報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

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国際決済銀行 : ナチスに協力したセントラル・バンカー

2010年08月30日 17時54分33秒 | 中央銀行・バブル

「銀行の銀行」は中央銀行と呼ばれる。
さらに「中央銀行の銀行」と呼ばれるものがある。

国際決済銀行The Bank for International Settlements だ(以下、BIS)。

BISは、その名の通り国際決済業務を行なう銀行である。基本的には政府間の決済しか扱わない。BISは政府間の資金の流れを逐一把握している唯一の機関であり、最も透明性を要求される機関である。にもかかわらず、BISは歴史的資料の情報公開を長らく拒んでいた。

BISの設立は1930年。
本部はスイスのバーゼル。
設立の目的は、第1次世界大戦の敗戦国であるドイツの戦争賠償金を、円滑に戦勝国に分配することだった。

1919年のヴェルサイユ条約で、敗戦国ドイツには過酷な戦争賠償金が課せられた。最初の割賦金を支払ったあと、ドイツはハイパーインフレに見舞われる(’23年)。そのため賠償支払い能力を失う。国民生活は困窮を極めた。’23年にはナチスがミュンヘン一揆をおこす(未遂)。ドイツ国内の不穏な政情を解消するため、アメリカの民間資本がドイツに投資され、ドイツの経済回復をはかることになった(ドーズ案、’24年)。その後、賠償額も減額された(ヤング案、’29年)。

ヤング案では、賠償金問題から政治色を排除するため、政治的に中立な賠償銀行の設立も提案された。これが、BISの設立につながる。

したがって、BISの設立には、ヴェルサイユ条約で戦争賠償の分配にあずかっていたイギリス、フランス、イタリア、ベルギー、日本が中心になった。アメリカはヴェルサイユ条約に調印せず、賠償請求権を放棄していた。アメリカ政府内では、BISの理事会に参加するかどうかで紛糾し、結局、見送られた。BISの理事国は、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ベルギー、日本、オランダ、スイス、スウェーデンの9カ国となった。

理事会の勢力構成は、ドイツ、フランスが各3、イギリス、イタリア、ベルギーが各2、日本、オランダ、スウェーデン、スイスが各1となった(ただし、オランダ、スイス、スウェーデンは議決権を持たない)。日本の理事には日銀ロンドン駐在の二見貴知雄が就いた。

賠償銀行としてのBISが新設されたものの、翌1931年には世界金融恐慌が発生し、ドイツは再び賠償金の支払いができなくなる。そこで、1年間の支払猶予協定が結ばれた。しかし、ドイツの経済力が回復する見込みはなく、’32年7月9日、結局のところ、ドイツへの賠償請求の放棄が決定した。BISは設立から2年ほどでその存在理由を失った。

ドイツへの戦争賠償請求が全額放棄された背景には、ナチス党の台頭がある。苛酷な賠償金支払いの重圧によって、ドイツ国民の生活は極度に圧迫され、ヴェルサイユ条約に対する反発と憎悪を深めた。そして、報復戦争の機運さえ高まった。ナチス党はこうした国民意識を捉え、勢力を拡大した。こうしたドイツ国内の不穏な情勢を沈めるため、ついに、戦争賠償金は放棄されたのだった。そして、ドイツへの制裁から、一転して、宥和政策へと転換する。

存在理由を失いかけていたBISは、そのネットワークを宥和政策に役立てることになる。しかし、その努力が実を結ぶことはなく、世界は再び戦争に突入する。ついにBISは存在理由も存在意義も失った。今度こそ本当に無用の国際機関となるはずだった。

大戦の真空地帯

第2次世界大戦が勃発すると、結果的にBISの理事会の内訳は、枢軸国のドイツ、イタリア、日本と連合国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、そして中立国のスイス、スウェーデンで構成されることになった。

