報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

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貨幣乗数論の迷宮

2010年03月03日 21時44分16秒 | 通貨・マネー


 おカネにまつわる真実はごく単純だ。
 しかし、壮大な誤解が生じている。
 銀行は市中から集めたおカネを不足部門に貸出しているのだ、という誤解だ。
 実際は、あとさきが逆だ。
 銀行は「無」から創造した預金通貨を不足部門に供給している。
 したがって事前に預金など必要としない。
 銀行貸出こそが、その預金を生み出しているのだから。
 銀行は預金を貸出しているのではなく、貸出によって預金を生み出しているのだ。

 確かに、銀行は預金を集めている。
 しかしそれは、自行から流出した預金通貨を回収しているだけだ。
 貸出を受けた企業の支払いによって預金通貨は他行に流出する。
 銀行は不均衡になったバランスシートを均衡させるために、預金を回収する。
 創造→貸出→流出→回収、創造→貸出→流出→回収、~  
 このサイクルがランダムに繰り返されているのだが、預金創造という起点は傍からは感知できない。
貸出を受ける当事者もそれが創造されたものであることなど知る由もない。したがって一見すると、
銀行は集めたおカネを貸出しているようにしか見えない。  
 収集→貸出→収集→貸出~

 こうした銀行業に対する事実誤認は、今に始まった事ではなさそうだ。

一九六〇年代に、大いに成功を得た弁護士であり、政治家かつ外交官であったジョージ・W・ポール氏は、官職を辞してウォール・ストリートのレーマン・ブラザーズ社のパートナーとなったが、その直後に、「なぜもっと早く誰かが私に、銀行業について教えてくれなかったのか」と尋ねたといわれる。
p31 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス

 貨幣と銀行の真実について知ると、誰しもポール氏のような気分になるかも知れない。
 銀行が自己裁量で通貨の大部分を生み出しているなんて、誰が想像できるだろうか。
 経済の中の通貨の約9割は預金通貨であり、預金通貨は銀行にしか創造できない。

 銀行は貸出による信用創造によって、無から預金通貨を生み出し、経済の不足部門に供給する。
 創造された預金通貨量だけ、経済の中の通貨が増加する。
 したがって、一定期間の銀行の貸出総額がその期間の通貨供給量になる。
 これが通貨供給のプロセスであり、供給された通貨量の測定は本来は容易だ。

 ところが主流的な経済学の通貨供給に関する説明は、実際の通貨供給プロセスとはかなり違って
いる。
 その説明が実際のプロセスに修正される気配はない。
 不可解というしかない。


 迷宮の迷宮 貨幣乗数論

 現在の主流的経済学による通貨供給プロセスを説明する理論を「貨幣乗数論」という。
 この理論は、最初に投入された預金本源的預金
が銀行組織を通じて貸出と預金を繰り返すこと
で何倍にも増加する
と説明している。そしてこれを銀行の 「信用創造」 機能としている。信用創造が行われるということは、「預金通貨」 が創造されていなければならない。でなければ通貨の約9割を占める預金通貨の出所を説明できない。果たして、貨幣乗数論は預金通貨の創造を説明しているだろうか。

※ 貨幣乗数論は様々な呼び方がされている。「信用乗数論」、「乗数的信用創造論」、
「通説的信用創造論」、
「フィリップス流信用創造論」、「所謂フィリップスの信用創造論」など。
ひとまずここでは「貨幣乗数論」を使う。

 貨幣乗数論は一見すると、問題があるようには見えない。どちらかというと、なるほどというような気分になる。しかし、慎重に検討して整理していくと、最終的には唖然とさせられる。
 その実体をごく単純化して説明すれば次のようなものになる。

 解りやすくするためにここではX、A、B、C、D、E ~という個人を想定する。
 いま個人X は現金100万円を持っている。
 X はA に100万円を貸出す。
 A は100万円の内、1割の10万円をポケットに入れ、残りの90万円を B に貸出す。
 B も1割の9万円をポケットに入れ、残りの81万円を C に貸出す。
 C も1割の8.1万円をポケットに入れ、72.9 万円を D に貸出す。
 これを E ~ へと延々と続けていく。
 元金がゼロに収斂したところでこの連鎖は終わる。

 さて、X→A→B→C→D→E→~ へと現金が貸出され移転する過程で通貨は増えただろうか?もちろん、増えてなどいない。現金100万円が少しずつ各自のポケットに納まっていっただけだ。これで通貨が増えるなら友達と輪になるだけで誰でも大金持ちになれる。世界の貧困も今日中に解決するだろう。

