10月27日、今日は文字・活字文化の日だそうだ。
本日付の新聞のコラム「凡語」は、「ガリガリ。幼い頃、夜中に妙な音で目が覚めると、教師だった父がヤスリの板に鉄筆を走らせ学級通信を書く後ろ姿が見えた」と筆者の幼い頃の記憶で始まっていた。
「ガリ版刷り」と呼んでいて、わたしにも懐かしい思い出が残っている。
鉄筆でガリガリと文字を書きつけた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押し付けるように転がして一枚一枚印刷する。定期テストも日々の小テスト問題も、連絡ごとも、初任の頃はすべて印刷物はガリ版刷りという時期があった。授業の空き時間だけでは間に合わなくて、私も家でガリガリやっていた。やがて輪転機が入り、枚数をセットすることで手刷りの作業からだけは解放されていった。コピー機の登場はそれから以後のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f9/28cc7e561ebd155e90fcf811ea1a34d7.jpg)
小学生から中学生になって、大きく変わった環境に戸惑うことも多い子供たちが、毎日学校に行くのが楽しいと思えるクラスにしたいと、私もマメに学級通信を出していたのだ。経験の浅さをカバーする熱意だけは充分だったろう。今読み返すと、気恥ずかしいほどの真正面さに満ちている。紙はすでに赤茶けてしまった。取り出して読むこともないがしまい込むこともなく、鉄筆も使う当てなどないままに捨てることもなく、40年を超えて私の机の引き出しにあり続ける。
人間の心を映す言葉。考えを深める上でも文字、活字は大切な存在となる。すぐに消え去るような簡単な言葉で思いを示したり会話をするよりも、私は思いがこもった自分の言葉を文字で残したい。届けたいところには届ける努力をしていこうと思う。
本日付の新聞のコラム「凡語」は、「ガリガリ。幼い頃、夜中に妙な音で目が覚めると、教師だった父がヤスリの板に鉄筆を走らせ学級通信を書く後ろ姿が見えた」と筆者の幼い頃の記憶で始まっていた。
「ガリ版刷り」と呼んでいて、わたしにも懐かしい思い出が残っている。
鉄筆でガリガリと文字を書きつけた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押し付けるように転がして一枚一枚印刷する。定期テストも日々の小テスト問題も、連絡ごとも、初任の頃はすべて印刷物はガリ版刷りという時期があった。授業の空き時間だけでは間に合わなくて、私も家でガリガリやっていた。やがて輪転機が入り、枚数をセットすることで手刷りの作業からだけは解放されていった。コピー機の登場はそれから以後のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f9/28cc7e561ebd155e90fcf811ea1a34d7.jpg)
小学生から中学生になって、大きく変わった環境に戸惑うことも多い子供たちが、毎日学校に行くのが楽しいと思えるクラスにしたいと、私もマメに学級通信を出していたのだ。経験の浅さをカバーする熱意だけは充分だったろう。今読み返すと、気恥ずかしいほどの真正面さに満ちている。紙はすでに赤茶けてしまった。取り出して読むこともないがしまい込むこともなく、鉄筆も使う当てなどないままに捨てることもなく、40年を超えて私の机の引き出しにあり続ける。
人間の心を映す言葉。考えを深める上でも文字、活字は大切な存在となる。すぐに消え去るような簡単な言葉で思いを示したり会話をするよりも、私は思いがこもった自分の言葉を文字で残したい。届けたいところには届ける努力をしていこうと思う。
keiさん。きっと素敵な先生でいらっしゃたのでしょうね。
私もガリ切りの世代でした。遅くまで謄写版も持っていました。
その頃、福井市に「なかよし孔版社」というお店があり、文集
など作って貰いました。
本当にもうセピア色の懐かしい想い出です。😹
失礼致しました。
「ガリ切り」、耳にしたことがあるような気もします。
そして「文集」、学級文集ですね。懐かしい言葉に、楽しかった日々が思い出されます。
遠足、体育祭、文化祭、帰りの会のレクでリレーを一緒に走ったり、そう写生大会とかもありました。
そういう行事などが大好きでした(笑)
久しぶりに懐かしんでおります。
いつもありがとうございます。
残念ながらありません。
何か忘れましたが、鉄筆でガリガリ、
肩が凝ったこと覚えています。
↓
一会>一期一会言葉は知っていますが
何か深く重いものを感じ、使ったことはありません。
佐川美術館には思い出があります。
ホテルのフロントで転び、膝が腫れましたが
翌日足を引きずりながら、三千院を歩きました。
今も左ひざに問題が残りました。
ついでにワラ半紙とくれば、まさに往時の個人印刷の三種の神器みたいな貴重品でしたね。
文字通りガリガリ音を立てて鉄筆でガリ版に。
少し間をおいて出てきたヒシラコピー機。
いずれも重宝した過去を思い出します。
これほど急激な発展を遂げた文化はないほどの印刷・複写文化の発展の歴史。
その生き証人のような教師の姿が再現されていますね。
文化がどのように発展しても、思いを込めた自分の言葉で相手に伝えるものを書き残す。
いくつになっても心したい文字力でしょうか。参考にさせていただきます。
ガリガリガリガリとやりまして、肩は凝りました。
肩凝りになったのはそのせいでしょうか(…なんて)
こうして学級通信などを残していたもので、思い出はよみがえります。
転ばれた、そうでした、記憶にあります。ブログで拝読しました。
久しぶりに湖岸道路を走りました。湖面のきらめきが美しかったです。
力を入れ過ぎて原紙を破いてしまったり、書き間違えは爪でこすって
刻んだ文字を埋め直したりもしたものでした。
修正液のようなものがありましたね。
輪転機での印刷も、コピーも、まずは手書きでした。
当時は何とも思わず、ただ丁寧に作業することだけを心掛けたものです。
今の時代、簡単な一言で右に倣えの感情表現が広く使われるようですが、
抵抗しております。自分の言葉で自分の思いを、と。
お詫び申し上げます。
でもさすがに鉄筆などは
もうありません。
Keiさんは保存されてたのですね。
鉄筆のガリガリとした感触は
よく憶えています。
インクの匂いも!!
忘れられた鉄筆ではなく常に目にしてきたのですが、
初めて表舞台?に出せました。
書いたものの中には20代前半の「私」がいます。気恥しいですが。
ryoさんもガリガリでしたか。
手書きであることが大変と言えば大変でした。
インクの匂い、思い出しています~。