らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

2009年01月23日 23時59分23秒 | クァルテット
 本日から少しずつ「ラズモフスキー第3番」について書こうと思う。

 ベートーヴェンの父は、うだつの上がらない歌手として宮仕えしていたが、モーツァルト親子に嫉妬して自分の息子~L.v.ベートーヴェンに幼い頃からとても厳しい英才教育をしたそうである。

 いやいやここから書き始めると、またいつものように書きたいところまで行くのに時間がかかりすぎる。

 (((((((○`ε´○) ノ ワ~~プ!!

 L.v.ベートーヴェンは、38歳年上のハイドンや14歳年上のモーツァルトに影響を受けたと言われているが、私個人の意見としては、モーツァルトよりハイドンに強い影響を受けたと感じる。

 音楽学や楽理的な事は置いておいて、3人の作品をたくさん演奏してきたから思う事であるけど。

 ベートーヴェン初期の作品18の6曲は、まだハイドンの音楽の影響下から抜け出せていないが自分の音楽性とのMIXでかなりの迷いが音楽に現れている気がするのである。しつこいようだけど、偉そうに書いているけど全て私の意見であって、音楽学的に正しい事かどうかは別なので、あしからず。

 m(___ ___)m

 音楽家にとって耳が聞こえなくなるという恐怖が一つの要因になって、1802年「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。その後、ベート-ヴェンは不屈の精神で立ち直り、「ラズモフスキ-」の作品59の3曲は、所謂「傑作の森」と言われる時期を迎えてから書かれている。

 私が、クラシック音楽を好きになったときに、よくクラシック音楽愛好家達が普通に使う単語の意味が全然わからずにいた。会話していても「OOとはなんじゃぁ~~??」とよく疑問に思う事があった。こういう時ってかっこつけたいから、その場では聞けないんだよなぁ~~~。汗。

 この「ラズモフスキー」ってなんじゃ~?から今日は書こうと思う。

 ラズモフスキーというのは、当時ウィーンに駐在していたロシア大使の名前である。

 ラズモフスキー(1752~1836)
 ロシアのロマノフ王朝の第8代エカチェリーナ2世(1729~1796)~女帝の夜伽の相手だった歌手(ウクライナのコサック・ラムズ家出身)が、重要任務を果たした後に貴族の身分に取り立てられて、ラズモフスキー家を創設したそうである。

 このラズモフスキー家の四男が、ウィーンに大使として駐在してベートーヴェンに弦楽四重奏を依頼したことから、この作品59の3曲は、ラズモフスキーの第1番~第3番と言われる。

 ラズモフスキー伯爵自体がヴェイオリンを演奏する事が出来て、義弟のリヒノフスキー侯爵から譲り受けたI.シュパンツィク(名ヴァイオリニスト)を中心にレベルの高い弦楽四重奏団を雇っていた。

 その名弦楽四重奏団を念頭にベートーヴェンは曲を作曲したようである。

 つづく・・・・・。


 

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