goo blog サービス終了のお知らせ 

らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

ヴィオラ Vol.5

2007年09月01日 01時16分42秒 | ヴィオラ
 ヴィオラは同じ弦楽器のヴァイオリンやチェロのように「腕前80%、楽器15%、弓5%」という感覚ではないように思える。5万円のVnと何億円もするストラドをカーテンごしに一流のヴァイオリニストが弾くと我々プロでも聞き分けるのは難しい。実際、レッスンで楽器のせいにして演奏が出来ないと言った弟子の楽器を奪い、目の前で演奏したアイザックスターンは、その安い楽器でもアイザックスターンの音がしたそうである。では何故、高価な楽器を皆求めるかは、またの機会にして。

 ヴィオラの場合、私の考えでは「腕前50%、楽器40%、弓10%」位だと思う。楽器の大きさがまちまちなヴィオラは、(37~47cm)楽器固有の音色を持っているため演奏者の出す音は、その楽器に左右されるからである。例えば小さいヴィオラを弾いている人は、ロシア人が使用するような43cm~のヴィオラの様な重厚な音色は出すことは難しく、テクニックだけではなんともしがたいものがある。

 しかし自分の好きな音色を持ち、操作性も良い楽器にはなかなか出会えない。楽器制作家は、良く売れるヴァイオリン制作の方に力を入れるし、実際、現存するストラドは、一説によるとヴァイオリン600挺、ヴィオラ10挺位だそうである。良い楽器に巡り会うというもう一つの弊害は、イタリアン楽器などは、ヴァイオリンよりヴィオラの方が何百万円以上も高いということも挙げられる。新作でも100万円くらい値段設定が高いのが普通だ。収入は同じ演奏家なのに楽器は数が少ない上、高価なのである。私も楽器選びには相当苦労した。この楽器は!と思っても一桁も違うのでは、それを手に入れることは宝くじ頼みである。自分の満足出来る楽器に出会えて、それを手に入れているヴィオリストは、世界に何人いるのだろう??

 ちなみに写真は現在、弦楽四重奏で使用している楽器 Gio.Batta.Morassi クレモナ 1967(42cm)である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィオラ Vol.4

2007年08月25日 00時23分56秒 | ヴィオラ
 ヴィオラはアンサンブルの楽器である。
              と以前に書いた。

 演奏会後「今日は、ヴィオラが良かった~」 という感想をもらうことがある。

 ドヴォルジャークの「アメリカ」の冒頭やスメタナの「我が生涯」の冒頭などのヴィオラがメロディ-を受け持つ所以外で、 ヴィオラはまず誉められることはない!! お客様の耳は普通、メロディーにいくもので伴奏系をず~と聴いている人は稀である。だから誉められてもたまたまヴィオラが目立つ部分が多かったからであり、そうでなければメロディーを追い越すバランスで伴奏を受け持っていたからからかもしれない。

 それではヴィオラとしての仕事をしたことにはならない。ヴィオラの仕事は、主にメロディーを受け持つ1stVnやVcに気持ちよく、音楽的に演奏させてあげることである。 だから「今日はヴァイオリンやチェロが良かった~」がヴィオラ奏者への最大の賛辞であると思っている。

 もちろん誉められて嫌な人はいないと思うが、「がしかし、待てよ?」である。私があまのじゃくなのか、お客様の耳が高級なのかは自分では判断しかねる。

 ヴィオラという楽器の一番の難しい所は、(音を出すこと以外に)人を立ててあげる接着剤的役目そのものである。そのためにも懐の広い人間性を磨くべきで、人間性の成長無しには良いヴィオラ奏者にはなれない。自分勝手な演奏していては一番駄目!!常に上を目指す探求心も当然必要である。

