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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

教育再生会議、<履修不足>問題を利用するな!

2006年10月27日 01時21分01秒 | 格差社会と政治
<履修不足>都道府県教委の管理上の落ち度重視 文科相 (毎日新聞) - 10月26日21時42分更新

現場無視の(無能な)経営者感覚重視で 『組合い』つぶしに躍起な 改革姿勢。
重大な責任事件にも、現場をつぶせばそれで済むとの無責任な行政改革が 荒廃を産んでいる。

私は若いときから 組合 は無用であったが、小泉改革で 組合つぶし が明らかになり、結果として各企業の 『現場の労働環境が崩壊』 していることを知った以上、愚か者達(為政者達)の 組合つぶし行政(改革) には断固として戦う。

まずは、組合が無くとも安心できる 教育や行政を行ってみよ。
かつての日本は、組合と企業が協力して繁栄を得たではないか。

イジメ自殺 が無くならないのは、論理ばかりで「清新な教育者魂(プロ根性)」の無い お前達とそのともがらが原因である。

嫌われ者ジョージィ、『子らよ、何かを望むのか?』

2006年10月27日 00時42分23秒 | Weblog
あたまのない乱暴者や、仕事上の能力の低い人物らからは 手ひどく嫌われる私だが、反対に、
乳児から幼児、さらに小児らからは関心を持たれやすい私なのである。

最近特に気になるのが、乳児らのの視線である。
私の存在を見つけると、ずっといつまでも 私を見つめる姿を多く見かけるようになった。

先日バイクで(自宅から遠く離れた)公園のそばを通った時、道路から10mほど奥に若いお母さんに抱かれた乳児がいた。
私を見つけた乳児は とたんに母親の腕から身を乗り出すように 私の視線を追って来たのだ。
そしてまた今夜も、自宅前にバイクを停めた時、母親の自転車の前に座った乳児(幼児?)が前方から向かって来るときに私を見つけ、通り過ぎてもまだ私に視線を送って来た。

私にとっては偶然ではない。
例えば以前、(身体の)成鳥が遅れていて、専門のリハビリを受け続けても一向に改善しない子供と会った。
2歳近くにもなっているのに自分で身体を動かすことも、一言も話す事もできなかった。

私が会ってみると子供はすぐに大喜びの笑顔(Big Smile)を見せた。
会えばいつも私に向かって腕を伸ばすので、抱き上げながら少しづつ立たせてみたら(寝返りもできないのに)2ヶ月目にはつかまり立ちできるようになった。私を見ればすぐに「立たせろ」とせがむのである。
ある時、
子供用のイスにつかまり立ちさせていたら、いつの間にかイスを滑らせて私のそばまで押してきた。そして「ウン!ウン!」と云いながら何度も離れる私をまっすぐ追いかけて来て、とうとう私は壁に追いつめられた。
もしかして?と、私がイスの向きを変えてあげると、そのまま大きなテーブルを3週もしてしまった。

その後も毎週一緒に遊びながら指や手足の力を鍛え、(初めは怖がったが)ついには手で支えてあげれば自分で歩くようになった。
3ヶ月目には私が横から呼びかけると、「きゃっきゃっ」と笑いながら突然寝返りが出来るようになった。
4ヶ月目には支えてあげれば階段の上り下りから、走るようにさえなった。
5ヶ月目に発声の仕方を教えたら、私を真似て始めて声を出すようになった。
その後は夫婦に任せたが子供は勢いに乗って普通の子と同じに成鳥していったのである。

このような事は、私が国内外どこに行っても同じような事が起こる。
まず子供が私を選び、私が”何かを”手伝い、子供が変わる。
するとその両親の夫婦関係の円満度が高まっていく。幸せ家族が増えていくのである。

北朝鮮(核)、米国の扇動?『偽札(Super note)報告書』

2006年10月26日 18時23分39秒 | 格差社会と政治
久々にブッシュ米大統領の表情をテレビで看た。

米国財務省は、精巧な偽ドル紙幣(Super note)流通の主犯を 北朝鮮政府 であるとの正式な報告書を作成し、発表した。

扇動作戦は、日本政府への合図だ。
なるほど、ここに週間雑誌メディアの 北朝鮮難民記事 が流通するわけか。
何としても北朝鮮には動いて欲しい 米国ブッシュ政権と、日本政府である。

さて、日本政府の発表が先に出るか?それとも、北朝鮮国内で工作事件を起してから叩きつぶすつもりか、国際世論高揚にお忙しいことだ。

真っ先に米国の盾として犠牲になるのは日本だから、映像に出たブッシュ大統領の表情も涼し気である。

他人(ひと)の『職務経歴書』の中身は?

