くみちゃん日記

日本共産党長野市議が
暮らしの中の声と
政治への願いを
ご紹介します。

豊野のまち周り

2009-07-11 22:18:45 | Weblog
今日は午前と午後の二回にわけて、豊野地区のビラ配布。できるだけ、話をしてビラを受け取っていただこうと、軒並みピンポン押して話し込む。

「ご無沙汰しています。お変わりありませんか。ビラを読んでいただきたいと思って」「まったく不安ですね。この先日本はどうなるのでしょうか。消費税上げられたら私らやっていけません。テレビは、お互いの悪口言っているだけで、いやになります。自民も民主もおんなじですね。」

玄関で腰掛けて、心配事を聞いたり、近所の揉め事を聞いたり。草取りの女性とつい長話になったりと、私は顔をすべて覚えているわけではないが、「佐藤くみこです」というと大抵「ああ」とうなづいていただける。どこでも切実な声が聞かれる。

アメリカは今後10年間で富裕層に約60兆円の増税をおこない、中低所得層に
72兆円の減税を実施するという。イギリスもドイツも大金持ち・大資産家に応分の負担を求めて中低所得層は減税するという当たり前の対策をとろうとしている。
日本の15兆円の補正予算は大企業を応援し財界の要求にこたえたもの。そしてそのつけは消費税増税で庶民に全部押し付ける、こんな国は異常だ。

授業参観で

2009-07-10 21:44:13 | Weblog
豊野の6年生は臨海学習の一環として、佐渡を訪れ様々な体験学習をしてくる。豊野町の時代に佐渡との交流がきっかけで、定着したもの。以前は豊野のまつりに佐渡の物産も並んで販売されたことがあったほど。結局子どもたちの学習機会にいかされ毎年の行事になり、娘たちのクラスの授業参観も佐渡について調べた発表会だった。

イカの一夜干しを作ったりタライ船に乗ったり、金を見つけたり、磯の貝を採ったり、初めての体験がたくさん。お小遣いは2500円と決められている。娘にとって甥にあたる涼太や航平にもお土産を買ってくるつもりで、予算を立てている。
潮の香りや海をすすむ船の周りの真っ白い泡に何を感じてくるだろう。梅雨明けが近い、真夏の海の初体験は今からドキドキの様子。保護者もつられて、「私も行ってみたーい」と騒いでいた。

豊野の夏祭り「よいしょこ祭り」にクラスで連を作って踊りに参加しよう、花火もひとり260円徴収してクラスの花火を上げようと、何だかみんなノッテきた。
子育ては、親も一緒に楽しむもの、ドキドキ感を膨らませた学校のつどい。

岡部伊都子さんのこと

2009-07-09 23:00:04 | Weblog
岡部さんの声を録音音声で聞いたのが、数年前。知り合いのKさんがNHKラジオで放送された岡部さんのメッセージをテープに吹き込んでくれ、届けてくれたもの。許婚の彼が出征するときに、自分が背中を押した、その悔いと慙愧をその後の自分の生き方の真ん中において生きてきた女性だった。

出征のとき、「自分はこの戦争は間違っていると思う。天皇陛下のためになんか死ぬのはいやだ。国のためとか、君のためなら、よろこんで死ぬけれど」と言い、自分は男のくせに弱気な人と思ったと語っていた。彼は24歳で沖縄で両足を負傷し、撤退する部隊についてゆけず、自決により戦死。その死の意味を考え、自分を「加害の女」として、戦争を語った人。

「鳴滝日記、道」という本が出版されたことを知り、買い求めた。岡部さんは昨年の4月29日に病死されていた。Kさんも昨年7月に還らぬ人となった。本が好きで部屋一杯の本を処分するが、どうしても処分できない本を引き取ってくれないかと言われ、いただいてきた。自分の病状を正確に把握し、亡き後の整理をつけて旅立った。もう一年になるのか、生きている私は何をしているのだろう。岡部さんの随筆を読みながら、Kさんに感謝して、足元をみつめる。

ほっーほっーほたる来い

2009-07-08 23:54:27 | Weblog
あっちの水はにがいぞ、こっちの水は甘いぞーと、歌いながらほたるを取りにでかけた、幼い頃を思い出す。入れ物にほたる草を入れ、つかまえたほたるをいれ、家に帰って放すとほのかな明かりが舞い、家族でながめた思い出がある。

土京川のほたるは、流れに沿って飛び交い見事だった。娘と二人ででかけたが、途中でちかちゃんという3歳位の女の子と、お母さんと一緒になり、娘が手にしたほたるをちかちゃんの小さな手に移してあげると喜んで声を上げた。でも動く感触がちょっとこわいのか、お母さんの手に移して、また空へ舞い上がっていくほたるを「とって、とって」とせがんでいた。

下流から上がってきて、車のライトや人工の明かりをみて「強すぎる照明だね」と改めて感じた。帰りの道で月をみると、おじゃるまるの月だった。夏の夜の思い出になるかな。

40億円の補正予算がつくが

2009-07-07 23:01:32 | Weblog
7月17日に長野市議会臨時会が開かれ、約40億円の補正予算が提出される予定。しかし、本当に困っている人に生活支援にいかされる予算はほとんどない。中学校に電子黒板をいれるとか、太陽光発電を設置するとか、公用車を環境に優しい車に換えるとか、だけど、それが一番必要か。説明を受けながら「本気で国会を変えないとこの国は救いようがなくなる」とまで思う。借金でどれだけ人気取りをしようとしているのだろう。なせ、口を出さず、地方分権に任せて、金を出さないのか。

