【カイロ共同】のように発信地と自社名が入る。
地方新聞社などが、通信社の配信記事を使用する場合は、この発信地表示をそのまま掲載するのがならわしとなっている。したがって、地方新聞社の記事に【パリ時事】、【カイロ共同】などと入っているのはごく普通のことだ。
しかし、通信社自身が取材し、配信した記事の発信地表示に、他社の社名を入れてしまうというのは、到底考えられないミスだ。ソニーが自社製品を「パナソニックVAIO」と発表するようなものだ。そういう意味では、この出来事は地味ではあるが、前代未聞だったとは言える。
ニュース配信がよりリアルタイム性を重視するようになって、チェック体制が杜撰になっていることの証とも言えるが、たとえ、入念に校閲したとしても、発信地表示だけは無意識にスルーしてしまうかも知れない。いずれにせよ、これは事件というより、珍事の部類にしか見えない。
社長を引責辞任に追い込むほどのインパクトのある出来事だとは思えない。メディアの記者が不祥事を起こした例は過去に何度もある。それでトップが責任をとったという話は聞かない。記者の行為が大惨事を引き起こしたケースでさえ、当該メディアの社長は辞任していない。
時事通信社の社長は、辞任に際して「このような行為が繰り返されたことは極めて遺憾。監督責任を明確にし、信頼回復の第一歩とする必要があると判断した」と説明している。時事通信社は昨年も、共同通信社の記事を盗用しており、同様の出来事が二件続いたため、社長の引責辞任につながったということらしい。しかし社長人事は、5月に留任が内定したばかりであり、いわば、留任取止めにすぎない。痛みがともなうような辞任ではない。
一般の関心を呼ぶこともなかったお粗末な珍事と社長の辞任劇だが、ここにこそメディアの実態が浮き彫りになっている。
模倣こそメディアの本質
今回の出来事に対して、「盗用」や「剽窃(ひょうせつ)」という表現も可能だ。しかし、見方を変えれば、単に他社の記事を「参考」にしただけとも言える。どこまでが「参考」で、どこまでが「盗用」であるかの境界線は誰にも引けない。
ニュース記事というのは、元になる事件や出来事、あるいは発表などがあって始めて成り立つ。同じ出来事を取材したり、同じ発表を土台にすれば、似たような表現になってもおかしくはない。締め切りがあり、文字数にも制限がある以上、常套的な慣用表現の多用は避けられない。したがって、表現が酷似していても、もともとそれほど問題にはされない。
しかし、より正確に言えば、報道というのは同じようなものであることが常に求められていると言える。メディアの論調が頻繁に食い違うという現象は歓迎されない。メディアの論調は似たり寄ったりであることが理想なのだ。つまり、どの新聞を読んでも、どのチャンネルを見ても、退屈なほど同じようなニュースでしかないことが望ましいのだ。そうした環境の中では、コピー&ペーストで原稿を仕上げてしまったとしてもまったく不思議ではない。
メディアの役割というのは、必要に応じて読者や視聴者を適切な位置に誘導することだ。サダム・フセインを憎悪し、カダフィ大佐を嫌悪するように仕向けるためには、メディアの論調が整然と揃っていなければならない。横一線に並び、足並みをそろえ、一糸乱れぬラインダンスを踊ることが、メディアの最大の使命だ。事実や真実などはどうでもよいのだ。
世界のメディア界というのは見えないピラミッド構造を成しており、高位層と食い違う報道は決して許されない。そのためには、アップストリームの動きに注意を払い、主旨を適格に理解し、足並みを乱さない報道を心がけなければならない。つきつめれば、積極的に模倣した方が危険が少なく、しかも手っ取り早い。メディア界は、上流から下流への模倣の連鎖で成り立っている。調査報道や独自取材などただの看板にすぎない。模倣で事足りる世界なのだ。そしてそれこそが、メディアの正しいあり方なのだ。
世界のメディアが集まるような取材現場では、最上位に君臨する少数のメディアは王侯貴族のように振舞う。全世界のメディアにご託宣を示す神官的存在であることを自負している。しかし、建前的にはメディア界には階層も序列もランクもないことになっている。現場での神官たちの態度や振る舞いに納得いかないものを感じる報道関係者は多い。だが、見えないピラミッドは厳然とそそり立っている。その階層構造は恒久的に不変だ。神官のご託宣を無視できるメディアは存在しない。かくして、「サダムは悪だ!」とご託宣が降りれば、世界のメディアの論調は瞬時に統一される。
露骨であるかないかの違いを別にすれば、模倣こそメディアの本質そのものだと言える。模倣しないメディアには災難さえふりかかる。独自の報道を展開していたころのアルジャジーラは、実にさまざまな災厄を経験した。記者の命さえ奪われた。そうしてメディアの美徳を徹底的に叩き込まれた現在のアルジャジーラは、無数のラインダンサーの一員になった。
優れたメディアは、神官の託宣が降りる前にピタリとそれを言い当てるだろう。
儀式
おそらく日本のメディアは世界で最も美しいラインダンスを踊る。日本には世界でも稀な記者クラブという制度がある。日本の主要な官公庁や公的機関などには必ず設置されている。メディアは、記者クラブ制度によって常に同じ情報を共有できる。そこには情報獲得のための努力や競争は存在しない。ただし、雑誌社やフリーランス、外国メディアを排斥する排他的姿勢を伝統的に固持している。この特権的な記者クラブの維持費は、設置されている当該機関が負っている。つまり、ほとんどが税金だが、法的根拠はいっさいない。ある試算によるとその総額は年間100億円を超えている。