  貨幣乗数論はこのばかばかしい連鎖で通貨が増加すると言っているのに等しい。その理屈はこうだ。
A、B、C、D、E ~のそれぞれの貸出合計は、90万 + 81万 + 72.9万 + ~= 900万となる。したがって最初の100万円は900万円という新たな通貨を創造する!と。しかし、この連鎖のどこにも900万円という新たな通貨は存在していない。900万という 「貸出残高」 が存在するだけだ。貸出残高は通貨ではない。貨幣乗数論はこの貸出残高を通貨創造と主張しているのだ。

 A、B、C、D、E ~ を個人ではなく銀行に置き換えてもまったく同じことだ。「現金」で預金されたものを「現金」で貸出せば、上記の説明とまったく同じ連鎖になる。貨幣乗数論とは、現金が銀行を通過しているだけのモデルであり、銀行には貸出残高が残るだけだ。もしくは、現金を預けた際の預金残高が残るだけなのだ。いずれにせよ創造された 「預金通貨」 はどこにも存在しない。つまり、信用創造はいっさい行われない。
 そのことは標準的な貨幣乗数論の図式を見れば明白だ。




 この図式では、銀行A、B、Cには現金で預金が入り、現金で貸出が行なわれている。企業間の代金の支払いが現金で行なわれていることからそれは明白だ。このモデルは、現金の出し入りでなければ成立しないのだ。なぜなら、銀行A、B、Cが「支払準備」を自行に残すためには現金での預入が絶対条件だからだ。支払準備とは「中央銀行券」と「中央銀行当座預金預け金」のことだ。したがって、上記の預金支払準備貸出代金預金 →という流れは、すべて同じ現金(最初の預金100万)が何度も預金され、貸出されていることを示している。

 この図式のどこにも預金通貨は創造されていない。100万、90万、81万という預金は、個人と企業によって現金で預金されている。したがって、銀行が創造した預金ではない。90万、81万、 72.9万も、現金で貸出されている。ここでも預金通貨は創造されていない。本来ならばこの段階で預金通貨が創造され、企業P、R、T は預金通貨を手にするはずだが、そうすると企業Q、Sは現金での預金ができない。そうなると銀行B、Cは支払準備を残せない。預金通貨を創造すると、この連鎖は完全に破綻する。

 貨幣乗数論が預金創造と主張しているのは、現金による預金の90万、81万の方なのか、それとも現金による貸出の90万、81万、72.9万の方なのかは、よく分からない。解説の文脈によって預金ととれるものもあるし、貸出ととれるものもある。どちらなのか分からないものもある。統一された見解は存在しないようだ。いずれにせよ、預金通貨は創造されないのだから、どちらであっても関係はない。貨幣乗数論というのは、理論ではなく主張と言った方が妥当だ。通貨が創造されたと勝手に主張しているにすぎない。しかし、それはどこにも存在しない。

 貨幣乗数論は、信用創造についても、通貨供給についても、いっさい説明していない。
 銀行とノンバンクとの決定的な違いは、信用創造を行なえるか否かにある。
 しかし、貨幣乗数論のモデルは、ノンバンクどころか個人でも成立してしまう。
 このモデルは、単に現金のたらい回しを説明しているにすぎない。


 手本は金本位制下のモデル

 この貨幣乗数論のモデルには手本がある。
 金本位制下のアメリカで発表された理論だ。
 金本位制下の理論を、不換紙幣制度の信用創造と通貨供給の説明に流用しているのだ。
 そのため理論上の不具合が多々生じているのだが、今日までそのまま放置されている。
 異なる説明が乱立しているのも、理論的不具合を糊塗しようとする様々な試みの表れなのだろう。

 貨幣乗数論の手本となった理論とは、1920年にC.A.フィリップスが発表した『銀行信用』だが、もちろん、フィリップス自身には、今日の事態の責任はない。

 貨幣乗数論の説明には、たいてい個人X などによって銀行組織に投入される最初の現金が登場する。金本位制ならば、最初の金(ゴールド)は銀行組織の外部から投入されるので、この設定には問題はない。しかし、不換紙幣制では、この個人X による最初の現金はあり得ない。

 なぜなら不換紙幣制では、現金は預金創造の結果として生じるからだ。銀行が預金を創造した結果として、中央銀行が必要な現金準備を供給する。つねに預金創造が現金準備に先行しているのだ。現金が投入された後に、預金創造が行なわれるわけではない。したがって貨幣乗数論では、最初に投入される個人X による現金の出所を説明できない。銀行外部から金が投入される金本位制の理論を、そのまま不換紙幣制に流用したために発生した理論的不具合のひとつだ。

