いい天気だ。亭主と息子は早速釣り人に変身して出掛けた。と言ってもお昼までらしい。いいけどね・・・昼ご飯は家で食べるっていうから・・・無粋ねぇ・・たまには自由にしてくれ~~(苦笑)(^_^;)
さて、ウクライナへの侵略を起こしたロシアとの戦争・・・かれこれ一ヶ月以上も続いている。
最初はね、あぃや~、この文明の発達した時代に進化した国家同士に戦争?嘘だろう~、なんて前時代的な!・・・とかね、簡単な発想だった一面がある。対岸の火事的に見てた愚かしさなんだけどさ。
そうこうしているうちに、抗戦を始めたウクライナの国家愛というべきか、ロシアは当初のもっと早くにちゃっちゃッと片づけるというイメージから程遠い事態となっている。このネットの時代を利用して、ゼレンスキー大統領の戦略も中々で、世界各国の国会や国際会議での演説なども行われ、今までの時代が残してきた負の遺産のような戦争というイメージが少し違う形になっているようにも感じたりするようになった。
で、国際社会は支援はするが自分らが参加してまでウクライナを助けようとはしないところにきて、これはまるで代理戦争のようなものか?何故ウクライナだけが犠牲に?ロシアが経済制裁を受ける度に、段々孤立化し、独裁化が強まり、立ち上がれないようにまで世界は追い込めようとしている・・・とすれば、これは対岸の火事程度の話ではないようになってきた訳で、ロシアは「核」を世界に意識づけることで誰もが本気で手を下せない状態を世界に突き付けている。
これはもう、今まで日本が北朝鮮のミサイル実験や中国の尖閣諸島などを脅かす構図を連想させて、明日は我が身だと思わせるに十分だなぁと思っている。
もし、日本が同じように何処かの国に侵略されたとき、これは誰にもお願いして助けて頂戴!・・は、無い気がするという危機感を感じる。
それに立派なシェルターも無いしねぇ・・・陽の光の無い世界で人はどれぐらい頑張れるものだろうか?と思うと、砲撃の無い時に外で光を浴びようとするウクライナの子供らの姿に涙が出る。朝日を浴びて目を覚ます、外気を浴びて季節を感じる・・・人が生存する為に根本的に必要なことなのに・・・(=_=)
で、ふと思ったが、高校生の頃、女学校ではあったが、ある友人と国を守るという話をした。自衛隊は必要か否かの話をしたことがあったことを思いだした。
友人は絶対に自衛隊ありき、永世中立国であるスイスだって自衛権を放棄しないで守っている。つまり、何かを守る為には戦争専門家とも言える自衛隊がどうしても必要なのだと言い張った。で、そこがワタシもお気楽な性格のせいか、おバカなせいか、戦争自体を起こされたときに守る為の自衛は必要だが、自衛隊をこれ以上大きくしてはならないと言い張った訳ですよ(苦笑)警察的な働き方で十分で武器を持つ必要はないと・・・(苦笑)
まぁ、世の中も経済も何も分かってない16~8歳の女の子があれやこれやと国家云々なんてエラそうにねぇ~(苦笑)いや、今でも複雑になったこの世界事情はよく分かっていないけどね・・・(苦笑)
その頃は大江健三郎氏や高橋克己氏など・・・フォークソングに「戦争を知らない子供達」、部落問題を扱った岡林信康氏の歌なんかも流れてたし、学生運動も盛んで、将来ある若者が行き場を失ったり揺れたり、不安や焦燥感が溢れていた時代だった気がする。大人は我関せずでね・・・逸る若者の気持を理解しようとはせずに抑え込むことだけをした気がする。それに多くの大人に威厳もなかったし、戦争に負けた意固地さみたいな負の面を背負って重そうにしてる・・感だったかなぁ・・(苦笑)
その後いわゆる「浅間山山荘事件」が世の中を揺るがし、「総轄」なんて怖い言葉が学生間で言われてたことがあったなぁ・・仲間内のリンチや苛めが横行してた・・ハイジャックなども起こったりね・・・海外に逃亡した犯人がいたり・・・親に守られてヌクヌクと暮らしてるお気楽女子校生には大きな衝撃が沢山あった。落ち着きのない世の中だっただろうけど、いつものように母は働き、酒場に行き来するやるせない大人も見て見ぬ振りをしてたかもなぁ・・
道を忘れたり見失うような時代だった気がするよ・・・今でもそうなのかもしれないが・・・(苦笑)
ワタシも子供を抱える大人となり歳を重ね、少しは自衛隊の予算がどれだけ膨大で戦闘機一台がどのくらいの値段か・・・大国の武器量などは比べ物にならないくらいだとかは少しは知ったけどいいとは思わないし、自衛隊が発足したきっかけなどは戦後の日本に治安維持が必要であった経緯など・・ちょいっとちょっとは知識を得るようになり、今では自衛隊は災害用の自衛隊かと思うほどの活躍をしていたりするし、感謝もするが、
実は駐屯地があるこの街の中を自衛隊用の車両が走っているのを見るとどうにもやはりあまりいい気持ちもしないのは変わらない。一寸、何かあったのかなぁ~と不安が過ぎる。
戦争に使うものを人を、大量に死なせる道具をどうして人は作るのかねぇ・・・ノーベルが爆薬で一財産を築いたことを思うと・・・毎年行われるノーベル賞受賞をぬか喜びしていいのか・・・的に複雑な気分になるのである。
今でも、戦争という言葉には違和感を感じるし、嫌いである。
戦争代わりに国を競うのなら、スポーツでいいじゃんと思うさ・・(苦笑)
互いを受け入れ合い、認め合って高められる・・・そんな理想的な世界はいつになったら来るのかなぁ・・・
ワタシの足りない脳みそではエラそうにも言えないし、難しいことは分からない。でも、心の中は人を殺し合うようなことが当たり前の世の中になってはいけないと叫んでる。
今は「戦争」というものをもう少し足りない自分なりの頭でも考えてみる時期ではないだろうかなぁ・・・何だか・・・そんな気がする・・・明日の為に・・