 ちなみに一昨年まで約20年間使用していた私の楽器はこれ。 Renato SCROLLAVEZZA パルマ1979である。(41.3cm) 現在は奥さんが使用中。

 彼の楽器は現在日本では手に入れにくいらしい。娘さんのElisa SCROLLAVEZZA制作の楽器なら手に入れることは、まだ可能らしいが。

 そしてこれが制作したR.SCROLLAVEZZAさん。

       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィオラ Vol.3

2007年08月02日 00時28分58秒 | ヴィオラ
 「何かヴィオラの曲演奏してもらえますか?みんなが知っているやつお願いします。」
ごくたまにそんなお仕事をもらうときがある。

 しかしほぼ100パーセントその仕事は断ってしまう。

(ノ`△´)ノ ~ *~●ポイッ

 なぜなら一般の人が知っている(多少クラシックに詳しい人でも)ヴィオラのオリジナルの曲はないからだ。

 もちろんバロック~古典派~ロマン派~近代~現代にかけて、無伴奏から協奏曲、ピアノとのソナタ、小品など沢山の作品があるのだが、その作品群は、ヴィオラを弾く人やヴィオラを特に好きな人以外には全然知られていないのである。

 これはヴィオラを勉強しはじめた人にも影響があって、CDや楽譜なども捜す「こつ」を知らないと見つからない。
捜すこつを知らなかった学生時代は相当苦労した。

( ̄(エ) ̄”) ピクピク

 そんな仕事の時、他のヴィオラ奏者の人は、何を演奏するのだろう?

バッハ?
それならヴァイオリン奏者かチェロ奏者に仕事頼んで・・・。

ブラームス?
ピアノ奏者から苦情がきそう・・・・。

思い切ってヒンデミット?
クライアントがどんびき!!間違いない。

可能な限り、他の楽器のレパートリーの編曲ものはしたくない。
さてはて?どうしたものか。


ヴィオラ奏者に一番恩恵を与えている作曲家は誰であろう?

 「20世紀最高の作曲家は誰?」みたいな記事がよく「音楽の友」「レコード芸術」などに載っていた。大抵上位にくるのは、B.バルトーク・D.ショスタコーヴィチ・I.ストラヴィンスキー・R.シュトラウス・C.ドビュッシー・武満徹など。少しマニアックな方はA.シュニトケなんてあげるかも知れない。
しかしヴィオラ奏者の私には、

  ヒンデミットPaul.Hindemith(1895.11.16-1963.12.28)

              しか考えられない。

 驚異的な多作家だった彼は、交響曲(番号が無いが実は8曲!!)、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、声楽曲、オペラ、映画音楽などさまざまなジャンルに曲を残した。オーケストラの楽器は大抵演奏出来たようで、弦楽器や木管、金管楽器などのために貴重な協奏曲やソナタを書いた。中でも自身名手と言われたヴィオラの曲は多い。
・無伴奏ヴィオラソナタOp.11-5
・無伴奏ヴィオラソナタOp.25-1
・無伴奏ヴィオラソナタOp.31-4
・無伴奏ヴィオラソナタ1937
・ヴィオラとピアノのためのソナタOp.11-4
・ヴィオラとピアノのためのソナタOp.25-4
・ヴィオラとピアノのためのソナタ1939
・ヴィオラとチェロのための二重奏曲1934
・ピアノ、ヴィオラとヘッケルホーン(Sax)のための三重奏曲Op.47
・弦楽三重奏曲や弦楽四重奏曲多数。など

~協奏曲的なものとして~
・室内音楽第5番Op.36-4
・ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽Op.48
・白鳥を焼く男1935
*漏れているものがあるかも・・。

 ヴィオラ奏者はヒンデミットに足を向けて寝られない。
私の師匠U.Koch氏からは、彼の逸話をレッスン中によく聞かされた。より親しみをおぼえる作曲家である。

写真は今井信子氏のCDジャケット
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィオラ Vol.2

2007年08月01日 23時39分35秒 | ヴィオラ
 その昔、ヴァイオリンを弾けない人や身体が大きい人が、先生から強制されてヴィオラに持ち替えさせられた事が多々あった。
R.Wagnerは「ヴィオラは、ヴァイオリンを弾けない人が弾けばいい。」と言ったとか??しかしその彼の曲は他の作曲家よりヴィオラパートが難しいのは、どうしてだろう?