BISの職員構成も同様である。イギリス14、フランス13、ドイツ11、イタリア8、ベルギー3、アメリカ2、日本、スウェーデン、チェコ各1となっている。世界大戦が勃発して、この機関がまともに機能するはずがなかった。

しかし、いままで単なる中央銀行家の「紳士クラブ」的な意味しかなかったBISは、第2次世界大戦の勃発によって、始めてまともにその業務が稼動し始めたのだった。

スイスのバーゼルに本部を置く国際決済銀行(BIS)。「中央銀行の銀行」とも呼ばれるこの由緒ある国際機関は、第二次世界大戦中、敵対する連合国と枢軸国のきわめてハイレベルの代表が公然と協力し合う場でもあった。敵味方の立場を越え、緊密な関係にあったのは、各国の通貨・金融政策を担う中央銀行総裁である。もちろん、このことはそれぞれの陣営を代表するドイツのヒトラー総裁、米国のローズヴェルト大統領、そして英国のチャーチル首相も承知のうえであった。

前線においてはそれぞれの国の兵士が生死をかけた戦闘を繰り広げているというのに、スイス・バーゼルにあるBISでは、ライヒスバンクのヴァルター・フィンク、イタリア銀行のヴィンツェンツォ・アツォーリーニ、イングランド銀行のモンターギュ・C・ノーマンという各行のトップが敵味方の関係を越え、意思決定の最高機関である理事会のメンバーを努めていた。
Ⅴ 『国際決済銀行の戦争責任』ジャン・トレップ


第2次世界大戦の主役であるアメリカは、BIS理事会には名を連ねていない。しかし、第2次世界大戦の期間中、BISの総裁を務めていたのは、アメリカ人である。

アメリカの銀行家トーマス・H・マキットリクは、1940年1月から46年7月までBIS総裁を務めた。米財務長官ヘンリー・モーゲンソーは、マキットリクの総裁就任に猛反対した。だが、米国務省はマキットリクに渡航許可と外交官パスポートを発給する。

マキットリクのBIS総裁就任には、米金融界の思惑が強く働いていた。ウォール街は、戦後のヨーロッパの復興を担うであろうBISに影響力を築いておきたかった。片や、モーゲンソー長官は、金融支配権をウォール街とシティから奪い、ワシントンが握るという野望を抱いていた。第1ラウンドはウォール街が取った。

BISに着任したマキットリク新総裁をサポートするのは、フランス人の総支配人ロジェー・オボアンとドイツ人の総支配人補佐パウル・ヘヒラーである。

この米・仏・独トリオによるBIS運営は、ナチス・ドイツが崩壊した後も継続し、欧州の終戦から八ヵ月が経過した四五年十二月二九日、ヘヒラーが他界するその日まで続いたのである。
Ⅵ 『国際決済銀行の戦争責任』

また、日本人の吉村侃 (よしむらかん、横浜生金銀行出身)が、BISの為替課長として業務に当たっていた。

吉村は真珠湾攻撃に始まる日米開戦後も引き続き、米国人の上司から職務上の指示を受け、これに従っていた唯一の日本人だったと思われる。スイスに駐在する日本および米国の大使は、BIS内での二人の奇妙な協力関係を知りながらこれを黙認していたのである。
i-ii 『国際決済銀行の戦争責任』

ヨーロッパ情勢が不安定になると、BISの日本人理事は日銀ロンドン駐在の二見貴知雄からベルリン駐在の山本米治に代わった。さらに山本米治の職務代理としてチューリッヒの北村孝治朗(横浜正金銀行)が任命された。

ただし、大戦中はBIS理事会の開催が見合わされていたので、山本や北村が他の理事と直接顔を合わせる機会はなかったようだ。重要事項の裁決は文書で各理事に諮られた。

BISは、理事会も執行部も各部門も、連合国と枢軸国の寄り合い所帯で構成され、運営されていた。しかし、彼らは決して反目することなく、粛々と業務を遂行した。BISは、戦時にありながら、対立する空気の流れていない真空地帯だったというしかない。国際連盟が各国の対立の場となり、崩壊したのとは対照的である。