 貨幣乗数論にはまだまだ不具合があるのだが、すべてを挙げ連ねても意味はない。
 貨幣乗数論は、信用創造を行えないモデルであるというだけで十分すぎる。
 もともとが借り物であり、不換紙幣制度下では
理論として成り立ち得ない。
 貨幣乗数論そのものを問題にするよりも、不換紙幣制度下では完全に破綻しているこの「主張」が、いつまでも経済学の解説書や教科書に存在し続けている理由を考える方がはるかに重要だろう。

 貨幣乗数論の解説者が、いったいどこまで本気でこの主張を信じているかは、かなり疑問だ。おかしいことは分かっているのだが、すでに主流的経済学の定説になり、世界中の解説書や教科書に載っているものに、内部から異議を申し立てる勇気はない、というのが実状ではないだろうか。そんなことをすれば教皇の逆鱗に触れ、破門は間違いないだろう。ほとんどの解説者が、見て見ぬふりをしているうちに今日に至ってしまったのではないだろうか。

 
だとすると、事態は深刻だ。経済学を科学と考えるべきなのか、という問題が持ち上がる。事実にそぐわない単なる主張にすぎないものを自己修正できない学問が果たして科学と呼べるだろうか。

経済学の他のいかなる分野にも増して、貨幣の研究は、真実を明らかにするためではなく、真実を偽装し、あるいは真実を回避するために、複雑さが利用される分野なのだ。
p9 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス

 

 

参考資料

『通説的信用創造論(所謂フィリップスの信用創造論)の批判的検討』 井汲明夫
http://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-KJ00004176289.pdf
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?id=JOS-KJ00004176289
『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス ティビーエス・ブリタニカ
『決済システムと銀行・中央銀行』 吉田暁 日本評論社
『現代金融と信用理論』 信用理論研究学会 大月書店
『貨幣と銀行』 服部茂幸 日本経済評論社


『スティグリッツ マクロ経済学』 ジョゼフ・E・スティグリッツ 東洋経済新報社 
『マンキュー マクロ経済学Ⅱ』 N・グレゴリー・マンキュー 東洋経済新報社
『経済学』 西川俊作 東洋経済新報社
『経済学入門』 鬼塚雄丞 東京大学出版会
『明快マクロ経済学』 荏開津典生 日本評論社

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そもそもおカネとは何なのか ① プロローグ
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そもそもおカネとは何なのか ② 80兆円と1000兆円
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/472b893a115ba84fba9fcc715d5f2287

そもそもおカネとは何なのか ③④⑤
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そもそもおカネとは何なのか ① プロローグ

2009年12月28日 23時04分50秒 | 通貨・マネー

 
 
海外でたまにおカネを洗った。
 リエルと元、それからドルも少し。
 昔はカンボジアや中国では、おつりの中に信じがたいほど真っ黒に汚れたお札が混じっていることがあった。デザインの大部分は汚れの下に隠れ、端の数字だけは何とか判読できるという状態だ。そうしたお札は明らかに耐用年数をすぎて流通していた。そのため張りがなく、皺だらけで、表面が毛羽立っていた。吸湿性のよいタオルのように、汚れをどんどん吸い込むのかも知れない。

 アジアの人々は宵越しのおカネは持たないという気風が強いのか、お札はあまり大事に扱われない。街の商店や市場では、お札は、ゴミ箱の紙くずのように握りつぶしたような形で、机の引出しの中に雑然と放り込まれている。引出しには鍵もなく、数枚の紙幣がなくなったくらいでは絶対に気付かないだろう。お札に対してひどく無頓着なのだ。しかし、そんな彼らでも、汚れたお札だけは絶対に受け取ろうとしない。

 黒く汚れたお札はババなのだ。いかに巧みに人手に渡すかが競われる。外国人はこうしたゲームには慣れていない。こちらが差し出すババはあからさまに拒否されるのに、おつりの中にさりげなく忍ばされているババをこちらが見つけても、拒否する権利は与えられていない。外国人の来店は、ババを放出するためのラッキーチャンスなのだ。彼らのルールでは、きっとそうなっているのだ。小額だし、まあいいか、と思っているうちにどんどんつかまされていく。もちろん、ババを銀行へ持って行っても交換などしてくれない。

 ドル札には国際ルールが適用され、ローカル・カレンシーよりも若干判断基準が厳しかったように思う。ドル札はそれほど汚れていなくても、光沢や張りがなく、くたびれた感じのものはババと認定された。カンボジアの事実上の通貨はいまでも米ドルで、リエルは補助通貨としての意味しかない。ドルの支払いには、基本的にドルのおつりがくる。一見、問題ないと思われたドルのおつりがババだったりする。見本でもあるかのように、それはどこへいっても受け取りを拒否された。当然、両替もできない。ドル札の場合は、まあいいか、というわけにはいかない。海外では想定外のことが頻繁に起こる。困難に遭遇しても、必ず使用できる通貨を持っていれば心強い。辺境地域でも通用する通貨はいまのところ米ドルしかない。所持するドル紙幣のコンディションには常に気を配るクセがついている。