 そんなことから未だにヴァイオリン>ヴィオラとの考え方を持った先生も多いのは、悲しいことだ。 ヴァイオリンよりヴィオラは、劣っているなんて誰が言い出したのだ?例えばフルート奏者よりピッコロ奏者は劣っているのか?前の方に座っている奏者より後ろの方に座っている奏者は下手くそなのか?未だに残っているその考えを私は、強く否定したい!!!
 私の生徒達の中にはヴィオラに替えさせられた事にコンプレックスを抱えてくる子もいる。そのコンプレックスをとってあげることからレッスンを始めて、ヴィオラを好きになってもらわなくては上達もない。その親御さんも他のヴァイオリンを続けている子供に対して引け目を感じている。その必要は全くないのに。音楽を好きになってもらって、その中でのヴィオラの役割を楽しめるようになれば、と願っている。
 学生の頃、磯良男先生が面白いことを言っていた。「弦楽四重奏は饅頭に例える事が出来る。1stVnとVcは皮。2ndVnとVaはあんこ」「見た目が良くないと食べる気になれない。しかし食べたら支配しているのはあんこなんだよ」私はその例えに納得させられた。

 ヨーロッパのヴィオラ奏者をみると、とても不器用そうに演奏しているのをよく見る。日本人のヴィオラ奏者の方が、器用なのだろうか?

 それ関して私は、まったく違う考えを持っている。
 
日本人のヴィオラ奏者は、ヴァイオリン奏法のままただハ音記号を弾いている人が多いのだ。 上記の考え方のヴァイオリンの先生は、(その先生がヴィオラを演奏出来ると主張したところで)ハ音記号が読めて、弓により圧力をかければいいと思っている人が多い。そもそもヴィオラは、ヴァイオリンとチェロとは、倍音構成などがかなり違うのだ。ヴァイオリンの奏法のまま通用する楽器ではない。

 似ているだけにその本当の違いは、ヴィオラ奏者にしかわからないのだ。


 ヴィオラの大きさは楽器の個体差が大きい。小さいもので37cm(ヴァイオリンとほぼ同じ)から47cm位のものまで。メーカー品では、39.5cmか40.5cmのものが多くある。我々プロのヴィオリストが使用しているのは、40~42cm位の楽器が多い。ヴィオリスト達にも好みがあって、ヴァイオリンに近いメズソプラノのような音色を求める人(楽器は小さい)、チェロに近いコントラアルトのような音色を求める人(楽器は大きい)、そしてヴィオラ独自の渋い音色を求める人など多様化している。私の好みはというとコントラアルトの音色である。しかし180~190cmの大男ではない私にとって大きい楽器に身体の負担はつきもの。ウィーンフィルのヴィオラ奏者の就業規則に「何cm以上の楽器は弾かせないこと」というのがあるとかないとか。それだけ身体に負担になる。北ドイツ放送響のDVDを見るとヴィオラのでかいこと・・・・・。だからあんな深い音色になるんだな。妙に納得。ちなみに私は、弦楽四重奏団では42cmの楽器。山形響では約44cmの楽器を無理から弾いている。身体の負担は大きいが、はまった時は本当にパワー全開なんだなコレガ。

写真はそのでかい楽器。奥にほさっているのが、普通(40.9cm)の楽器。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィオラ Vol.1

2007年08月01日 20時34分06秒 | ヴィオラ
 昨年あたりからヴィオラについての本が相次いで出版された。
写真右側の本は、私の師事したU.Koch先生の先生のW.Primrose氏の本。ヴィオラの演奏法など世界第一線で活躍した彼の考えをまとめた本である。ヴィオラを弾く人で中級以上向きの本。左が日本人ヴィオラ奏者の第一人者今井信子氏の本。こちらの方が、ヴィオラに興味を持つ人(例え演奏できなくても)のための本。読みやすい本である。その他Y.Bashmet氏の本(未読)などもある。
 それぞれ考え方が違うにせよ世界で活躍した人達のヴィオラの話を興味深く読むことが出来る。


