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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(後編:公正な規則)

2006年10月12日 18時22分14秒 | Weblog
友人の手伝いで急場はしのいだものの、今でいうフリーターをいつまでも続ける訳にはいかない。
新聞広告で就職先を探し始めた。

広告から3つほどの仕事を見つけたが、良いのか悪いのかも分からず まるで絞りきれない。
この際 「神頼み」とアミダクジを作った。
すると3回やって3回とも 同じ会社(営業職) だった。

ため息まじりで 肩をがっくりと落とし、
「イヤだったら断れば良いや」と面接に向かったのだ。

【 面接は会社説明 】
本社が米国にある教育関連会社だった。 給料(報酬)は 週給制 である。
組織図を前にして、プロモーションルール(昇進規則)を一番長く説明された。
一週間で3契約以上を5週連続すれば第一段階の昇進がある...。と言う具合だ。

さらに、
昇進して部下を持てば、自分自身が一定以上の成績を上げ続けることはもちろん、部下をも仕事で成功させられなければ次の昇進は無いという。
(部下を昇進させられない上司・マネージャーは不要なのだ)

一旦部下を与えられたなら、部下の生活に対しても責任を求められる。

なぜなら、給与はフルコミッション(完全歩合)。
自分がいい加減な仕事をしたなら即刻クビになるだけだが、部下にいい加減な仕事を教えたなら部下の生活が成り立たなくなる。それは許さない会社なのだ。

”自分も部下も成功者で有り続けることが要求される仕事だ” と説明を受けた。
そして、
この条件で入社して来た場合、前職がたとえ社長でもあるいは新卒学生でも同じスタートラインに立ち、同じ給与(報酬)規則と同じルールで昇進・昇給する。
「やるか(入社するか)? 帰るか? 自分で決めろ」と結んだ。

・・・・・・

入社すると、そこは日本国内でも常に上位3位以内で競い合う営業所であった。
4ヶ月後、週給として20万円が振り込まれるようになった。同じ年齢の公務員が月7万円台の給料の頃だ。

(注:良職場というのは給与が高いことを云っているのではない!)

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10/12 嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(後編:公正な規則) ・・・ 本記事
10/12 嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(前編:嗚呼!流転)-[含亭主関白協会]

嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(前編:嗚呼!流転)

2006年10月12日 13時38分56秒 | Weblog
(注:Link 先の記事は長文が多い)

店の経営者に反抗(反対分子の長)して 新聞奨学生の時に地方に飛ばされた が、ついには地方の販売店からも追い出され、いくら探しても新たな仕事も見つらないという非常事態に陥った。
そこに現れた「助けの神」が、当時 私の父 が最も激怒していた 遠戚 である。

20歳になったばかりの年、東京からさらに離れた地方都市へと移り住み、居候(いそうろう)生活を送るという 流転人生 が始まった。( 人生には実におもしろい展開がある )

学業でも、他人のマネ には一切興味がない(嫌い!)わたしである。
先生からも 「オレの教えていない方法を使うな!結果は合っているから(方法は)正しいのだろうが、オレには理解デキン」と文句を言われ続けていた。

仕事を失っていたことで 念のため受験した 国家試験( ○○師、○○士ではない )には辛くも合格したが、引き替えるように とうとう授業料の捻出(支払い)が出来なくなり 退学 となった。

無情にも退学となったが、これと言って やりたい事も仕事の当てもない。 居候先での ニート生活 が始まった。

しかしそれでも 自分の立場もわきまえない私ジョージィ である。
居候先の地方で 知り合った友人・知人らが 婚約したというので 早速『亭主関白協会』を立ち上げていた。 私は 職場(新聞販売店) を追われ、学校からも追い出されたが、当時の ”協会メンバー” の仕事を手伝いながらなんとか食いつないでいた。

だが、この地域でなければならなかった。
私の社会人としての最初の職場が この地方にあった事務所 でなければならなかったのだ。

(続く)

亭主関白協会
『亭主関白を望むなら、女房にできる事(家事等)は男達も上回れ!自分は何もできないのに女房に対して威張ってはならない!』
と云うのが趣旨である。

ある日、家事が上手いのも下手なのも男達が一緒にやると惨憺たる結果となり惨めな気持ちに打ちひしがれていた。
ちょうどそこへ婚約者の女性たちが(敵陣視察に)やって来て、
残り物でいとも簡単に美味しい食事を作り、あざやかにゾウキンを縫う姿を目の当たりにした男たちは「我々は(将来の)女房にはとうていかなわない」と敗北を認めた。
しかし女性たちから「家長として威張ってくれても良いからね。私たちは平気だからね」と優しい言葉をかけられ、男たちは 愛妻家庭 を決心したというオチである。( 結婚後も円満家庭が続いている )

この話は、1980年代の中後期、
都内の(結婚相手を捜す)パーティの場で盛んに話していたことである。耳にした人たちも少なくは無いはずだ。

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