ナチス・ドイツの金庫番

枢軸国と連合国のメンバーで構成され、アメリカ人総裁を戴くこのBISの大戦中の主要業務とは、ナチス・ドイツのための国際決済だった。

ドイツの戦争賠償を分配するために設立されたBISは、いまやナチス・ドイツのための国際決済業務を遂行する機関に変貌した。ナチスからの血も凍る脅迫や強制があったわけではない。それどころかナチスは、決済業務によって派生する手数料をきちんとBISに支払っている。しかもその手数料設定は、相場よりもずっと割高だったにもかかわらずだ。

BISは、ごく自然にナチスの決済業務へと移行した。そこには、アメリカを含め世界の金融界の思惑が強く働いていた。彼らは、BISを通じてナチスと良好な関係を維持しておきたかった。

ナチス党が政権を取った1933年、社会主義的な金融政策が起草された。もしそれが法制化されれば、外国の民間銀行の対独債権はすべて不良債権と化すはずだった。しかし、BIS理事に就いていたライヒスバンク(ドイツ中央銀行)のヒャルマール・シャハト総裁は、ナチスの試みを阻止し、外国銀行の債権を守った。この海外の対独債権は、大戦中、毎年支払猶予が更新され、それは’44年まで続いた。

シャハト総裁は、ナチスの利益よりも、世界の金融界の利益を優先したと言える。BIS理事会での密接な交流がなかったとしたら、シャハトがそのような措置を取ったかどうかはあやしい。後にシャハトは、ヒトラー暗殺未遂に連座して逮捕される。

BIS総支配人補佐パウル・ヘヒラーも、

「よしドイツが勝利を得るもBISにおける英人の権益は極力尊重」する。
p92 『国際決済銀行の20世紀』 矢後和彦

と吉村侃に語っている。

連合国の民間金融機関が対独債権を守るためには、BISの存続が絶対的な条件だった。ナチスのBIS利用は、世界の金融界にとって有利に働いていた。

また、ルーズベルトやチャーチルも、戦争がどれほど苛烈を極め、どれほどの犠牲を出そうとも、自国の銀行関係者が、ナチスに協力するBISの理事や執行部を務めることに反対しなかった。

ドイツの思うがままになるBISの存続を、ヒトラーが望んだのは当然だった。だが、第三帝国の無条件降伏を戦争遂行の目標に掲げた連合国のチャーチルやローズヴェルトに、BISを支援するどのような理由があったのか。

民主党出身のローズヴェルトは戦時中、伝統的に共和党を指示するウォール街から金融界の人材を積極的に取り込み、政府の役職に重用していた。そして、こうしたウォール街出身者らは、米民間資本を使って欧州の戦後復興を進めるに際して、彼らのよく知るBISの利用を望んだのである。

一方、チャーチルはなぜ、目指すべきドイツ打倒とは逆の方向に作用するのを知りながら、イングランド銀行がBISにとどまることを受け入れたのだろうか。……… 一つは米国に対する大英帝国の対抗意識、もう一つは共産主義への恐怖である。
p253 『国際決済銀行の戦争責任』

こうした連合国側の金融界や政府の思惑により、ナチス・ドイツによるBIS利用は、事実上妨害されることも制限されることもなかった。

ナチスの決済は主に金で行われたが、実際に金で支払うのではなく、各国中央銀行がBISに開設した口座間で金を移動させる。より正確には、BISの帳場の上で金が移動する。イングランド銀行内のBIS口座の中で金を移動させることもあった。これも、帳簿上の話だ。金そのものは、1ミリも移動しない。このBISの国際決済業務が機能していなかったとしたら、ナチスの戦争はそれほど長続きしなかった可能性が高い。

