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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

国際動静、米政権の対イラク方針撤回(私見)

2006年10月25日 21時39分09秒 | 格差社会と政治
<米政権>イラク政策スローガン「この道を突き進む」撤回 (毎日新聞) - 10月25日12時16分更新

小泉改革の最大の後ろ盾であった、米国ブッシュ政権の崩壊の構造が明確な形で露呈し始めたかも知れない。

ブッシュ政治を支える後ろ盾は、彼らを助ける力はすでに離れた。
しかしわれらの戦いはまだ終わっていない。平和を妨げる力(Force)は生き続けている。

次は 小泉改革を継承した 安倍内閣の方針転換を勧めなければならないだろう。
このまま(悪の)改革が進めば、米国ブッシュ政権同様に重大な日本の崩壊の危機に近づくだけだ。

嫌われ者ジョージィ、怒濤のいじめられ人生(高校3年編)

2006年10月25日 17時35分02秒 | Weblog
私の記憶から消えていた高校時代のいじめでは、3年生になってからも起こった。
だが(現在の時期では)不謹慎ながら、当時の事はもはや 『いじめ』 とは呼べない。

イジメを受けた記憶もいじめを乗り越えた記憶もなかったのは、卒業の日、私がギターを弾いて(高校の3年間を一緒に過ごした)彼らも含め皆で大声でフォークソングを歌っていたからだ。
だから、当時の学校・教師が 「いじめは無かった」 と云ってもそれは全く正しい。
・・・・・
高校3年の時、私が受けた最後の『 究極のいじめもどき 』 はこうだ。

教科書のほとんどが入った私の 学生カバン が盗まれた。私の教科書を狙ったものと思われるが、盗んだ者は一切不明であるから クラス会議(?) にもかけられない。

教科書は、各教科の先生たちに相談にいったところ、予備の教科書を貸してくれた。
ただ英語だけは、嘱託の爺ちゃん先生だから予備がない。文句を言われながら自分のメモも記入してある 『教師用の赤本』 を貸してくれた。
※実はこの 『赤本』 のおかげで、高校3年の3学期には 成績評価が 『1』→『2』に変わって卒業できた。

『かばん』 はもっと大笑いである。
新しいものを買う金もなく、卒業年なので仕方なく 街で買い物したときのジーンズショップの紙袋に入れ、「恥ずかしい」 と思いながら学校に持って行った。
学校側も 「やむなし」 と判断して黙認してくれたのだ。

ところが、
他の全生徒は 生徒手帳に記された校則によって学生カバンしか持てない中、ショップの紙袋に教科書を入れて登下校する私は 羨望の的 となってしまった。
恥ずかしいどころか、(紙袋を替えたり)見せびらかしながら通学していた。

盗難事件はあきらかに (彼らの)『いじめ』 であるが、結果では いじめ にならないのだ。
互いの卒業を心から一緒に祝ったとしても 何の不思議 もないのである。

イジメは無くすより、受けている当事者に乗り越えさせることが重要だ。(強くなる)
※その考えで私は子供たちにも対応している。

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子育て問題、日本の『こどもたち』を取り巻く世相変化

2006年10月25日 15時31分12秒 | Weblog
1980年代初頭には、日本にも大きな社会変化が発生した。

社会に出ていた団塊世代の結婚が進むに連れ、親との同居はしない夫婦子どもだけの『核家族化』が進んでいたが、同時に子育てにも 『改革』 が始まっていた。

親が咀嚼(そしゃく)した食べ物を小さな子供に与えないとの考えもこの時期から始まったのだが、
子供の性格が悪くならないようにと、
叱らない、叩かない、ダメ!と云わない などなど、それまでの様々な 『シツケの慣習』 が否定されていった。
日本販 『 小皇帝 』 型子育て現象である。

日本型の子育ての感覚は、欧米を始めとする海外とは正反対に、
小さなうちは自由にさせて、理解が出来るようになってから厳しくすればいいとの考えが賞賛を受けていた。
私はたとえて、
「雑草に埋もれた畑からは、良菜は育たない」と話していたが受け入れられる事はなかった。
幼児期からの食べ物等による親子のスキンシップも(虫歯が移るからと)否定され続けた。

・・・・・・・

さらに、1980年代初頭と記したのは、
日本の好景気が続く中、不道徳な社会背景 も進み始めた。
「結婚を真剣に考える事は空しい」と公然の 愛人 たちが誕生し始めた。

