京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

京に息づく人びと

2021年06月17日 | 展覧会

京都文化博物館が所有する岩佐又兵衛(父は武将の荒木村重)筆「誓願寺門前図屏風」が2015年からの解体修理を終えて公開されている。「花ひらく町衆文化―近世京都のすがた」展に行ってみた。そこに息づく人々の姿をみてみたくて。

「誓願寺門前図屏風」について、筒井忠仁氏の対談をYouTubeで聞いてから出かけた。会場でもこの映像が流れていた。修理がなされたとはいえ表面は暗いし、絵は小さいしで、目を凝らして屏風図を見る横から解説が耳に入ることはありがたいことだった。「鴨川納涼図屏風」(六曲一双)では、今よりもっと庶民の暮らしに身近だったと思われる川床。川の真ん中にも小さな床が設けられ、橋板が架かる。料理を運ぶ女たちの軽やかな足取り。生き生きとした様子が見て取れて楽しいものだった。


幾度も戦乱の舞台となってきた京都の町。そうしたことに触れるたびに、そこに暮らす人々を思うことがある。
新聞の連載小説「茜唄」は今、平家と木曽義仲との攻防が続き、平家都落ちを前にしているところだが、128回目(/169)の結びの一文は、「平家も源氏も変わらないと思っているのかもしれない」だった。
●「京都の人たちは、ひややかに見守り、見送ったのです」(『梅棹忠雄の京都案内』。
●「京都にはさまざまな人々が憧れや食い扶持のために流れ着いてきたはずだ。政府を置いた尊氏も豊太閤も、外からやってきた。全てについて諸手を挙げて歓迎したわけではないだろうが、常に外からやってくる刺激を吞み込んで、京都の街は生き生きと発展してきたように思う」(『熱源』の川越宗一氏)
●「朝廷があった頃、義仲も、足利も、信長も、豊太閤も…、上洛軍も入ってきている。…1ブロックに違う“国”の人が住む。習慣も言葉も違う。正統なのは私たちなのだと、京都の人たちの処世術が洗練されていったのだろう」(安部龍太郎氏)


知人に出そうと、元禄舞が描かれたポストカードを買った。
明るい活気に満ちた町人文化の台頭。以前読んだ『千両花嫁』(山本兼一)を取り出してみた。
攘夷をめぐって駆け引きが行なわれている世情のなか。三条大橋に近い木屋町で、ゆずと真之介の若夫婦は〈御道具 とびきり屋〉と立派な欅の看板を軒に出している。橋のたもとを200年ぶりに通った大名行列を目にして真之介は、「装束も道具もしみったれていた」と評した。
二人の目を通して描かれる幕末の京都。読み返してみたくなった。

蛤御門の変で罹災した京の町。ここからも京は復興していくのだ。

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2 コメント

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都に憧れて (なの花)
2021-06-18 20:07:12
歴史をいろどった多くの武将、商人、町人こぞって
京の都を目指して来たのですね。
京を支配できれば日の本を制する思いが、多くの人を掻き立てたのでしょうね。
幕末の京都を舞台に活躍する町人の物語「千両花嫁」私も偶然手にしたのを思い出しています。
蛤ご門の変、NHK大河ドラマにも出てきましたね。
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時代に生きる、なの花さん (kei)
2021-06-18 21:05:46
そこに生きていた人の歴史を感じる、想像するアンテナ、大事だと思うのですよね…。
どんな感情をもって、どんな風に生きていたのか。
その時代の社会や文化などに興味があります。キョーミだけですがね。
どんどん焼けで被災した京の町。
平凡に暮らしていた人々にとってはたまったものじゃないなあなどと想像したりします。
蛤御門の変での鉄砲玉を見てきました。直径2.5から2.7センチとありました。

ナノハナさんがお二人コメントくださるのですが、お一人は「菜の花」さん。
今日の「なの花」さんは「なのはな」さんですよね?
いつしかは「菜の花」さんになっていましたが、「なのはな」さんだろうと思ってお返事しました。ややこしくはありませんが…(笑)、
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