2006年10月26日 16時45分53秒 | Weblog
職務経歴書(履歴書詳細:RESUME)には、
いつ、どの企業で、どのような仕事(内容)を、どのように(関わり方)、をどのくらい(量・期間) 行ったか。
を簡素に記述すると思うのだが、一般のひとたちはどのような内容なのかと関心がある。

もし私が 職務経歴書 だけで判断するとしたなら必要であろうと思う内容を記述するのだが、人材会社などをとおすとあっさり削除されて先方に渡されてしまうのだ。

「そんな記述内容では私は何もやっていないみたいではないか!」と抗議しても聞き入れられない。
それでいて、先方は先方で、
「ほぅ、いろいろやられてきた方なのですね」 などと云うので、私はあっけにとられてしまう。

一体皆はどんな経歴書を作っているのか不思議で仕方がない。

だいたいが 1990年代初頭で苦労 した 『職務経歴書』 作りである。

その5年後、再び勤務先を変わったときには 新たな事項を経歴書に追加すると3頁では収まらず、1982年以前の勤務分は諦め(未記入)て、かつ泣く泣く間引いてさらに間引いて 作成 した。

次の勤務先で、米国本社との一件が落着(勝利)したとき、改めて私の経歴書を見たひとりの社員は、「ありったけの事を書き出しましたね」 と笑いながら云ってきた。

冗談ではない。提出した 職務経歴書 は、内容を間引きに間引いたものである。

通常では、どれだけの成果を出せば 仕事をしてると認めてもらえるのだろうか?

団塊世代。再考査メモ(1)

2006年10月26日 15時14分46秒 | ベビーブーマー
(もう一度考えてみる)

日本の終戦後、昭和20年を切り取ると 団塊の親世代が見えてくる。
昭和20年という数字自体がキリが良いので判りやすいが、おおむね、明治40年~大正末が 親世代に該当するだろう。
 ・・・・
[補足]日本の戦後復興を担ったのは、
団塊の親世代のみならず、戦災孤児や地方の 若年層(10代前半) を含む世代。すなわち、
明治~大正 ~昭和10年代初頭 に生まれた人々となるだろうか?
 ・・・・
団塊の親世代年齢は重要な意味合いを持つ。
戦勝国米国(GHQ)の指導下で、
日本が民主国家になる以前の日本。すなわち(旧)君主政治(大日本帝国)時代に係わる人物が含まれるのである。

戦前日本には、
政府や官僚、その取り巻きである財閥などの少数の特権階級市民のほか、大多数である一般民衆の『格差階層』が存在していたし、
地方の農村にさえ、大地主と農地さえ持たない小作人 が存在した。

この日本の特権階級層が持つ組織・財産が米国によって解体され、民衆や地方の小作人達にも配分されるのである。
大打撃を受けたのは誰であろう?

【 団塊世代 】
民主国家という新しい時代を迎えた日本では、
インテリ層]戦前・戦中の権力層はもちろん、戦後の混乱で財を得た人々を含め、財政的に余裕のある家庭または教育の重要性を認識できた家庭は、自分の子らに対する高度教育を目指した。この子たちが 団塊世代のインテリ(大学)層 である。
社会に出て行くのは、1968年(昭43)~1973年(昭48)頃くらいか?