女性に対して真剣(真摯)に考える男性達は 存在を否定され、軽い男性ばかりがもてはやされ、受け入れられて行った。
女性との遊びを意味する 『ナンパ』 の言葉が社会に広まったのもこのころからである。
(1970年代は、団塊世代学生らの 『同棲』 も広がりを見せていた影響かも知れない)

家族の中の子供たちをとりまく環境が大きく変わり始めたのだ。
親と共にいる小さな時には顕在化しない、重大な問題の芽が育まれていった。

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カルピス・ソーダ の想い出

2006年10月25日 14時18分12秒 | Weblog
1970年代初め、
前年校内では 有名人 になり、自分の 天職 とも感じたホテルマンの仕事を見つけた私は高校2年秋の文化祭では 自ら飲料全般の総責任者 を買って出た。

(駆け出しにもかかわらず)プロの仕事を見せてやるとばかりに、販売用の飲料もたった一人で引き受けた。
前年の様子からも 飲料製造は誰でもできるから 専任一人 の配置である。

忙しくなってきて「手伝う」と云われても断った。
大きな氷塊をアイスピックで砕き、これがプロだ!と恰好をつけて 複数の飲料を同時に作っていた。
いよいよ忙しくなって目も回るほどになっていた。

接客担当の女子生徒から「早く!早く!」とせっつかれて大慌てで作っていたとき 事故 が起こった。
レモンスカッシュ用の(残り本数が少なくなった)貴重な炭酸ソーダを、カルピスのグラスに注いでしまったのだ。
「あぁ..儲けが..。炭酸水が..」

売れないものかと飲んでみた。
味に違和感がある「ダメだ・・」と捨てようとしたとき、私を”お兄ちゃん”と呼ぶその女子生徒がグラスを取り上げて飲んだ。

「売れるわよ!」そういって彼女は新しいグラスに入れ直し、スカッシュの代わりに客の元へ運んで行った。
そして帰って来るなり、
「みんなが美味しいと言ってる。もっと作って!」と云ってきた。
 ・・・・
後年メーカーから製品が発売されたとき、自分の先見性のなさにガッカリした。


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嫌われ者ジョージィ、その語学(英語)力!?[授業で②]

2006年10月25日 12時02分17秒 | Weblog
英語について、中学校では少々 自信をなくした が地元の高校には入学できた。

最初の授業の時、英語担当である 『じいちゃん先生』 は、自己紹介抜きでいきなり授業が始まった。
英語力を確認するためだろう、順番に英語の問題を質問し一人一人順番に解答させた。

他の教科同様、最初の授業は教師の自己紹介と楽しい話で終わるものと期待していたのに 英語 の授業では見事に裏切られた。
私の前の座席の生徒が答え、そして私の番になった。

入れ歯の入ったモゴモゴした英語ではただでさえ聞き取りにくい。
「わかんねぇよー。そんなの。」と ふてくされながら私は答えた。 そして教師の逆鱗に触れた。

授業は最前列中央で
いきなり最初の授業で、授業が終わるまでのあいだ ずっと立たされ ていた。
さらに次の授業からは、
教師命令で 英語の授業のみ 一番後ろの席に座る私と、最前列中央に座る生徒とが席を交代させられたのである。
このような英語の授業を3年間続けたのだ。

この爺ちゃん先生は、板書しないときには教壇から降りて私の真ん前で授業をするのだ。
入れ歯で、やる気と元気満々で喋るから 教師のツバが飛んできて仕方がない。

この英語授業の環境で 私の『 英語成績No.1 』が達成されたのである。


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嫌われ者ジョージィ、その語学(英語)力!?[授業で①]

2006年10月25日 11時12分31秒 | Weblog
【中学】(日本で英語教育が始まる)中1の時は 5段階でいうと『5』が続いた。
中2になった時、大学を終えたばかりで赴任してきた新人教師と英語の先生が交代(前任者転出)した。

前年 イジメを乗り越え 「村の英雄」になっていた私は、もとともとが「おちゃらけ人間」でもある。
授業態度でも『私は英語が得意』とすっかり天狗(高慢)になっていたところに教師から 「(書く字が)ミミズがはったみたいな字ね」と云われた。

以来、「自分はホントは 英語が得意じゃなかったのか?!」 とすっかり自信を無くした。自信を無くすと理解力は落ちる。試験の点数も降下の一途となった。

【中学】中3の10月に 街の学校へ転校 した時には、5段階評価の『3』がやっとだった。

当時の経験は、いまになっても
English, only its language is very difficult for me.
と云わせる。

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