基本的には帳簿上の金決済だが、相手国の事情に応じて、実際に金塊を移送することもあった。BISはポルトガルやユーゴスラビアなどに金塊を運んでいる。戦時中の混乱の中、何日間にもわたって金塊を長距離移送するのは危険が伴ったが、BISはナチスのために、この危険な金移送も確実にこなした。

金による決済業務を行なっていたBISだが、実は、金の保管庫は持っていなかった。実際の金塊の保管はスイス国立銀行(SNB)が協力した。ナチスの要請があれば、SNBに保管された金塊を、BISがヨーロッパ各地に運んだ。そしてBISは、ナチスが各地で略奪した金塊の移送や保管にも従事している。

アメリカ人総裁をいただくBISは、まさに「ヒトラーの金庫番」として機能していた。

再度生き残ったBIS

ナチス・ドイツのために、あらゆる便宜をはかったBISも、ドイツの敗色が濃厚になると、業務を停止し、隠蔽工作を行なう。連合国の黙認により公然と活動していたBISだが、戦後はナチス協力の罪を問われることになる。

ウォール街とシティの打倒を目論む米財務長官ヘンリー・モーゲンソーは、BIS解体の急先鋒だった。そして、1944年のブレトンウッズ会議で、BIS解体の決議を勝ち取る。その代わりに米財務省がコントロールする、IMF(国際通貨基金)とIBRD(世界銀行)の設立を提唱する。IMFと世銀の本部がワシントンに置かれたのは言うまでもない。金融支配権をワシントンに奪取するというモーゲンソー長官の野望の実現はほぼ確実となった。第2ラウンドは、モーゲンソーの圧勝だった。

しかし、今日でもバーゼルにはBIS本部ビルがある。BISは解体されるどころか、「中央銀行の銀行」として不動の地位を築いている。

結局のところ、ウォール街やシティ、そして世界の中央銀行や金融界は、一致団結してブレトンウッズの決議を有名無実化した。戦争責任を問われたBIS関係者はほんの数名にすぎない。戦後もBISの理事や職員はほとんど変わらなかった。為替課長の吉村侃も、終戦後数年間BISにとどまっていた。

ただし、日本とドイツは理事国から外された。日本人理事の山本米治と代行の北村孝次郎は終戦後、日本に帰国した。日本がBIS理事国に復帰したのは敗戦から約半世紀経った1994年だが、ドイツは1949年には早くも理事国に復帰している。

勝利を確信していたモーゲンソー長官の野望は土壇場で頓挫した。

中央銀行家の友愛精神

BISのナチス協力は驚くべき歴史的事実だが、同時に、敵味方を越えたセントラル・バンカーの不思議な友愛精神と強い絆にも驚かされる。

ヒトラーのナチス党が政権をとった1933年、ライヒスバンク総裁のヒャルマール・シャハトがBISのドイツ理事に就任し(1933-39年)、バーゼルに赴いた。

これに対し、イングランド銀行のノーマン総裁はじめ欧州各国の中央銀行総裁は、シャハトを独裁国家ナチス・ドイツの代表というよりも、同じ仕事仲間つまりはギルドを構成するメンバーの一人として迎え入れた。
p18 『国際決済銀行の戦争責任』

中央銀行家というのは、何か特殊な絆で結ばれているのだろうか。5000万人もが戦死する苛烈極まりない戦争の最中に、枢軸国と連合国の中央銀行首脳がBISの理事会を構成し、アメリカ人総裁以下、敵味方同士の職員は何のわだかまりを持つこともなく、同じ建物の中で業務をこなした。

後の冷戦期も、彼ら中央銀行家の友愛と絆は、国境も立場も主義主張も超えているようだ。

東西の対立が一段と先鋭化する五〇年代において、BISは、東欧諸国の中央銀行代表がソ連の監視の目を逃れ、西側の同僚との自由な意見交換を享受した唯一の国際機関でもあった。
p254 『国際決済銀行の戦争責任』