対して、
労働者層]地方を中心に、一般市民の子たちは 義務教育を終える(15歳位)とすぐに
団塊の親世代と共に戦後復興を支えた昭和一桁世代の働く社会に参画して行った。 団塊世代の労働者層 となる。
社会に出て行くのは 1962年(昭37)~1967年(昭42)頃となるだろうか。


【 年齢速算表 】
・団塊の親世代: 昭xx年: xx +1 ~ +16(歳)
・若年復興世代: 昭xx年: xx -12 ~ -0(歳)
・団塊世代年齢: 昭xx年: xx -21 ~ -16(歳)
※面倒か...。

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11/08 団塊世代。再考査メモ(3).- バブル期前夜(序章)
10/30 団塊世代。再考査メモ(2).- 再教育の影響か
10/26 団塊世代。再考査メモ(1) - 出生構造
10/06 団塊世代。その構造を理解する(6).- 学歴階層
10/04 団塊世代。その構造を理解する(2).- 親世代年齢

衆議院、憲法調査特別委員会質疑 (なにっ!?)

2006年10月26日 11時46分31秒 | Weblog
改憲派議員と各党の委員会質疑が行われているが、

社民党・辻本氏が
「今の議席配分は、昨年の郵政民営化の賛否を問うたものであって改憲を支持したものではない」旨、質問したところ、
立案者の改憲派議員からは
「(郵政民営化法案後)直近に行われる改憲についても(国民は)認識していたはず」との回答となった。

郵政選挙自体が、小泉議員は 繰り返し『一部の既得権者』と『だから郵政民営化』ばかりを発言していた。
そもそも『一部の既得権者』とは何かさえも明確に知らしめてはいない。国民が勝手に「悪の想像」を膨らまさせる悪質な心理操作だ。

もし、『マニフェスト』には書いてあったなどと云うならば明らかに国民を愚弄している話だ。選挙無効論議が出てもおかしくはない。

国際動静、米政権の対イラク方針撤回(私見)

2006年10月25日 21時39分09秒 | 格差社会と政治
<米政権>イラク政策スローガン「この道を突き進む」撤回 (毎日新聞) - 10月25日12時16分更新

小泉改革の最大の後ろ盾であった、米国ブッシュ政権の崩壊の構造が明確な形で露呈し始めたかも知れない。

ブッシュ政治を支える後ろ盾は、彼らを助ける力はすでに離れた。
しかしわれらの戦いはまだ終わっていない。平和を妨げる力(Force)は生き続けている。

次は 小泉改革を継承した 安倍内閣の方針転換を勧めなければならないだろう。
このまま(悪の)改革が進めば、米国ブッシュ政権同様に重大な日本の崩壊の危機に近づくだけだ。

嫌われ者ジョージィ、怒濤のいじめられ人生(高校3年編)

2006年10月25日 17時35分02秒 | Weblog
私の記憶から消えていた高校時代のいじめでは、3年生になってからも起こった。
だが(現在の時期では)不謹慎ながら、当時の事はもはや 『いじめ』 とは呼べない。

イジメを受けた記憶もいじめを乗り越えた記憶もなかったのは、卒業の日、私がギターを弾いて(高校の3年間を一緒に過ごした)彼らも含め皆で大声でフォークソングを歌っていたからだ。
だから、当時の学校・教師が 「いじめは無かった」 と云ってもそれは全く正しい。
・・・・・
高校3年の時、私が受けた最後の『 究極のいじめもどき 』 はこうだ。

教科書のほとんどが入った私の 学生カバン が盗まれた。私の教科書を狙ったものと思われるが、盗んだ者は一切不明であるから クラス会議(?) にもかけられない。

教科書は、各教科の先生たちに相談にいったところ、予備の教科書を貸してくれた。
ただ英語だけは、嘱託の爺ちゃん先生だから予備がない。文句を言われながら自分のメモも記入してある 『教師用の赤本』 を貸してくれた。
※実はこの 『赤本』 のおかげで、高校3年の3学期には 成績評価が 『1』→『2』に変わって卒業できた。

『かばん』 はもっと大笑いである。
新しいものを買う金もなく、卒業年なので仕方なく 街で買い物したときのジーンズショップの紙袋に入れ、「恥ずかしい」 と思いながら学校に持って行った。
学校側も 「やむなし」 と判断して黙認してくれたのだ。