 現在のアフガニスタンも事実上の通貨は米ドルだが、T/Cからドル・キャッシュへの両替はほとんどできない。滞在費用は全額ドル・キャッシュで用意するしかない。治安の悪いアフガニスタンで多量のドル・キャッシュを持つのは危険だが、他に選択肢はない。案の定、カブール市内の山の上で撮影していたとき、ピストル強盗に遭った。そのとき僕は、全財産を身につけていた。強盗は僕のサイフを探り当てると、
中にパリパリのドル紙幣がずらりと並んでいるのを見て、明らかに目がくらんだ。恍惚感と言った方がいいかも知れない。すぐに拳銃を振りまわして僕を追い払った。僕は乾いた山の斜面を駆けおりた。サイフの中味が総額20ドル程度だと知ったら、強盗は逆上するかも知れない。現在のアフガニスタンで20ドルはほんのはした金だ。遮蔽物のない禿山をとにかく駆けた。サイフの中に入れていたのは、新品の1ド
ル紙幣が10枚とアフガニーが10ドル分程度だ。サイフにはそれ以上は入れない。もしあれがくたびれたドル紙幣だったら、強盗はまず額面を確かめただろう。1ドル紙幣ばかりだと知ったら、さらに僕の身体を探索して、マネーベルトを発見していたかも知れない。海外では1ドル紙幣の「ピン札」なんてまず存在しないので、ピストル強盗はそれを50ドル札か100ドル札だと早合点したと思う。パリパリのドル紙幣に
は、人を幻惑する効果を期待できるのだ。

 カンボジアでドルのババを何枚も引当てていくうちに、対策の必要にせまられた。とはいってもゲームの達人の商人相手にババをつかませる自信はない。最良の策は、結局のところ、紙幣の状態を改善することだ。何とかしてこのすさまじい汚れを落とすのだ。最初は、消しゴムを使ってみた。片方が普通のラバーで反対側が砂消しになっているやつだ。ラバーではあまり汚れは落ちなかった。汚れはお札の繊維
の中まで浸透している。砂消しの方は、汚れといっしょに毛羽立ったお札の表面まで削ってしまった。消しゴムはお札の汚れには有効ではなかった。やはり汚れは、洗うしかなさそうだった。表面が毛羽立つほどくたびれたお札を水に浸けて洗うのは、消しゴムよりも危険な気がした。タオルのようなになったお札がふやけて、強度が落ちるかもしれない。

 ためしに一番汚れた真っ黒の500リエル札を石鹸で洗ってみた。擦り切れたお札の表面を指でなでるように洗うと、汚れは石鹸に分解され、泥のようにお札の表面を覆い、柄も何も見えなくなった。洗っているのか汚しているのかよくわからない。もしかすると表面の汚れを繊維の奥に浸透させているだけかも知れない。ひととおり表面をなで、泥まみれになったお札を水に浸けてゆすってみた。現像液の中の印画紙からモノクロ画像がゆっくり浮かび上がってくるように、汚れの中に隠れていた絵柄が現れた。汚れはきちんと落ち、アンコールワットはしっかりお札に焼きついていた。お札のコンディションにも影響はなさそうだった。

 汚れたお札を全部洗面台の水にぶち込んで次々と洗った。すぐに水が黒く濁った。これは埃なのか、泥なのか、それとも手垢なのか、あるいはもっと別の何かなのか……。何度か水を取り換え、お札の状態を確認しながら作業を続けた。お札を手の平にのせ、石鹸を塗り、指で環を描くように全体に石鹸を広げながら洗っていく。決して、もんではいけない。指の腹でやさしく丁寧に扱う。それでも、消しゴムなど話にならないほど効率良く汚れが落ちる。よく濯いだあと、しばらく洗面台の水に浸けて、繊維の中に残った石鹸や汚れが完全に溶けるのを待った。澄んだ水底で折り重なってたたずむリエル札やドル札は、もはや卑しいババではない。いつでも流通の第一線に復帰できる現役の紙幣である。かつてババだったこの紙幣の押しつけ合いに、どれだけのつまらないエネルギーが費やされたことだろうか。

 しばし水底の不運なお札のこれまでの不当な扱いに思いをめぐらせたら、水中から取り出して鏡やタイルに貼る。バスルームのタイルに張り付いた二十枚ほどの紙幣を、人が見たら何と思うだろうか。何かの儀式に見えないでもない。乾くとタイルからはがれて濡れた床に落ちるものもある。生乾きくらいで回収した方がよい。乾燥したお札は汚れが落ちただけでなく、皺が伸び、張りもでていた。アイロンがあれば完璧だろう。折り目が擦り切れているものは、スコッチテープで補修する。これで完了である。これがかつては、あれほど忌み嫌われたババであったことなど誰が気付くだろうか。

