京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 あかあかやあかあかあかや

2010年12月08日 | 日々の暮らしの中で
     あかあかや あかあかあかや あかあかや
          あかあかあかや あかあかやの月

先日の熊野古道の道筋、湯浅の町で、行燈に明恵上人の歌が書かれていた。
現在の和歌山県金屋町で生まれた。8歳で両親を亡くしたあと、京都の高尾の神護寺に入るが、やがて、多くの僧が名利を求める姿を嫌い、寺を逃げ出し、故郷の山々で一人道を求めたという。
「気高くやさしい僧」であったからこそ、人からの嫌われ者になって名利を断ち切ろうと、自ら右の耳を切り落としたという逸話がある。

座右の銘「阿留辺幾夜宇和 (あるべきようは)」
日本人好みの「あるがまま」でもなく、その時その場において、「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを探して生きようとするものだと、河合隼雄氏は言われる。

彼は若いときからの夢を書き残している。その『夢記(ゆめのき)』によれば、晩年は女性の夢も多く残されているそうだ。
戒律を厳しく守った僧が見る夢。 夢で、夢でしか語ることができない?他者への批判…。
人間らしく微笑ましいとも思えるが。



コメント (2)
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