セントラル・バンカーにとって、それぞれがたまたま所属することになった国家の体制の違いは、彼らの友愛の障壁とはならないようだ。ファシズムであろうが、コミュニズムであろうが、資本主義であろうが、彼らにとって国家や国家体制は、もともと意味のない存在なのかも知れない。

BISは、各国政府やIMFなどに対して一致して結束する「クラブ」であるとともに、その内部にも重要な対抗関係を秘めた「場」でもあった。
p278 『国際決済銀行の20世紀』

彼らが戦後に勝ち取った最大の成果は、BIS解体を免れたことだ。
そして第二に、中央銀行の「独立性」を確立したことだ。

解体の危機を乗り切ったBISは、今度こそ何ものからも干渉されることのない絶対的存在であろうと決意したことは想像に難くない。

そして、いまや、中央銀行の「独立性」は世界中の政府の常識であり、グローバル・スタンダードである。それは中央銀行を国家の権力の及ばない聖域にしてしまった。それは、BISが聖域中の聖域になったということを意味している。

果たしてそれは、未来に対して正しい在り方だと言えるだろうか。
世界は今、1931年以来の金融危機の中にある。
この危機に際して、世界の中央銀行はほとんど何の手も打とうとしていない。
実際は、打つ手はいくらでもある。
しかし、世界の中央銀行は歩調を合わせて、津波に呑まれる木の葉のフリをしている。


参考文献

『国際決済銀行の戦争責任』 G・トレップ
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B1%BA%E6%B8%88%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%A8%E6%89%8B%E3%82%92%E7%B5%84%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%9F%E3%81%A1-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%97/dp/4818812986

『国際決済銀行の20世紀』 矢後和彦
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4901916270/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4818812986&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1A3MK9BWR9RGE9CQ6APF

The Bank for International Settlements
http://www.bis.org/

 

 


中央銀行とは何ものなのか

2010年08月16日 00時13分02秒 | 中央銀行・バブル

 現代の通貨供給システムは、ほとんどの国で同じ形態をとっている。どこの国にも中央銀行と呼ばれるものがある。中央銀行はベースマネー(現金通貨)を経済に供給し、商業銀行は預金通貨を経済に供給している。

 中央銀行は国家の通貨政策を担っているにもかかわらず、今日、中央銀行の政策には政府の意向はほとんど反映されない。中央銀行は、政府にも国民にも干渉されず、完全なブラックボックスの中で通貨政策を決定している。「中央銀行は政府から独立している方が物価の安定が確保される」、というのが世界の共通認識となっているからだ。

 しかし、ごく単純に考えて、国家の通貨を発行している機関が、政府から干渉を受けない存在というのはあまりにも不可解だ。はたして本当にそれが望ましいあり方と言えるのだろうか。「政府から独立することによって物価の安定が確保される」というのは、まったく合理性を欠いた主張としか思えない。

独立性を保ち、物価の安定だけに傾注している中央銀行の方がこれらの肝心な点で優れた実績を上げているという証拠はほとんどないのである。
p71 『スティグリッツ教授の経済教室』 ジョセフ・E・スティグリッツ

たとえば労働者は、中央銀行が過度の金融引き締め策を採ると失うものが多いにもかかわらず、そうした決定の場に代表を送ることができない。その一方で、失業が増えてもたいして失うものはないが、インフレには大きな影響を受ける金融市場の声は、概して十分に代表されている。
p74 同上

こうした仕組みから利益を受けるテクノクラート(高度の専門知識を持った官僚など)や市場参加者は、この仕組みの素晴らしさと、金融政策を政治を超越したところに置かれるべき専門的事項として扱う必要を説いて、多くの国に見事にそれを納得させてきた。
p72 同上

 中央銀行というのは、特定の利権集団の利益を代表している機関である可能性が非常に高い。だとすると、中央銀行を政府の干渉も及ばない機関に祀り上げてしまえば、恒久的にその利益を維持できることになる。そしてその目論見はまんまと成功しているようだ。

