kyon's日誌

つれづれに・・・

本からのきっかけ

2017年11月25日 | 日記
あらま・・・雪ですがな。
今朝の雪はぼた雪・・・綿の様な柔らかい雪でありますよ・・・
最近は天気予報も実によく当たるねぇ・・・予報屋さん、お見事。

能代の往復で本を一冊読みました・・・いつもの葉室麟さんの「峠しぐれ」・・・
まぁ、面白くてあっという間に読めました。
で、解説の言葉には、出版社に寄って、出す本の方向性がある・・・というのが分かって・・・というより、この年まで気が付かないワタシもおバカなのですが(笑)・・・・道理であちこちの出版社コーナーにひょいと葉室さんの本を見掛けて首を捻ってた訳ですよねぇ・・・(苦笑)
その本の解説にもう一つお薦めの本もあり、それも何気に買った偶然を自分で自画自賛してしまった(笑)歴史ものを書く代表的作家5人の対談形式のもので、これもまた中々面白くて、現在読んでいるところ~(笑)

少し前には、宮城谷昌光氏の「湖底の城7」(6巻目で止まっていた)を見つけて嬉しくなって、そのついでに「春秋の名君」なども読んだりしてた・・・少し宮城谷晃光さんにはまっている(^_^;)
歴史ものを書いていると段々に人が見えてくる・・・的なことを仰ってたか・・なるほどなぁ・・天才肌ではないから努力してやっと人並みで、人並みの自分が中国の歴史の中に興味を惹かれた人物を発見し、その人となりを調べていく過程でその人物が浮かび上がってくる・・・それを何とかして書いてみたい気になる・・・らしいのですね・・・才能があると言ったらそれは努力を続けることが出来る・・・それを才能と言えなくもない的な・・・

ワタシは少し絵をたしなむ・・・高校の時の美術の先生が何気に、天才は99パーセントの努力と1パーセントの才能であると誰かが言ってましたから、なんて言ってね・・・自分のお子を自分の作品ですとワタシらに紹介するようなちょっと変わった先生でしたが、ワタシは好きな先生でした。
素敵なエッヂングで賞を貰うような才能もおありでしたが・・・・
まぁその通りだと思い込んでいたのですが、思えば、99パーセントの努力を惜しまぬ人は天才となるのだと、今更にして思える。
天才にならなくてもいい訳ですけど、普通人であることでしか見えない世界もある訳で、どちらも捨てがたい魅力的な生き方だとは思える。
しかし、10を望んで9まで叶う人と、10を望んでも何も叶えられない人とではどちらがいいかと、ふと思うきっかけにもなった。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 16時 | トップ | バランス »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
チェロ様へ (kyon )
2017-11-26 08:24:36
そうですね・・・本はワタシにとっては必要な啓蒙書のような感覚です・・・だから面白いと思って読めるうちは読みたい本を探すし読みます・・・
小難しい学問系の本はとても読む気になれませぬが、自分の理解力の程度に合ったものは、ある意味、人生の指南書となるようで読みたい・・
たった一言を探す為に読んでるような感じです・・・
エラクはありませぬが、自分を間違った方向に逸らさない気はしてるのです・・・思い込みが激しいのかな~?
返信する
黄釈子様へ (kyon )
2017-11-26 08:19:41
うむ・・・仰るように石はただの石でしかないかもしれない・・・
後はそれを受け止める方の心の在り方ではないかとワタシは思っていますね・・・生意気ですが。
だから、「夢」はまだそれなりに持っていますよ(笑)
石でしかない者でも、挫折からしか学べないことは大いにあると思うんですね・・・そういう石としての心の在り方は捨てたくないと思っている訳です・・・そういう意味ではまだまだ未熟で幼い思考なのかもしれませんが・・・(笑)
でもま、いいのですよ、ワタシも60年掛かってこの気持ちを手に入れたので、今更捨てる気は無い訳だし(笑)そのまま人生を終わってもいい訳です・・(苦笑)
イチローになりたい訳ではないしね・・・(^_^;)
返信する
えらい (チェロ)
2017-11-25 23:09:56
kyon様

こんばんは。

えらいです。
面白く読めるというのは、
幸せですし、お若いです。
読んでも、すぐに忘れるし、面倒になってしまう、
だれかさんとは、

えらい違いです。
返信する
才能 (黄釈子)
2017-11-25 20:54:12
難しい問題ですね、「99%の努力と1%の才能」というテーマは、何気に知っている言葉ですけど、原石がダイヤだから磨けば光るので、只の石はどれほど研磨してもダイヤには変わらない。
生まれ持った才能の芽というか、あるいは環境というのか、よくわかりませんが、世にでる人にはそれなりの「素地」があるような気がしてなりません。
 そして、「運と努力」が実を結ぶ。ごく一部ですよ。私は、「夢」ばやりで、誰でもかれでも、夢を追い続けることの「弊害」の方が気になるのです。どれほど多くの人や若者が、夢に破れて人生を棒にふることかって。いたづらに「夢」を押し付けず、「希望」とか、「目的」を持たせた方が、いいように思うのです。
 誰でも努力さえ惜しまなければ「イチロー」になれたり、「天才」になれるものではありません。
 ちょっと舌足らずで、やばいこと言っているような気がしますけど........。ま、やりたい人は、頑張ればいいけどね。
返信する

コメントを投稿