[個人史]: 1980年代中後期 東急・東横線 渋谷
私の通勤は、東急・東横線が欠かせない。
東京・渋谷へ通勤していた頃の 夏の暑い日、友人とビアホールで涼んでからの帰宅時だった。
21時半過ぎの電車に乗って渋谷駅を発車した。
しばらくすると、
全身汗まみれの薄汚れたシャツやズボンを身につけた体格の良い若者がコンビニのビニール袋を下げて車両の中を移動してきた。
若者はちょうど私の近くで立ち止まり、座る場所を探していたがあいにく座席は埋まっている。
その若者はつり革に捕まっていてもフラついて、酔っている風だった。
座席に座っている客達も汚い服装で大きくフラつく若者に迷惑げだった。
そのうちとうとう「うぉーっ!」とうめいたかと思うと、通路の真ん中に座り込み、寝てしまった様子だ。
周りの客達、特に女性客は気味悪がって車両を移動しようとまでしている。
私もその若者の迷惑行為に堪忍袋の尾が切れて、激しい憤りを持って若者に近づいた。
肩をたたいて注意してやろうとしたその時、コンビニの袋には 数冊の高校の教科書とノートが入っていることに気が付いた。
その日は特に暑い日であった。
日中は現場で仕事をし、夜には定時制高校に出席した帰りなのだろう。酔っていたのではなく、疲れ果てていたのである。
周りの客には
「大丈夫。心配しないで」と安心させ、近辺の客には「定時制の学生だ」と説明したことで皆は理解したようだ。
日本がバブルに沸いていた頃の経験である。彼が定時制高校の学歴で、バブル崩壊後の混乱と現在の格差社会を無事に乗り越えているのかは見当も付かない。
しかし、
バブル景気に浮かれる世の中で、昼間は職人(作業員)、夜は学生と頑張っていた若者である。
その姿を目の当たりにして『立派な若者』の存在を知ることは大きな励みになった。
同時に、見かけだけで判断した自分を大いに恥じて、いまだに忘れることが出来ないでいる。
私の通勤は、東急・東横線が欠かせない。
東京・渋谷へ通勤していた頃の 夏の暑い日、友人とビアホールで涼んでからの帰宅時だった。
21時半過ぎの電車に乗って渋谷駅を発車した。
しばらくすると、
全身汗まみれの薄汚れたシャツやズボンを身につけた体格の良い若者がコンビニのビニール袋を下げて車両の中を移動してきた。
若者はちょうど私の近くで立ち止まり、座る場所を探していたがあいにく座席は埋まっている。
その若者はつり革に捕まっていてもフラついて、酔っている風だった。
座席に座っている客達も汚い服装で大きくフラつく若者に迷惑げだった。
そのうちとうとう「うぉーっ!」とうめいたかと思うと、通路の真ん中に座り込み、寝てしまった様子だ。
周りの客達、特に女性客は気味悪がって車両を移動しようとまでしている。
私もその若者の迷惑行為に堪忍袋の尾が切れて、激しい憤りを持って若者に近づいた。
肩をたたいて注意してやろうとしたその時、コンビニの袋には 数冊の高校の教科書とノートが入っていることに気が付いた。
その日は特に暑い日であった。
日中は現場で仕事をし、夜には定時制高校に出席した帰りなのだろう。酔っていたのではなく、疲れ果てていたのである。
周りの客には
「大丈夫。心配しないで」と安心させ、近辺の客には「定時制の学生だ」と説明したことで皆は理解したようだ。
日本がバブルに沸いていた頃の経験である。彼が定時制高校の学歴で、バブル崩壊後の混乱と現在の格差社会を無事に乗り越えているのかは見当も付かない。
しかし、
バブル景気に浮かれる世の中で、昼間は職人(作業員)、夜は学生と頑張っていた若者である。
その姿を目の当たりにして『立派な若者』の存在を知ることは大きな励みになった。
同時に、見かけだけで判断した自分を大いに恥じて、いまだに忘れることが出来ないでいる。