 以来、どこへいってもババを引き当てる度に、すぐに洗って流通の第一線にもどした。だが、一枚だけどうにもならないものがあった。それは水中で二枚に分離した。破れた紙幣を、紙と糊で貼ってあったのだ。洗ってからスコッチテープで接合すればよい。しかし、その紙幣は図柄が合わなかった。左右で別々の紙幣かと思ったが、そうではなく、どちらも同じ紙幣の右側半分だった。汚れでデザインが見えないので誰にも気付かれなかったようだ。ということはどこかに左側半分で構成された紙幣があるのかも知れない。それを僕が引き当てる可能性はまずないので、右側だけの紙幣は惜しまれて現役を引退した。

 注意点がひとつある。洗濯洗剤は使ってはいけない。外国の洗濯洗剤には漂白剤の入ったものが多い。これにお札を浸けると、印刷には影響はないものの、地の部分が微妙に漂白されてしまう。ほのかに漂白されたドル札は、まるでニセ札のように見えた。石鹸を使う方が安全だが、そもそもこうした資金洗浄をしてもよいのかどうかを僕は知らない。


 おカネについてもう少し書きたいと思う。
 特に何かに役立つ話ではない。
 とりわけおカネ儲けにはいっさい役立たない。
 ささやかな、ヒントさえもない。
 それだけは断言できる。


そもそもおカネとは何なのか ② 80兆円と1000兆円
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/472b893a115ba84fba9fcc715d5f2287?fm=entry_awc

そもそもおカネとは何なのか ③④⑤
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/191061a2a824d42c12f8a8f431307a0c?fm=entry_awc


そもそもおカネとは何なのか ② 80兆円と1000兆円

2009年12月28日 23時04分35秒 | 通貨・マネー

 われわれはおカネのいったい何を知っているだろうか。
 おカネを使いこなすのには特別の訓練も知識もいらない。小学生になれば、自然に使いこなしている。マネタリーベースとか、預金準備率なんて知らなくても何も困らない。おカネそのものを商品にしている人なら、おカネに関する深い知識を持っているだろう。しかしそれでも、おカネの根本的な仕組みについて問い直すことはあまりないと思う。
 なぜならそれは、経済学がとっくに解き明かしているのだから。

 はたして経済学は、おカネの何たるかを解き明かしているだろうか。
 経済学者ガルブレイスはこんな記述をしている。

経済学の他のいかなる分野にも増して、貨幣の研究は、真実を明らかにするためではなく、真実を偽装し、あるいは真実を回避するために、複雑さが利用される分野なのだ。
p9 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス

 ガルブレイスがこの本を著したのは1976年だが、以後、貨幣の真実が明らかになったかというと、あまり大きな期待はできない。貨幣研究に限らず、経済学は全般的に何か釈然としないものがもやもやたちこめている。

第二次大戦後の経済学の大半は改めて最初からやり直されるべきである。「学問的」発見と称されている経済学の業績の大部分は、これまでとは別の方法論にしたがって、文字通り再作業されるべきである。そうでなければだれも信用すべきではない。
p6 『ノーベル賞経済学者の大罪』 ディアドラ・マクロスキー

 もしかすると、おカネに関するわれわれの認識はまったく見当はずれなのかも知れない。


80兆円の現金と1000兆円の預金

 現在、日本銀行が発行している日本銀行券の発行高はおおよそ80兆円である。それに対して、銀行全体の預金(普通預金、当座預金、定期預金など)は約1000兆円ある。日本銀行は80兆円しか日本銀行券を発行していないのに、なぜ、銀行には1000兆円もの預金があるのだろうか。この1000兆円はいったいどこからやってきたのだろうか。

 経済学を学んだ人なら、「それは信用創造と言って、最初に預金されおカネが銀行間を移転する過程で、最初の預金の乗数倍の預金が創造される。信用乗数の等式は……」といった具合にこともなく説明するだろう。

 銀行システムの中に預金が生まれる仕組みを、経済学では「信用創造」と呼ぶ。それを説明する理論が、信用乗数論(貨幣乗数論、乗数的信用創造論)である。図書館で『経済学』や『マクロ経済学』の名のついた内外の解説書を開けば、ほぼそのすべてに載っているだろう。この理論は世界中で教授されている定説であることがわかる。この理論の創始者はC.A.フィリップス(1882-1976)。