ところが、
他の全生徒は 生徒手帳に記された校則によって学生カバンしか持てない中、ショップの紙袋に教科書を入れて登下校する私は 羨望の的 となってしまった。
恥ずかしいどころか、(紙袋を替えたり)見せびらかしながら通学していた。

盗難事件はあきらかに (彼らの)『いじめ』 であるが、結果では いじめ にならないのだ。
互いの卒業を心から一緒に祝ったとしても 何の不思議 もないのである。

イジメは無くすより、受けている当事者に乗り越えさせることが重要だ。(強くなる)
※その考えで私は子供たちにも対応している。

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子育て問題、日本の『こどもたち』を取り巻く世相変化

2006年10月25日 15時31分12秒 | Weblog
1980年代初頭には、日本にも大きな社会変化が発生した。

社会に出ていた団塊世代の結婚が進むに連れ、親との同居はしない夫婦子どもだけの『核家族化』が進んでいたが、同時に子育てにも 『改革』 が始まっていた。

親が咀嚼(そしゃく)した食べ物を小さな子供に与えないとの考えもこの時期から始まったのだが、
子供の性格が悪くならないようにと、
叱らない、叩かない、ダメ!と云わない などなど、それまでの様々な 『シツケの慣習』 が否定されていった。
日本販 『 小皇帝 』 型子育て現象である。

日本型の子育ての感覚は、欧米を始めとする海外とは正反対に、
小さなうちは自由にさせて、理解が出来るようになってから厳しくすればいいとの考えが賞賛を受けていた。
私はたとえて、
「雑草に埋もれた畑からは、良菜は育たない」と話していたが受け入れられる事はなかった。
幼児期からの食べ物等による親子のスキンシップも(虫歯が移るからと)否定され続けた。

・・・・・・・

さらに、1980年代初頭と記したのは、
日本の好景気が続く中、不道徳な社会背景 も進み始めた。
「結婚を真剣に考える事は空しい」と公然の 愛人 たちが誕生し始めた。

女性に対して真剣(真摯)に考える男性達は 存在を否定され、軽い男性ばかりがもてはやされ、受け入れられて行った。
女性との遊びを意味する 『ナンパ』 の言葉が社会に広まったのもこのころからである。
(1970年代は、団塊世代学生らの 『同棲』 も広がりを見せていた影響かも知れない)

家族の中の子供たちをとりまく環境が大きく変わり始めたのだ。
親と共にいる小さな時には顕在化しない、重大な問題の芽が育まれていった。

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カルピス・ソーダ の想い出

2006年10月25日 14時18分12秒 | Weblog
1970年代初め、
前年校内では 有名人 になり、自分の 天職 とも感じたホテルマンの仕事を見つけた私は高校2年秋の文化祭では 自ら飲料全般の総責任者 を買って出た。

(駆け出しにもかかわらず)プロの仕事を見せてやるとばかりに、販売用の飲料もたった一人で引き受けた。
前年の様子からも 飲料製造は誰でもできるから 専任一人 の配置である。

忙しくなってきて「手伝う」と云われても断った。
大きな氷塊をアイスピックで砕き、これがプロだ!と恰好をつけて 複数の飲料を同時に作っていた。
いよいよ忙しくなって目も回るほどになっていた。

接客担当の女子生徒から「早く!早く!」とせっつかれて大慌てで作っていたとき 事故 が起こった。
レモンスカッシュ用の(残り本数が少なくなった)貴重な炭酸ソーダを、カルピスのグラスに注いでしまったのだ。
「あぁ..儲けが..。炭酸水が..」

売れないものかと飲んでみた。
味に違和感がある「ダメだ・・」と捨てようとしたとき、私を”お兄ちゃん”と呼ぶその女子生徒がグラスを取り上げて飲んだ。

「売れるわよ!」そういって彼女は新しいグラスに入れ直し、スカッシュの代わりに客の元へ運んで行った。
そして帰って来るなり、
「みんなが美味しいと言ってる。もっと作って!」と云ってきた。
 ・・・・
後年メーカーから製品が発売されたとき、自分の先見性のなさにガッカリした。


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