夕べたまたま電話をしたTさん。開口一番「もう駄目だ、息子を殺して俺も死ぬ」と。「一体どうしたの」と聞くが、興奮していて「もういやになった、どうでもいい」と繰り返すばかり。「とにかくすぐに行くから、私が行くまで待って」と言い、車で駆けつける。外で息子と父親がにらみ合っている。「中に入って」と二人を引っ張って座らせる。約二時間、両方の言い分を聞きながら、やっとお互いに謝ることができた。障害を持つ30代の息子、仕事がどうにも見つからない。父親も必死で探すがどこも断られる。息子は親父が悪いと殴るけるの暴行、モノを投げてイライラを爆発。父親も血圧が上がって危険数値。話すほど、弱い立場の人にいかにシワ寄せがきているか、涙が出る。相談機関につながる見通しができ、落ち着いた。大阪のパチンコの放火は、他人事ではない。選挙しかない。

比例ブロック事務所開き

2009-07-06 18:55:51 | Weblog
今朝9時半からメルパルクで、候補者勢ぞろいしての比例選挙の事務所開きがあった。今井選対本部長に続いて、元衆議院議員の木島日出男さんからの激励あいさつがあった。

バトンタッチしてからの三年半、広大な面積の選挙区を駆け回りながら苦労をされただろうが、政治家としてたくましくなったと山口さんの活動を紹介。特に廃止を決めていた雇用促進住宅の問題については、大きな運動を巻き起こし政府の方針を撤回させた実績は、現職であってもなかなかできないことと話された。また、国会の現状に触れ、言論の府として国会は死んでいる、よみがえらせて欲しいと表現された。それと憲法9条を守るたたかいである。重みがあり、実感がこもっていた。

そのあと全県の活動者会議だったが、議会の関連会議があり途中で退席した。歩きながら赤いタチアオイをながめた。緊張が切れたせいか、あくびがでた。
タチアオイ、日傘で隠すあくびかな。

善光寺の今と昔

2009-07-05 23:01:33 | Weblog
6月30日の午後、上越市と長野市の市議会議員の交流会があり参加をした。ご一緒に善光寺を回りお参りをして、詳しい説明を聞く機会もあり初めて知ることも多かった。上越の知り合いの共産党の議員さんも、「修学旅行以来だよ」と説明に聞き入っておられた。

アジサイの色が見事で皆から感嘆の声が上がった。山門の上から善光寺平を見下ろし、肥沃な土地を求めて戦った戦国時代に思いを馳せた。また、善光寺のご本尊をめぐっての動きは、いかにその影響力が大きかったかを物語るものだろう。ここ信州に収まり善光寺信仰の拠点として発展を遂げてきたのは、人々の熱い思いに支えられてのことだろう。

翌日の新聞に、大勧進の人事をめぐって裁判に提訴された記事が報道された。最高位の方のスキャンダルが週刊誌を賑わせたこともあった。詳しいことを知る由もないが、全国から御開帳にこられた方は673万人と少ない人ではない。回向柱に願いをかけお参りする人々の心の拠り所であってほしい。あの濁った池の水を清め、更に善光寺が老若男女の拠り所になることを願っている人は私だけではないだろう。

希望と安心のある明日を

2009-07-04 00:18:28 | Weblog
総選挙に向けての赤旗号外が届いた。今一番国民の欲しいものは「希望と安心」ではないだろうか。どうしたら、希望ある日本安心できる暮らしができるのか、このビラはとてもわかり易く書いている。

民主長野の号外も届いた。緑が美しいビラだ。山口さんの魅力も読む人をひきつけるだろう。人々の家に届け、声をかけ、知ってもらおう。そして聞かせてもらおう、何を感じているかを、何を望んでいるかを。

自民党の元幹事長だった野中広務氏が赤旗に登場した。「宿敵」といいながらこの日本の未来を案じて、共産党にエールをおくってくれた、と私は感じた。まじめな人なら真剣に考える人なら、保守の立場の人でもじっとしておれない、このままでは日本の将来が危ういと、対決軸を明確にする党への期待になったのではないか。
熱いおもいに応えなければ。

あきらめない事

2009-07-01 21:13:35 | Weblog
共産党の控え室には本当に様々な方が来られる。今日は反貧困ネットワークの「何でも相談会」があり、そこから独りの男性が生活保護の申請に来られた。顔は活き活きと、身なりもこざっぱりと、風呂には入っていないと言われたが独特の臭いもなく、しっかりした70代後半のホームレスの方だった。長靴をはいて、所持金はビニールの袋に入った、500円玉が一つと100円玉が三つとあとは10円玉と1円玉だった。

何処に居たかと聞くと「いろんなところ、神社の境内や軒下や、最近は駅の地下」。全国の各地を回りながら働いて来たと言い、最後は住み込みで働いていたところを景気が悪く、出された模様。

私は次の会議が入っていて、他の同僚議員が対応されたが、自分の親の代の人でつい他人事とは思えず耳を傾けた。

すぐそのあと来られた方は九州の男性。40代の働き盛り。年間3万人も自殺する日本。あきなめないで、人生捨てないで、みんなで生きよう。そして暮らせる国を作ろう。