 しかしながら、フィリップス流の信用乗数論は実証的な検証に耐えられるような理論ではない。銀行システムの研究者なら、およそこんな説は信じていない。

信用乗数における信用創造論については、現実の銀行および中央銀行の行動から見ると理解に苦しむところがある。
p154 『決済システムと銀行・中央銀行』 吉田暁

乗数的信用創造論は、準備と預金の関係を説明するものではあっても、信用創造の実際のプロセスからみると非現実的である。
p201 同上

この通俗的な信用創造論には……、最初の「本源的預金」はどこからくるのかについてはまったく説明がな(い)……また、この過程はたんなる金融仲介の繰り返しにすぎず、銀行でなくてもたんなる金融仲介業で十分可能である。
p90-91 『現代金融と信用理論』 信用理論研究学会

貨幣乗数論においては、貨幣乗数の過程が成立する中で、受動的に銀行資産が増加すると考えている。……。しかし、銀行が貸出を増加させるのは、……利潤を得るためである。銀行は有望な貸出先、証券があれば、貸出や証券購入を行う。そうでない場合には、……行われない。このようなむしろ自明のことが貨幣乗数論では無視されている。
p54 『貨幣と銀行』 服部茂幸

 銀行システムの研究者にとって、信用乗数論は机上の論理の典型例のようだ。本来ならとっくに、現実的な説に置き替わっていなければならない。しかし、いまだに経済学のテキストでは、信用乗数論が貨幣的真実として教授され続けている。実に奇妙と言うしかない。ガルブレイスの言葉が現実味をおびてくる。

 では、実際には銀行システム内にある預金はどのようにして生まれたのだろうか。実のところそれは、ほんの数行の引用で事足りるほど単純だ。この単純明快な仕組みの説明を経済学は頑なに回避している。

現代においても、信用創造の典型的なケースが「貸出」による「預金貨幣」の創造であることには、まず異論は少ないだろう。
p49 『現代金融と信用理論』

銀行は貸出によって相手先の銀行口座に預金を振り込む。こうして銀行は預金を創造する。
p41-43 『貨幣と銀行』

 たったこれだけのことなのだ。
 しかし、「貸出」によって「預金」が創造されると説明されても、ピンとこないはずだ。
 というのは、“ 銀行は預金を貸出しているのだ ” という固定観念がわれわれの中にあるからだ。
 銀行は預金など貸出していない。銀行は貸出によって、預金を無から創り出しているのだ。
 まさか、と思われるだろうが、それが真実なのだ。

 銀行が貸出を行うことによって、いままで存在しなかった新たな預金が銀行の中に創造されるのだ。だからこそこのプロセスは『信用創造』と呼ばれる。信用(=通貨)とは創造されるものなのだ。つまり、何もないところから誕生する。「貸出」以外の方法で預金が生まれることはない。したがって、日本の銀行システム内にある1000兆円の預金は、すべて銀行「貸出」によって創り出された。こうして創られた預金は、通貨として機能するので「預金通貨」と呼ばれる。

 おカネの真実を理解するのには特別の知識は必要ない。必要なのは、思考の柔軟性だ。
 今日、天動説を信じている人はまずいない。しかし、中世ヨーロッパでは太陽が地球の周りを回っていると固く信じられていた。地動説など正気の沙汰とは思われなかった。コペルニクスやガリレオが、その他の学者と違っていたのは知識の多寡ではなく、常識や固定観念に囚われない柔軟な思考力を持っていたことだ。ただし、無闇矢鱈と反対意見を否定する行為はあまり意味があるとは思われない。常識に囚われないというのは内的な行為であって、挑戦の対象は自分自身なのだ。

 


 1000兆円の預金の内訳
   「預金通貨」が約400兆円………預金通貨とは、要求払預金 (普通預金、当座預金など)のこと。
   「準通貨 + CD」が約600兆円…準通貨とは、定期性預金のこと。CDは譲渡性預金
          
準通貨とCDは休眠中の預金通貨であり、満期や解約によって預金通貨にもどる。

 詳しい数字は下記を参照。
 マネタリーサーベイ  日本銀行HP
http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/money/datams/index.htm

 

そもそもおカネとは何なのか ① プロローグ
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/938957d1f1e6b8813e2e713650a250c1

そもそもおカネとは何なのか ③④⑤
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/191061a2a824d42c12f8a8f431307a0c


そもそもおカネとは何なのか ③④⑤

2009年12月28日 23時04分19秒 | 通貨・マネー

③ コインの表裏

貸出と預金は表裏一体

 銀行が「貸出」によって「預金」を創造するプロセスを、単純化したバランスシートで見るとわかりやすいかも知れない。

      銀行のバランスシート (貸借対照表)