 世界中のほとんどの人々は、自国の中央銀行は政府機関だと信じ込んでいるはずだ。それはごく自然に、中央銀行とはそうあるべきものだと人々が考えているからだ。しかし実際は、中央銀行のほとんどは政府から干渉を受けない、法的に独立した民間機関なのだ。そして、人々の手の届かないところで、その生活に多大な不利益をもたらしている。

 この不適切で不公平極まりない仕組みは、どのようにしてできたのだろうか。


金細工師の錬金術

 現在、世界で流通している通貨は、価値の裏づけのない不換紙幣が一般的だ。これは国家の信用を裏づけとして発行されている。それ以前の紙幣は、価値との交換を約束した兌換紙幣だった。兌換紙幣が登場するまでは、価値そのものが通貨として使われていた。つまり、金や銀、宝石だ。通貨としてこれほど確かなものはない。

 ただし、金や銀などの金属貨幣は、その重量と保管の難しさが問題だった。安全な保管庫がない時代は、価値の保存は庶民にとっても金持ちにとっても大きな悩みだった。今日でさえ、金の保管は厄介事だ。かつてのヨーロッパでは、王侯貴族以外で、安全な保管場所を持っていたのは、金細工師くらいだった。日常的に金を扱う金細工師は、頑丈な保管庫を造っていた。必然的に、金細工師は金保管の社会的役割を担うようになった。

彼らの経営は、その取引の公正さよりは彼らの金庫の堅牢さに、より多くを依存していた。
p50 『マネー その歴史と展開』ジョン・ケネス・ガルブレイス

 金細工師は金を預かると、「預かり証」を発行した。預け人は必要なときに預かり証を金細工師のもとに持参して金を引き出し、商取引などに使った。取引で支払われた金は、すぐにまたどこかの金細工師のところに預けられ、預かり証が発行されただろう。引き出された金が、まったく同じ金細工師のところに舞いもどってくることも多々あったはずだ。彼らは、それならわざわざ危険を冒して金で取引をする必要などないという考えにいたる。預かり証に裏書をして渡せばいいのだ。取引のコストも時間も節約できる。この「預かり証」がヨーロッパでの紙幣の起源となった。

 預かり証による取引の安全性と利便性の認識が広まると、金が引き出される割合はどんどん減っていく。所有権が巷で移動しているだけで、よほどの必要がない限り、金は引き出されなくなる。その大前提は、金細工師が確実に金を保管しているという「信用」だ。もし、一人でも金を勝手に流用するようなふとどきな金細工師が現れると、業界全体の信用が崩れる。金はたちまち引き出されて、保管料というコストのかからない貴重な副収入を失う。ギルドの伝統が、金細工師たちの意思統一と規律を守った。

 金細工師全体で保管している莫大な金は、金庫の中に鎮座し続けた。5年、10年、15年……。彼らはその総量を計算したかも知れない。もしかするとそれは、国王の財貨をしのいでいたかも知れない。あるいは、数回の戦費に匹敵する額だったかも知れない。とにかく、目もくらむほどの莫大な財貨が自分たちの管理下で、引き出されることもなく、ただ静かに眠り続けているだけなのだ。ようするにその金は、そこになかったとしても何の影響もないのだ。そして、代々金細工一筋に生きてきた実直な職能集団の心に……

 金属貨幣の時代は新たに金銀が採掘されない限り通貨は増えない。社会の中で流通するおカネの量がほぼ一定であれば、新しい生産を行なう余地はあまりない。新しい生産には、経済の中を流通するお金が増えなければならない。椅子取りゲームのようなもので、ゲームの参加者が増えれば、椅子の数も増やさなければならない。人口が増えると需要が増える。増加した需要を満たすための生産には、その分の通貨の追加が必要になる。しかし、金属貨幣は人為的に増やすことはできない。人口が増え続ける社会では、金属貨幣はつねに不足することになる。