 雲の上のヴィオラ奏者の話ではなく、おらが田舎のヴィオラ奏者である私が、ヴィオラの話を少しづつ書こうと思う。 それは、ヴィオラという楽器のイメージが各プレーヤーや愛好家達の中でも確信を持ってこれが正しいという奏法や音の好みが、多様化しているせいもある。
しかし私だけのヴィオラ論(堅苦しいか・・・?)を書くことなら出来ると思い、暇があれば現時点での思いを書こうと思う。
 
 少しでもヴィオラという楽器の認知が広まれば幸いである。

 ヴィオラという楽器は、ヴァイオリンとチェロの間のサイズの楽器である。よく全然知らない人に説明する時は「ジャイアント馬場のヴァイオリンです。」なんて答える時もある。
何故、ヴァイオリンやチェロとは違い多様化したのかは、その楽器のサイズにある。
だいたいいっしょ(失礼!)のヴァイオリン、チェロに比べ、ヴィオラはボディサイズが約37~46cmと幅がある。
 小さいものは、ヴァイオリンに近く、大きいものはチェロに近い音色を持つ。
20世紀初頭、ターティスというヴィオラのソリストが活躍しだしたが、彼はモンターニャという大きい楽器を使用していたらしいし、そのすぐ後に活躍したプリムローズは、ガルネリという幾分小振りな楽器を使用していたらしい。
どちらもCD等で演奏を聴くことが出来るが、同じ楽器とは思えないほど音色の違いが顕著である。

 現在、ヴィオラのソリストというのは珍しくもなく世界的に増えているが、その各奏者での弾き方、音色はさまざまだ。

 音楽教室などで楽器紹介などをすると、大抵人気がないのもこの楽器「ヴィオラ」だ。
なぜなら子供達にとっては地味で、オーケストラの中で何をやっているか聴き取れないからであろう。


( `▽´)ノ”

こういうふうに表現していいものか・・・??

「ヴィオラは寄生虫楽器」である。

 ヴィオラのソリストという人達はいることはいるが、オーケストラをバックに本当に伸びやかに楽器を響かせることが出来る人は、世界中に何人もいない。ヴァイオリンやチェロのように張った音は出ないのである。もし張った音が出るよという人がいるならば、大抵のそれは力強いが、割れた魅力に乏しい音だ。
ヴィオラは他の弦楽器と違い、それ単体で楽器をならすことは何倍も難しい。ヴァイオリン奏者はイザイやパガニーニの曲で技術をひけらかすことも出来るが、ヴィオラは楽器をならすこと、すなわちきれいな音を出すこと自体を目指すべきである。
 ヴィオラ特有のあの「鼻がつまった様な音」は、ボディーサイズが足らないからである。ヴァイオリンやチェロの様なパンと張ったような音を出すためには、ヴィオラの音域でボディーサイズを約53Cmにしなくてはならないという。そうなったら今のように担いでは演奏することが出来ない。その「鼻のつまったよ様な音」が、ヴィオラ特有の、他の楽器にない音色なのだ。

 そうヴィオラは、友達好きなアンサンブルのためにある楽器なのである。単体では響きが乏しいため(独特なしぶい響きはまた魅力的ではあるが)他の楽器との共鳴で、その魅力は倍増する。
もちろんそのヴィオラ奏者の上手下手はあるが、ヴィオラ奏者を生かすも殺すもまわりのヴァイオリンだったり、チェロだったりすることが多い。良い奏者や良い楽器の人と一緒に演奏すると、同じ楽器が何倍もなってくれるし、反対ならどんどん楽器はならなくなってしまう。

「ヴィオラは寄生虫楽器」というのはそういう意味である。けっして他の影に隠れてごそごそしているという意味ではない!!(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十回忌

2006年06月07日 13時45分27秒 | ヴィオラ
 恩師のU.Koch先生が亡くなって、早十年。自分もプロフェッショナルの道に何とか入り、ますます先生の偉大さがわかるようになってきた。毎年6月になると、いま自分のおかれた状況を見て「あ~まだまだ」と思い直す。今、生きておられたら質問したいことがたくさんあるのに・・。