日本の若者が意欲に燃えてメディアに入社したとしても、ほんの数年で現実を知ることになる。記者クラブで待っているだけで、発表が運ばれてくる。それを右から左に流すのが主要業務だ。能力を発揮する場はどこにもない。へたに熱意を形にしようとすれば即座に叩かれる。杭は同じ高さであるから強度を持つのだ。ほどなく意欲は失われ、惰性の日々を送る。わざわざ頭を使って書くよりも、他社配信の記事を参考にして、そっくりの記事を書いたほうが、おそらく評価される。模倣を潔しとしない者は、一生うだつがあがらない。
したがって、コピー&ペーストで記事を書くことは、別段騒ぐほどのことではない。それは、メディアの日常業務を最も先鋭化させた行為だとさえ言える。件の記者の犯した過ちは、コピー&ペーストで記事を仕上げたことにあるのではない。
問題はメディアの本質と実態を、目に見える形で(ほんの40分間とはいえ)公衆に晒してしまったことにある。もちろん、そんな出来事があったことさえほとんどの読者は知らない。また、知られたとしても、それでメディアの本質を見抜かれることなどない。ところが、実態を晒されてしまった業界側は、針の穴から堤防が決壊するかのような恐怖を味わったかも知れない。あるいは、見たくもない自身の真の姿を突きつけられたことに対する怒りを感じたかも知れない。
コピー&ペーストからほんの数日で社長の形式的引責辞任に至ったのは、模倣を戒めるためではなく、二度とそれを世間の目に触れさせてはならないということを、記憶の新しいうちに、業界全体に周知徹底するための通達儀式だったからだ。
メディアには間違いなく有能な人材があふれている。
しかし、持てる能力を自ら封印し、模倣の日々を送るのが勤めなのだ。
優れた人材の能力を永遠に閉じ込めておくブラックボックス。
それがメディアという機関のもうひとつの重要な役割だ。
<参考資料>
2012.06.13 時事が記事の発信地に「共同」 共同通信に謝罪
http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061301002009.html
2012.06.13 時事通信社、発信地表示に「共同」 配信記事をコピー
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1304J_T10C12A6CR8000/
2012.06.14 「ワシントン共同」で始まる時事通信記事…謝罪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120613-OYT1T01074.htm
2012.06.14 時事通信の配信記事が「ワシントン共同」に 記者は「コピペ」で記事書いているのか
http://www.j-cast.com/2012/06/14135678.html
2012.06.14 時事通信社、共同の記事をコピペ ワシントン支局の記者
http://www.asahi.com/national/update/0613/TKY201206130641.html
2012.06.18 時事通信社長が引責辞任 記事のコピー配信で
http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061801002139.html
2012.06.18 コピー記事配信問題:時事通信社長が引責辞任
http://mainichi.jp/select/news/20120619k0000m040067000c.html
●<時事の記者が「参考」にしたと思われる共同配信の記事(日経新聞/キャッシュ版)>
2012.06.13 米、オランダING銀に罰金490億円 制裁違反で
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:AupRuwQTJRwJ:www.nikkei.com/news/print-article/%3FR_FLG%3D0%26bf%3D0%26ng%3DDGXNASGM1300Q_T10C12A6EB2000%26uah%3DDF_SOKUHO_0003+%E7%B1%B3%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%EF%BC%A9%EF%BC%AE%EF%BC%A7%E9%8A%80%E3%81%AB%E7%BD%B0%E9%87%91490%E5%84%84%E5%86%86%E3%80%80%E5%88%B6%E8%A3%81%E9%81%95%E5%8F%8D%E3%81%A7&cd=13&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
●<訂正後、再配信されたと思われる時事配信の記事>
2012.06.13 INGに過去最高の罰金=金融制裁違反で493億円-米
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a3%c9%a3%ce%a3%c7%b6%e4%b9%d4&k=201206/2012061300439
参考図書
『新聞が面白くない理由』 岩瀬達哉 講談社
『記者クラブって何だ!?』 村上玄一 角川書店
その他
記者クラブ一覧情報
http://www.kisha-club.jp/