 おそらく、金細工師の元には、常に通貨供給の依頼があったはずだ。金を貸出せば金利収入が入る。しかし、保管庫の中の金は、他人のものだ。貸したくても貸し出せない。ただし、彼らは長年の経験から、金が引き出される割合や季節的パターンなどを把握していたはずだ。一定の金を貸出しても決して発覚しないことを彼らは理解していた。問題は、単独で行なった場合、一回でも想定外の大量引き出しが起これば、犯罪が発覚してしまう。そのとき、金細工師全体を道連れにしてしまう。

 しかし、グループで行なうなら、想定外の大量引き出しにも対応できる。一定量の金をグループで備蓄しておけばいいのだ。この組織的犯罪を決行すれば、金細工師たちはまったくコストをかけずに莫大な金利収入を得ることができる。それともまじめに日々コツコツ、コツコツと金を叩きながら、保管料という副収入で満足するかだ。さあ、あなたならどうする。

 ほどなく彼らは、あなたの期待をあっさり裏切って、ほぼすべての金を貸出してしまった。この犯罪を可能にしたのが、ギルドの存在だ。彼らには専門技術を何世代にもわたって秘匿継承してきたという伝統があり、その結束力は血よりも堅い。ギルド内の秘密は絶対に外に漏れない。ヨーロッパにギルドの伝統がなければ、金細工師のこの危険極まりない組織犯罪は成立しなかっただろう。

 金細工師たちは、金の保管料を得る一方で、同じ金から高金利を稼いだ。最も旺盛な金の需要者は王侯貴族であり、そうした金は外国の奢侈製品の購入などに当てられ、流通から消えた。金は金細工師の元には還流しなくなり、貸出す金が底をついたところで、この犯罪は終わる……はずだった。しかし、金細工師の犯罪の本番は、貸出す金がなくなったときにはじまった。

 金がなければ、金があることにして「預かり証」を貸し出せばいいのだ。預かり証を発行する制約などない。その気になれば無限に発行できる。その事実に気づいたとき、彼らは呆然としたに違いない。金細工師は、錬金術をあみ出したのだ。預かり証とはすなわち、金の等価物にほかならない。

 金細工師は、金が引き出される割合やパターンを把握しているので、預かり証を増刷した分、市中から一定の金を回収して金準備を増やせばいいだけだった。金細工師たちは、無限に増刷できる預かり証で暴利を得た。

 経済の中の通貨は常に不足していたので、預かり証がどんどん増えても何の問題も起こらなかっただろう。それどころか、経済は活性化したはずだ。産業規模が拡大し、新しい産業も興っただろう。金細工師はそのことにも気づいていたかもしれない。もしワインの供給が不足していれば、ぶどう農園に預かり証を配分してやればよい。農園が拡張され、雇用も増える。

 ペンをすらすら走らせるだけで、時間もコストもかけず、莫大な富を築いた金細工師たちは、家業を廃業して、金貸しを専業とするようになる。そして銀行業に発展する。銀行家となった彼らは、預った金をもとに、兌換紙幣を発行して貸し付けを行った。しかし、金細工師の時代と同じで、預った金の総量などにはまったく制約されることなく、多量の紙幣を発行して金利を稼いだ。インチキの仕掛けはまったく同じなのだ。少しだけ違うのは、預った金に対して利息を支払うという点だけだ。人々は、銀行家は預った金の総量を超えて、兌換紙幣を発行していないと信じた。

 自由に通貨を生み出せる彼ら銀行家は、その時代の支配者と言えた。王侯貴族が銀行家のおカネを必要としたのは、金細工師の時代と変わらない。徴税は常に上限に達しているため、王は銀行家の資金なしには、国家の運営ができなかった。王がもっともおカネを必要としたのは戦争の時だ。

