山形Qは、現在4/25に行われる予定の第55回定期演奏会に向けて、リハーサルを重ねています。
私の癖というか習慣なのですが、演奏会にプログラミングされた作品を聴くのは、大抵練習に入る前が最も多くて、実際にリハーサルが始まってしまうと1回通すことが出来た作品自体を聴く回数が激減します。大抵は、取り上げる作曲家の他の作品を聴く事が多くなって行きます。
勉強のためと言うよりは、一種の逃避めいた行為かもしれません。L.v.ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を取り上げるときはピアノソナタなどを聴いたり、Op.18を取り上げるときはピアノ三重奏曲や弦楽三重奏曲を聴く傾向にあることに最近気づきました。
では、最近は何を聴いているかというと、G.フォーレのピアノ四重奏曲やこのA.オネゲルの交響曲全集です。
1960年から1973年に録音された、C.ボト指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団の廉価版です。録音が古いのですが、その演奏は未だ新鮮で魅力的な演奏です。A.オネゲルの5曲の交響曲はいずれも三楽章構成で、聴けば聴くほどという感じでしょうか・・・。
中でも交響曲第3番「典礼風」は、今回私達が取り上げる第1番に通じるモノがあるような気がします。
破壊した(された)中から希望がわいてくる祈りが感じられる最終楽章は、A.オネゲルの作曲家として表現したい事の一つだったのでしょうか?
不協和音で破壊に向かった後の音楽の美しいこと!!
演奏会云々は関係なく、しばらく聴いてゆくディスクになるかもしれません。
私の癖というか習慣なのですが、演奏会にプログラミングされた作品を聴くのは、大抵練習に入る前が最も多くて、実際にリハーサルが始まってしまうと1回通すことが出来た作品自体を聴く回数が激減します。大抵は、取り上げる作曲家の他の作品を聴く事が多くなって行きます。
勉強のためと言うよりは、一種の逃避めいた行為かもしれません。L.v.ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を取り上げるときはピアノソナタなどを聴いたり、Op.18を取り上げるときはピアノ三重奏曲や弦楽三重奏曲を聴く傾向にあることに最近気づきました。
では、最近は何を聴いているかというと、G.フォーレのピアノ四重奏曲やこのA.オネゲルの交響曲全集です。
1960年から1973年に録音された、C.ボト指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団の廉価版です。録音が古いのですが、その演奏は未だ新鮮で魅力的な演奏です。A.オネゲルの5曲の交響曲はいずれも三楽章構成で、聴けば聴くほどという感じでしょうか・・・。
中でも交響曲第3番「典礼風」は、今回私達が取り上げる第1番に通じるモノがあるような気がします。
破壊した(された)中から希望がわいてくる祈りが感じられる最終楽章は、A.オネゲルの作曲家として表現したい事の一つだったのでしょうか?
不協和音で破壊に向かった後の音楽の美しいこと!!
演奏会云々は関係なく、しばらく聴いてゆくディスクになるかもしれません。
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