報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

軽い読み物と写真 : バイクを駆る人々 カンボジア

2008年07月03日 00時48分53秒 | 軽い読み物と写真/他


 東南アジアの雨季。
 スコールは、いつ落ちてくるのかほとんど予測できない。
 強い風が突然吹くと、雨が接近している可能性が高い。
 ひとまず軒を探せ。
 スコールはたいてい一時間もすれば水分を絞り切って止んでくれるはずだ。
 通り雨なら、ゆっくり隣町を水浸しにしていくだろう。
 スコールは、あたりの日常を一瞬にして別の世界に描いてくれる。
 カメラに飛び散る飛沫と戦いながら、ファインダーを覗け。

 
【 シェムリアップのスコール 】

 シェムリアップはアンコールワットに隣接する地方都市で、十数年前に、はじめて訪れたときは、とてもこじんまりした印象だった。中心部を外れれば、木造の家屋が点在し、水田がどこまでも広がっているだけだった。

 ジャングルが夕日を呑み込むころ、遺跡からの眺望を求めて、アンコールワットの急な階段を、ツーリストや僧侶、地元の人々が登った。その数は30人ほどだった。バイヨンの遺跡へ行ったときは数人の人影を見ただけだった。173ある尊顔は少し手持ち無沙汰にしていた。熱帯林の根が遺跡を鷲掴みにしているタ・プロームには、僕以外誰もいなかった。あまりにも静かで、鳥の羽ばたきでも、回廊の天井が崩れそうで中に入れなかった。

 ガイドブックに載っているシェムリアップのゲストハウスやホテルは数えられる程度で、ここを訪れる観光客は、おそらく年間数万人程度だっただろう。
 しかし、21世紀に入ると爆発的な建設ラッシュがはじまり、いまでは、300件以上のホテルやゲストハウスが建設されている。絢爛豪華さを競い合う高級ホテルから、昔ながらの5ドルほどのゲストハウスもある。カンボジアを訪れる観光客はこの数年で倍増し、年間200万人に達している。このペースで増加すれば、あと10年ほどでカンボジアの人口を超えるだろう。
 そうなったとしても、シェムリアップ周辺の広大で平坦な地形にはホテルの建設用地はほぼ無限にある。いずれ、遺跡から遠望する夕日は、広大な地平線にではなく、林立するホテルに呑みこまれるのかもしれない。

 過去の記憶の地図をまさぐりながらシェムリアップの街並みを歩いていると、よくスコールが落ちてきた。空から雨が落ちてくるのではなく、空全体が落ちてくる感じだ。7月のシェムリアップは雨季たけなわだった。
 何度かガソリンスタンドで雨宿りをした。大きな屋根があるので、カメラを濡らす心配が少ない。ファストフード店やコンビニが併設されているので、横殴りの雨になれば中へ逃げることもできる。

 スコールが地面を叩き始めると、バイクが次々と避難に来て、屋根の下はすぐいっぱいになった。しかし、雨に困惑しながらも、そのまま走り続ける人もけっこういる。雨がさらに勢いを増しても、まだバイクで走っている人がいる。
 ずぶ濡れになっても急がなければならない用事があるのだろうか。それとも、用事はないから濡れても平気なのか。あるいは、濡れたから単にやけくそで走り続けているのだろうか。そんなささやかな疑問の飛沫を後方に飛ばしながら、バイクは走り去っていく。それをSOKIMEXのガソリンスタンドから撮り続けた。

 別の日のスコールでも、ガソリンスタンドで雨宿りをした。今度はCALTEXだ。スコールは前回よりもはるかに激しくなり、雨粒はゴルフボールのような大粒になって地面を飛び跳ねた。しかしそれでも、走り続けるバイクがいる。顔面を打つ雨粒でほとんど前は見えていないかもしれない。そんな状態で懸命にバイクを駆る人々。カメラに降りかかる飛沫を拭いながら、その姿を撮影した。撮り集めると案外面白かもしれないと思ったが、雨季といっても、スコールは、降らないときは三日でも四日でも頑として降らない。

【 過熱都市プノンペン 】

 雨季のカンボジアをシェムリアップから首都プノンペンへ移動すると、そこは、人、モノ、クルマ、バイクであふれていた。

 しかし、十数年前は首都プノンペンも、こんな風ではなかった。
 メインストリートでも乗り物はそれほど走っていなかったし、通りを歩く人も少なかった。人口そのものがまだ都市の容量をそれほど満たしてはいなかったと思う。モノの流通は食材や日常雑貨程度で、耐久消費財を売るような店はほとんど目にしなかった。

 そして、夕闇が通りを覆い始めると、もともと少なかった人影や乗り物が急速に消えてゆき、ほどなく、深い闇だけが通りにとり残こされた。街全体に生き物の気配がなくなった。
 夜空には毎晩のように曳光弾が弧を描いて飛んでいた。いつも同じ頃に、同じビルの屋上付近で、同じくらいの弾数が飛び、執拗に夜空のオリオンを撃ち抜いていた。たぶん、酔っ払いの暇つぶしだ。戦闘の危険が去り、弾丸は闇市でバーゲンされるようになっていた。屋上の射撃が終わったあと、オリオンを探すのは困難だった。