 もしかすると戦争をお膳立てしたのは、銀行家だったかもしれない。たとえ敵同士であっても、秘密を共有する銀行家はギルド的友愛精神で堅く結ばれている。戦争は彼らの勢力を拡大するチャンスだった。彼らは、どちら側を勝たせるかを簡単に決定することができた。資金が底をついたと告げられた王が敗者だ。金細工師の末裔たちは、経済や戦争を自在にコントロールしながら、権力を掌中に収めていった。銀行家にとっておカネは、好き勝手に生み出せる文字どおりの紙切れにすぎない。そんなものは富ではない。彼らが欲したのは絶対的な権力だ。

 ヨーロッパの王室が没落したのは、銀行家の単純なトリックを見抜けなかったからだ。「無」から生み出されているだけのおカネを借り続け、領土も財貨も権威も失っていった。その気になれば、王自らがおカネを生み出せることに最後まで気づかなかった。 


 この単純なトリックは、次々と世紀をまたいで行く間に、公的な通貨システムに姿を変えた。金細工師が近代的銀行になり、ギルドが中央銀行になった。しかし、どのように姿を変えてもインチキの本質は変わっていない。銀行は預かったおカネを貸し出して、金利差を得ているのだと人々は信じている。しかし、実際は預かったおカネを貸出しているわけではない。銀行は、「無」から預金通貨を生み出して、貸出している。

 しかし、そうしたことは経済学の教科書には載っていない。
 現代でも、おカネが誕生する単純な仕組みは公にしてはいけないのだ。

経済学の他のいかなる分野にも増して、貨幣の研究は、真実を明らかにするためではなく、真実を偽装し、あるいは真実を回避するために、複雑さが利用されている分野なのだ。
p9 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス

 
なぜ真実を偽装し、回避する必要があるのだろうか。
 おそらくそれは、この驚くほど単純な仕組みが、経済に対して絶大な影響力を持っているからだろう。バブル景気から恐慌まで。しかし、中央銀行は、マネーは中立で無力だと装っておきたいのだ。そうすれば、誰もマネーに注目しない。中央銀行が独立性にこだわるのも同じ理由だ。彼らは他者を排除したブラックボックスの中にマネーの真実を閉じ込め、密かに経済をコントロールしたいのだ。

 世界的不況下の今日、国債や歳出削減、増税といった項目に議論が集中しているが、それは見え透いた煙幕にすぎない。
 この事態に、世界中の中央銀行は無力を演じ続けている。
 しかし、セントラル・バンカーは本当は何をすればいいかを熟知している。

 

 


<参考資料>

『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス
『スティグリッツ教授の経済教室』 ジョセフ・E・スティグリッツ
『円の支配者』 リチャード・A・ヴェルナー
『戦後日本の資金配分』 岡崎哲二/他
『通貨・金融の歴史と現状』 新宅彰
『現代金融と信用理論』 信用理論研究学会
『決済システムと銀行・中央銀行』 吉田暁
『貨幣と銀行』 服部茂幸
『銀行業序説』 辻信二

教えて!にちぎん 日本銀行の独立性とは何ですか?
http://www.boj.or.jp/oshiete/outline/01102001.htm
日本銀行法改正の理念――「独立性」と「透明性」
http://www.boj.or.jp/type/exp/about/law01.htm
日本銀行の「独立性」と「透明性」――新日本銀行法の概要
http://www.boj.or.jp/type/exp/about/expdokuritsu.htm
2010.01.12  主要国の中央銀行、金融危機で揺らぐ独立性
http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Foreign-Currency-Markets/node_21202
2010.05.26  日銀総裁が金融危機に言及、FRB議長は独立性維持の重要性強調
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15511620100526
2010.08.15  政治VS中央銀行 独立性はなぜ必要か
http://globe.asahi.com/feature/081222/side/02.html

信用創造について
当ブログ記事 『そもそもおカネとは何なのか』②~⑤
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/472b893a115ba84fba9fcc715d5f2287
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/191061a2a824d42c12f8a8f431307a0c
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/36b401ec10b4fb0fe43bb475b6ca2b04
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/8c52f56fcccbdd53678637be2e466568