   
貸出は金利を生むので資産に、預金は払戻義務があるので負債に計上される。

 いまこの銀行には貸出も預金もない。そこへ融資の依頼が来て、この銀行は1000円の融資を承諾したとする。銀行は依頼者の口座を作って1000円の貸出を実行する。銀行が貸出を実行するということは、借り手が口座の預金を手に入れるということだ。貸出の実行にはキーボードを叩くだけでよい。
 バランスシートは、次のようになる。
 1000円の貸出と1000円の預金が生まれた。



 
銀行が貸出を行えば、必然的に預金が生まれる。なぜなら、これはひとつの行為だからだ。ひとつの行為を別の角度から表記しているにすぎないのだ。銀行貸出とは、すなわち預金創造なのだ。貸出の度に、次々と預金が創造される。これらの預金はいままで存在しなかった預金だ。だからこそ『信用創造』という用語が適切なのだ。

 こんな芸当ができるのは銀行だけだ。証券会社や保険会社にはマネができない。証券や保険は、すでにある資金を移動させるだけで、新たな通貨を生む機能はない。これが、バンクとノンバンクの決定的な違いだ。バンクは、貸出によって無から預金通貨を創り出す。ノンバンクは、バンクが創造した預金通貨を単に仲介するだけだ。

 貸出創出と預金創出はひとつの行為だが、主体は貸出である。貸出が実行されない限り、預金は創出されない。順序をつけるとすれば、貸出→預金、ということになる。逆は、あり得ない。銀行が預金を貸出すことはない。銀行が、定期預金を貸付ける場合でも、新たな預金が創造される。定期預金を貸付けているように見えるだけで、そのとき銀行は、さらに新たな預金通貨を創り出している。

 銀行は、キーボードを軽く叩くだけで、貸出を実行し、何もないところから預金を創造する。キーボードのなかった時代は、ペンとインクで預金は創り出された。

銀行業が貨幣を創造する過程は、特に頭を使わなければならないほど複雑なものではない。何かこれほど重要なことが問題であるなら、もっと深い神秘性があっても当然だと思えもしよう。
p30 『マネー その歴史と展開』


現金通貨も「貸出」によって生まれる

 預金通貨は、商業銀行の貸出によって生まれるが、現金通貨の場合は日本銀行による貸出によって生まれる。
 約80兆円の現金通貨のうち約70兆円は、日本銀行による長期・短期国債の購入・引受によって供給されている。国債とはすなわち日本政府の借用証書である。

 現金通貨も預金通貨も、われわれがおカネと呼んでいるものは、誰か(個人という意味ではない)が債務を負わなければ創り出せない。ようするに、おカネとはすべて誰かの債務なのだ。これが、おカネの本当の姿だ。


日銀取引の詳しい内訳は下記を参照。
マネタリーベースと日本銀行の取引  日本銀行HP
http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/boj/mbt/index.htm



④ 無から無へ

債務が返済されるとおカネは消滅する

 おカネの誕生については明らかになった。
 そして、誕生があるということは臨終もある。
 無から生まれた通貨は、返済によってもとの無にもどる。

 普通われわれは、返済された元本は銀行にとどまり、またどこかへ貸出されると考える。しかし、そうではない。すでに見たように、貸出と預金はコインの表裏なのだから、コインの表だけを消滅させることはできない。表が消滅すれば、裏も消滅する。返済によって貸出が消滅すれば、その分の預金も消滅しなければ帳尻が合わない。

 返済によって貸出と預金が消滅する過程も、バランスシートで見れば一目瞭然だ。
 借り手は、まず借りた1000円を支払いに使うので、預金は他行に移転して口座はいったん0になる(
この銀行のバランスシートは一時的に不均衡になるが、システム全体としては均衡している)。その後事業活動によって借り手は1000円を儲けたとする。



 口座に1000円がたまったので、借り手は返済を実行する。まず500円を銀行に返済すると、借り手の預金は500円減少し、返済を受けた銀行の貸出も500円減少する。



 そしてさらに500円を返済すれば、貸出も預金もゼロになる。



 このように、元本がすべて返済されれば、貸出も預金も消滅する。
 貸出によって無から生まれたものが、返済によって無にもどるということだ。
 ごくあたりまえの理屈だ。

現代の貨幣つまり現金通貨と預金通貨はいずれも信用貨幣であり、銀行の銀行としての中央銀行を頂点とする銀行システムを通じて、貸出によって供給され返済によって消滅する、という形で国民経済に対して供給される。
p『決済システムと銀行・中央銀行』

 これで、おカネの誕生から消滅というプロセスが明らかになった。
 銀行貸出が預金通貨を創造すると、経済の中の通貨がその分増加する。そして、元本が返済されると、貸出も預金も消滅し、その分の預金通貨が経済から減少する。このプロセスが繰り返される。


⑤ 国家債務は未来永劫まで

債務は返済されてはならない?