 一度だけ、二人乗りのバイクが闇夜を東へ走っていくのを見た。後ろの男はAK-47を担いでいた。そのうしろ姿をべランダの上から見送りながら、彼らは警官なのか、兵士なのか、ポルポト派なのか、強盗なのか、と考えた。彼らがいずれを名乗ったとしても、それほどたいした違いはなかったかもしれない。
 日が落ちて、漆黒の闇につつまれた通りに出ようなどという発想は誰にもなかった。扉をしっかり閉じ、建物にこもって、朝を待つのだ。

 現在の首都は必ずしも治安が良いとは言えないまでも、もはや立てこもる必要はない。
 夕暮れになると、川沿いは夕涼みの市民でいっぱいになる。王宮前の公園では、ゴザを広げ、家族で屋台の料理をつまみ、こころゆくまでくつろぎ、豊かなひと時をすごしてゆく。

 しかし、彼らの住環境は川辺ほどのゆとりはないかもしれない。かつては空気だけが住人だった首都の建物は、いまでは収容能力以上の人口を呑み込んでいるに違いない。よく見ると、どの建物もわずかに膨らみ、詰め込まれた人々の呼吸に合わせて、建物全体が伸縮しているのがわかるはずだ。
 首都を膨張させた人口を養うため、商取引もすこぶる活発だ。通りの商店のシャッターは朝早くから次々と開き、朝を待ちきれなかった商品が歩道いっぱいに手足を伸ばす。

 マーケットには、ありとあらゆる商品が、シリアの細密細工よりも隙間なくびっしり並び、トランプタワーの達人よりも絶妙なバランスで積み上げられている。ここで見つからないものはない。不安定なタワーに肘をぶつけないように、慎重に迷宮を進め。

 空が茜色に染まりはじめると、マーケット周辺の広い歩道には、多くの飲食店や屋台が店を開き、巨大なバーナーが路上で炎を上げ、炭火は西の空に代わって赤く燃える。中華鍋から勢いよく大空に舞い上がる油と香辛料が、あたり一帯の食欲に次々と点火し、一網打尽にしてしまう。夜遅くまで、バーナーが唸り、炭が燃え、香辛料が舞い、首都の胃袋を満たしていく。

 胃袋が満たされている間、大量のバイク群が路上で主人の帰りを待つ。これらのバイクは日中、プノンペンの街を縦横無尽に走り回り、街全体に喧騒と排気を撒き散らしてきた。おかげでプノンペンの大気は、人口が6倍のバンコクよりも汚れている。

【 奇妙なモータリゼーション 】

 プノンペンの街には、大量のバイクが奔流となって流れている。別段、不自然な光景には見えない。他のアジアの大都市と同じだ。しかし、何かがおかしい。
 
 二輪業界や二輪産業の研究者は、一人当たりのGDPが1000ドルを超えると、その国の二輪車の需要が爆発的に成長すると観察している。日本やタイ、中国などがこのケースに当てはまる。もうすぐ二輪のモータリゼーションがはじまるだろうと注目されているのがインドだ。一人当たりGDPは現在約730ドルだ。

 では、カンボジアの一人当たりGDPはというと、454ドルだ。数年前までは300ドルだった。そのカンボジアの二輪車の保有率は異常に高い。8.6人に1台だ(2000年)。隣国タイと比べてみるとよくわかる。タイで保有率が8人/台になったのは、一人当たりGDPが2000ドルに達したころだ。一人当たりGDPがわずか454ドルのカンボジアが、8.6人/台というのは、本来、あり得ない数字だ。これは、2000年の保有台数を元にした数値なので、現在はもっと高いことは間違いない。

 二輪の新車価格は約1000ドルする。カンボジアの世帯所得は全国平均が106ドル/月で、首都プノンペンは300ドル/月だ。一ヶ月の食費は全国平均が95ドル/月、プノンペン264ドル/月。つまり、所得のほとんどが食費に消えている。バイクを購入する余裕はほとんどない。仮に、すべてのバイクが中古車で価格が半額の500ドルだったと仮定しても、まだ高すぎる。

 こうした数字を見た限りでは、どう考えても、カンボジアの二輪保有率は異常に高すぎる。しかし、大勢の市民がバイクを所有し、日々、街を疾駆している。これは決して幻なんかではない。
 カンボジア国民は、何らかの理由で、貧窮の中でも相当な無理をしてバイクを購入したとしか考えられない。大多数の国民にバイクの購入を強いた要因がある。

 それは間違いなく、大量公共輸送の不在だ。プノンペンには一台の市内バスも走っていなければ、民間タクシーも走っていない。130万人が居住する都市に、市バスもタクシーも存在しないなんて冗談としか思えない。

