黒ウサギ外伝

本編『黒ウサギ的こころ』のブログです。

昨日、悲別で

2022-03-07 17:43:41 | 戯言
近年、道央界隈の炭鉱町の局地探訪へ行ってる。

今年は、上砂川や歌志内へ行こうと思ってました。

特に歌志内市は、人口2900人で日本最少の市ですから、炭鉱町として栄えた頃からの衰退ぶりが伺えます。

下調べ時に出てきたのが1984年の倉本聰脚本のドラマ『昨日、悲別で』です。

今から38年前のドラマで、当時私も観た記憶があります。

架空の炭鉱町、悲別(歌志内、上砂川)の若者が都会に出て、故郷の母や同級生、そして、同じ都会で苦闘する同級生の女性との関係を描いたドラマでした。


そのドラマのロケ地となった『悲別ロマン座』や『悲別駅』が今も残されてる。

なので炭鉱跡を見つつ、そのロケ地巡りをしようと思ったんです。

でもね、ドラマの内容を忘れてるから、今見てもあまり感動しないと思ってたんですよ。

そしたら、ようつべで全話見られるじゃありませんか。

いつ消されるか分からない動画なので、わっためがして観ましたよ。

観た感想ですが、いやはや暗いのなんのってワヤだった。

いや、倉本聰の脚本って、悪い意味の暗さじゃなくて、人間のリアルな生き様を描くとこうなるという暗さです。

夕張の炭鉱は、この時もう閉山されており、悲別(上砂川)が辛うじて山の火が灯っている現状で、国鉄も廃線になるとの噂が流れてます。炭住もどんどん廃墟化が進んでる。ドラマのBGMにラベルの亡き王女のためのパヴァーヌMemory二十二歳の別れなんかがかかるので、おのずと重い気持ちにさせられた。

そして、当時の喫茶店ではタバコを吸い放題だし、携帯が無いから黒電話、もしくは電話ボックスです。待ち合わせも『どこそこの駅の北口の前に1時』とかってね。相手が来なかったら連絡の取りようがありません。主人公が、悲別へ帰省した際も、懐かしい全日空モヒカンカラーのトライスターで、東京の上司からの急用時は電報です。

しかし、まだこの頃は、田舎に若者が沢山いました。都会に出て、夢破れても田舎でやり直せる良い時代です。今は、過疎どころか人自体が居ない限界集落です。彼らの住んでいた炭鉱住宅は、跡形もなく山林に戻っている。

一話見終わる度に、なんだか目頭が熱くなってしまいました。

んで、全編見終わった。

興味ある人は少ないと思いますが、一生懸命頑張ってもクラッチが滑ってるみたいに前に進まない、そんな若い頃の想い出が蘇ってくるドラマでありました。


昨日、悲別で【第1回】
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4 コメント

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流体継手 (しゅん)
2022-03-07 23:09:13
こんばんはー。
私の場合、クラッチどころか、流体継手の様に滑ってばかりの人生です。(笑)

倉本聰の物語は、恥ずかしながら、最近のやつしか知りません。
優しい時間は好きでしたね。喫茶店『森の時計』が好きで
2回くらい行きましたね。
また行きたいです。(^^)
石の家にも母を連れて行きましたね。

石の家も森の時計も観光地化してしまっていますが、
それでも実際に行って、そこに身を置きたいと思いますね。(^^)

私のことばかり書いて恐縮ですが、尾道にも行ってみたいです。(^-^)/
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Unknown (えんつご屋)
2022-03-07 23:19:25
私、実家が三笠市でして、86歳の父親がまだ元気に雪深い田舎で暮らしております。
三笠も炭鉱の町でしたので、その衰退ぶりは激しいものです。
市立病院のそばに実家があるのですが、その近辺にあったスーパーもコンビニも無くなりました。
ドラックストアが新しく出来たようでホッとしました、ってぐらいの衰退です。

以前、奔別を探索されていましたよね。
懐かしかったです。
中学の頃に友人達と自転車で廃墟となった奔別に行って、川で泳いだ事があります。
今思えばなんで廃墟に行ったのか、そこで泳いだのか覚えていません。
帰りは市営プールに行って泳ぎ直した記憶があります。
無駄にタフでした(笑)

悲別のドラマ、ほとんど見た覚えが無いですが、二十二歳の別れが妙に合っていた気がします。
あの頃は分かりませんでしたが、倉本聡は北海道に来て、だだっ広くて寒くて貧しくて文化もやんちゃで、よくこんな所で生活してるなぁと思ったのではないでしょうか。
でも、だからこそ、たまに見せる自然の綺麗さや人間臭さがドラマになると思ったのでは。

リーマン生活の終盤、千葉県に居た時がありました。
激務をしていたので、職場に泊まる事も多々ありました。
東から登る朝日を見ながら、寒くても貧乏でも良いから北海道に帰りて〜と何度思った事か。
携わったプロジェクトが軌道に乗ったタイミングで会社を辞めて、かみさんの実家の農家を継いだ形でここにおります。

随分ズレたコメントになってしまいました。
すいません。
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しゅんさんへ (黒ウサギ)
2022-03-07 23:44:11
このドラマ、私は20代前半で見てました。
丁度、バブル前の時期でした。
炭鉱労働者の人員整理が500人で、主人公の同級生の与作が炭鉱を早期退職します。
当時はまだリストラという言葉もなかったんですよね。
このドラマを見て、その頃の私と照らし合わせて見るわけでして、主人公のその後は、私のその後なのだと思いましたね。
という事は、今でもクラッチが滑ってあまり前に進んでないという物語なのでしょう(笑)
返信する
えんつご屋さんへ (黒ウサギ)
2022-03-08 00:03:41
えんつご屋さんの実家は三笠でしたか。
確かに私、2015年に奔別に行きました。
夕張の時もそうですが、寂れた景色を見るにつけ往時の賑やかさも頭の中に浮かんできます。
そして、まだ三笠は頑張ってる方だと思いますね。
一昨年夕張へ行った時は、草ボウボウの草原に舗装路が網の目状に走ってました。
その草ボウボウの場所は、当時は間違いなく人の営みがあったわけですよね。
それは去年行った美唄も同じでした。
朽ち果てかけた橋、コンクリートの塊の遺構、潰れてバラバラになった住宅等々、どこも一緒ですね。
今回ご紹介した悲別も今はもう自然に帰ってる事でしょう。

都会と一つだけ違う事は、私が思うと同時に脚本家の方々も思ってますね。
『時間の流れが違う』って。
今は、ネット環境等々で情報が早く伝わりますから、そうでもないのかも知れませんが、ドラマの当時は間違いなくそれがあったはずです。

ちなみに、この炭鉱町を今更ながら訪れよう思ったきっかけですけどね。
https://blog.goo.ne.jp/kurousagi46/e/878731394172c02156ab22e15f655a30
これなんですよ。
夕張に行った時に見た、笑顔の少女二人の写真です。
時間軸は違えど、こんな子らの笑顔の場所に行きたいと思ったんですよね。
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