 中央銀行を頂点とする銀行システムは、今日、ほぼ世界共通システムとなっている。
 世界中の現金通貨と預金通貨は、中央銀行と銀行の貸出によって生まれている。ということは、こうした貸出がすべて返済されたとき、世界中の通貨が消滅するということになる。理屈上そういうことになる。もちろん、現実に、そうした事態が起こることはない。しかし、起こらないからといって、それでいいのか?、という思いが残る。

 この通貨システムは、債務が返済されないことによって成り立っている。逆に言うと、債務が返済されるとシステムが成り立たない。しかし、早合点してはいけない。それは決して、銀行から借りたものは返さなくてもよい、という意味ではない。それが意味するところは、こうだ。元本はそのままで、永遠に金利を払い続けろ、ということだ。

銀行はじつは貸し金を返して欲しいとは思っていない、ということを忘れてはならない。……。銀行は貸した金の金利によって儲けるのであって、元金の返済を受けても儲けにはならない。……借り手が金利だけを支払い、元金は返済しないでいてくれるほうがずっとありがたい。……。銀行が政府機関に貸し出したがる理由の一つは、その融資が返済されることを期待していないからだ。
 p49 『マネーを生みだす怪物』 エドワード・G・グリフィン

 銀行が貸出の返済を望まないのは、個々の銀行の利己的な利潤追求の結果であり、通貨システム全体を考慮してのことではない。また、銀行は自行の都合によっては、いつでも元本を回収する。金利を滞りなく支払っていても、容赦なく貸し剥がしは行われる。

 中央銀行レベルでは、大規模な債務の返済はシステムに対する脅威と映るだろう。たとえば、国家債務が返済されるとしたら、それだけで相当な通貨が経済から消滅する。当然、経済活動は極端に収縮する。中央銀行は、政府による国家債務返済の努力をまったく望んではいない。

フィラデルフィア連銀はこう述べている。「一方、国家債務は恵みとは言わないまでも有益であるという大規模な分析が増えている。……(それらの分析では)国家債務はまったく減らす必要がない」
 シカゴ連銀も言う。「債務 ─官民を問わず─ はなくならない。債務は経済のプロセスで不可欠の役割を果たしている。……債務をなくすことが必要なのではなく、慎重に利用し、賢明に管理することが必要である」
 p235-236 『マネーを生みだす怪物』

 国家債務は、この通貨システムの本質をなす部分なのだ。
 したがって、この通貨システムの下では、国家債務が解消されることは期待できない。
 国家は債務に縛られ、そのしわ寄せはすべて国民に回されるだろう。
 世界がいま抱えている問題の大部分は、この通貨システムそのものにあるのではないのか。
 
 ガルブレイスは、貨幣研究の何を指して「真実の偽装」「真実の回避」と記述したのだろうか。
 そしてそれはいったい何のための偽装や回避なのか。
 残念ながら、彼はいっさい具体的なことを記していない。

 安宿の洗面台の水底に折り重なってたたずんでいた古びたお札も、カブールの山頂でピストル強盗が奪っていったピン札のドル紙幣も、あなたのサイフや預金口座にあるおカネも、すべてどこかの誰かの債務によって創造された。この地上に存在するあらゆるおカネは、日々、膨大な金利を発生させている。

 
債務によってしか通貨が供給されないという、この通貨システムは本当に妥当なのか。
 そういう根本的な問題をこそ考える時期なのではないだろうか。

  

参考資料
 『決済システムと銀行・中央銀行』 吉田暁 日本評論社
 『現代金融と信用理論』 信用理論研究学会 大月書店
 『貨幣と銀行』 服部茂幸 日本経済評論社
 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス ティビーエス・ブリタニカ
 『ノーベル賞経済学者の大罪』 ディアドラ・マクロスキー 筑摩書房
 『マネーを生みだす怪物』 エドワード・G・グリフィン 草思社

 マネタリーベースと日本銀行の取引 日本銀行
 http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/boj/mbt/index.htm
 マネタリーサーベイ 日本銀行
 http://www.boj.or.jp/theme/research/stat/money/datams/index.htm

その他参考資料
 『スティグリッツ マクロ経済学』 ジョゼフ・E・スティグリッツ 東洋経済新報社
 『マンキュー マクロ経済学Ⅱ』 N・グレゴリー・マンキュー 東洋経済新報社
 『経済学』 西川俊作 東洋経済新報社
 『経済学入門』 鬼塚雄 東京大学出版会
 『明快マクロ経済学』 荏開津典生 日本評論社
 通説的信用創造論(所謂フィリップスの信用創造論)の批判的検討
http://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-KJ00004176289.pdf


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