 市内バス路線網は、アジアのどの大都市でも、市民生活を支えるための基幹インフラだ。カブールでさえ路線バスは運行されている。民間タクシーも走っている。人口約100万人の小さな島国東ティモールの首都でも、ミニバスやタクシーが多数走っている。僕の見る限り、アフガニスタンや東ティモールがカンボジアよりも条件的にめぐまれているとは思えない。ニュース映像で見ると、バクダッドにも市バスは走っている。130万都市プノンペンに市バスもタクシーも走っていないというのはあまりにも不自然で不可解だ。

 同じような条件下の他国の都市にある基幹インフラが、なぜプノンペンにはないのだろうか。何らかの障害が存在するとは思えない。要するに、市バスもタクシーもあっては困るのだ。

 僕は、タイのバンコクから陸路でカンボジアに入り、シェムリアップへ行ったのだが、タイとカンボジアは、国境を挟んで交通事情が変わる。タイ側は舗装された道路と快適なリムジンバスだが、国境を越えると未舗装の悪路と旧式のバスになる。

 カンボジア側のボロバスがデコボコ道に入って、座席がガタガタ振動し始めると、バスのスタッフは「では、みなさん、これからシェムリアップに向かいます。なお、このバスにはフリーマッサージのサービスがついています」と、おそらく言い飽きたジョークで車内を少し笑わせた。誰もが疑問に思う。カンボジアの主要幹線道路はすでに舗装されているのに、なぜこの区間だけは舗装されていないのか、と。これについて、バンコクの旅行代理店の友人が説明してくれた。「あの道路が舗装されないのは、バンコクからアンコールまで航空機を利用させるためです。バンコク・シェムリアップ間の空路はたったひとつの航空会社が独占しています。ですから運賃もとても高いです」と。

 カンボジア政府が、アンコールへの陸のルートを舗装しないことによって、悪路を敬遠した大部分の観光客を、この航空会社は自動的に確保することができる。この数年で観光客数は100万人から200万人に倍増している。もし、道路が舗装されたとしたら、失う利益は相当な額になるだろう。

 不自然な未舗装の道路と不自然な大量公共輸送の不在には、明確な共通点がある。どちらも、特定の誰かが利益を享受し、そして、不特定多数の人々が不利益を被っている。

 市バスやタクシーが存在しないことによって、恒常的な利益を得ると考えられる利権関係者は、二輪製造業、二輪販売業、中古車販売業、ホテル業、当該官庁などだ。不利益を蒙っているのは、もちろん国民すべてだ。本来、余剰購買力ができてから購入するものを、貧窮の中でも購入しなければならない。自前の足がないということは、通勤も通学も買い物もできないということだ。バイクタクシーや人力車はあるが、これらはごく補助的な移動手段にすぎない。
 政府は2006年までに反汚職法を成立させるとしていたが、制定されたという報はいまだ聞かない。

 プノンペンには一度だけ、路線バスが走ったことがある。日本のJICAによる社会実験で、2001年6月1日から30日までの一ヵ月間だけ運行された。JICAは2015年を都市交通の実施目標年次としているが、ちょうどそのころには、カンボジアのバイク保有率は確実に飽和状態になり、すでに二輪販売は頭打ちになっているだろう。

【 バイクを駆る人々 】

 大量公共輸送が存在しないため、130万都市プノンペンでは、バイクは我々の想像力の限界を超えた活用法がなされている。

 四人家族全員で乗るくらいはまったく普通のことだし、それ以上の乗車も特別のことではない。家族が一緒に移動しようと思えば、一度に乗るしかない。

 荷物の輸送はもっとすごい。ゴム紐さえ使わず、合計300kgの米袋六つを自重だけで安定させて運んでいるバイクもいる。ベッドのマットレスは6枚積まれているのを見た。剥き出しのガラス板を前後の人で挟んで走る、熱帯の暑熱もたじろぐほどクールなバイクもいる。

 一般的にこれらの行為は、危険を理解しない無知のなせる業と受け取られている。そして、先進国による交通教育が無知を解決すると説く。しかし、表面的な現象だけを見て、即断するべきではない。人々を無知な存在と喧伝することによって、問題の本当の本質を覆い隠そうとしているのだ。これは被害者を犯人にしたてているようなものだ。

 プノンペン滞在中、バイクを駆る人々をひたすら撮り続けたが、少なくとも僕のカメラのファインダーの中を走り抜けた人々を見る限り、喧伝されているような人は発見できなかった。

 そのむかし、僕がようやく立って歩きはじめたくらいの頃、僕の乗り物はミカン箱だった。ミカン箱から子供二人が顔を出し、京都の街並みを眺めた。家に帰ると僕たちのミカン箱は降ろされ、出かけるとき、またバイクの荷台にくくり付けられた。








※決してこうした乗車方法、使用方法を推奨するものではありません。
  言うまでもなく、マネをしないでください。

本稿で紹介しきれなかった写真画像をスライドショーにしました。
運ぶ編、乗る編、スコール編の三本の予定です。
よろしければご覧ください。