京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 この身もすす払い

2010年12月20日 | 日々の暮らしの中で
 東 西

2本の竹の棒で、親鸞像を安置する御影(ごえい)堂の畳927枚、本尊を安置する阿弥陀堂の畳401枚をたたいて、1年間の埃を払い出し、さらに大団扇で舞い上がった埃を外部に払い出す。
一年を無事に過ごしたことに感謝する伝統行事の「すす払い」が東(西)本願寺であった。

御仏に参拝し、合掌し南無阿弥陀仏と唱えるに加えて、少なからず祈りがあり願い事が、感謝があるのだろう。何でも聞いてくださる耳をお持ちとは言え、ささやかれた声なき声が染み込んだ畳でもある。
憂いも含めて叩き出し、晴れやかに新年を迎えようとしている。

一年間かけて、この身には積もり沈んだ不純物もたまっていることだろう。わが身こそすす払い、埃のたたき出しが要りそうだが、竹棒が畳をバンバン連打している音に、この身が打ちつけられているような感覚に… は、ならないか。でも少しだけそう感じるような。

ただあれでは痛くてかなわない。はたきでパタパタくすぐる程度では、ちと心もとなくもある。メリハリつけて…。

悪魔の叩き出しじゃあないのだから、とは思うが、気付け薬程度の一撃はいるかも知れない。荒々しいものが棲めばからっと気を静めるように、あるいは弾むような響きを効かせて明るく奮い立たせるように、ときには柔らかな音色でしっとりと…。

わが身の沈殿物は様々だから、浄化のコントロールは大変そうだ。
でもね、いくつになっても良性の培養物が潜んでいるかもしれないのだから、無茶苦茶だけはせんといてほしいわ。
                       (写真はネットより拝借)

コメント (6)
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