 さぁ~練習!練習!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲労の蓄積

2006年04月07日 22時42分29秒 | ヴィオラ
 とにかく楽器を構えただけで身体が痛い。疲労が蓄積しすぎてどこか壊してしまったのかもしれない。首から背中にかけ、そして腰痛さえ起こすのだ。昨日は運良く予約がキャンセルになったため接骨院に
いくことが出来た。一時間くらい背中や肩などの筋肉をほぐしてもらった。その時は楽になったが、一晩寝るとまだ痛い。楽器を弾くとき一生この痛みが起こることを想像したら、ゾっとした。また接骨院に行く予定なので経過待ちか・・・。

 少し大きめの楽器にこの1月からしたので、身体が追いつかないのかもしれない。前の楽器より相当重いし・・・・。しばらく肩当てをつけて演奏しようと思う。肩当てをつければ、痛みも多少和らぐ気がする。悩む。音をとるか健康をとるか・・・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悩み・・・・・・。

2006年01月07日 22時32分35秒 | ヴィオラ
 今、人に紹介された楽器を購入するか悩んでいる。

 その楽器は、少し大きめのヴィオラ。 楽器自体には何の文句もない。 色々と物いりの時期だから悩むのだ。

 つまりお金の問題だ。

 良い楽器を手に入れるには、辻さんの有名な話がある。 ストラディバリウスを手に入れるために家を手放したという話。 そこまでいかなくても自分の場合、この楽器を手に入れたら3年間位実質おこずかい無し!!貯金もゼロに・・・・。

 お金、お金とよだれをたらすのは好きでは無いが、あっても困らないのがお金。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練習

2005年08月07日 23時35分05秒 | ヴィオラ
 演奏会も終わり、ほっと息つく間もなく練習していると、「こんなに下手だったっけ?」と思った。楽器の構えや弓の持ち方、力の入れ加減、全てが滅茶苦茶になっている。こういう時は、本当に弾いている事が苦痛だ。一つ一つなおしていく作業になる。身体の整体みたいなものだ。音楽に感情を入れて満足してしまう練習は本来練習ではなく(楽器の練習ではなく)感情の練習だと思っている。そして今必要な事は、楽器を弾く練習である。小さい音で、力の入れ具合(抜き具合)、ゆっくりゆっくりセブシックなどさらっていく。こまめにチューニングをして、耳も起こしていく。これだけを毎日続けないといけないかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005年06月10日 22時25分26秒 | ヴィオラ
 1996年6月7日にヴィオラの師であるU.コッホ先生が亡くなって、今年で9年になる。氏の演奏を初めて聴いてヴァイオリンからヴィオラに完全に移る事を決め、行っていた大学を中退し、氏が教えていた音大を受験した。そして亡くなるまで6年間弱師事することが出来た。今思うと、先生との出会いが無ければ、全く違う道へ行っていたかも知れないし、楽器以外でも大変自分の人生において影響を受けたと言える。たまに先生に受けたレッスンの事を思い出すとよく怒られたことや殴られたことなどがまず思い出されるが、大変厳しくしてもらったことが自分に対する愛情だったと、生徒を持つ身になって気づかされる。お墓参りなど不義理にしている自分が少し恥ずかしいが、東京に行くおりにはまた会いに行きたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005年05月29日 23時59分28秒 | ヴィオラ
 写真でご覧のとおり私の手は、ヴィオラ奏者としては不幸な部類に入る。男の手としては小さく、私の手より大きい手を持つ女性は多い。小指も短く、そのくせ筋肉も硬い。(指は広がらない)更に言えば、腱鞘炎持ちである。学生時代から何度も腱鞘炎になり、奏者として諦めかけたことも有ったが、フォームの改造、力の抜き具合、地道な基礎練習と休憩など気遣い続けて、今は何とかプロのプレイヤーとしてやっていけている。そんな頑張った手を誉めてあげたい。

 そしてこれからもよろしくと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする