くみちゃん日記

日本共産党長野市議が
暮らしの中の声と
政治への願いを
ご紹介します。

漫画みたいな話し

2011-05-31 22:23:47 | Weblog
赤旗の新聞を読んでいます。毎日配達される日刊新聞です。実は日曜日の新聞も面白いのですが、日刊はもっと面白いのです。

実は今日の記事で大爆笑の記事がありました。八面の「気流」東電メディア懐柔の実態を暴露したものです。

被爆国の日本には核に対してアレルギーがある。原発を日本で推進するために「神話」をつくる必要があった。そのため巨大な資金力を背景にした電力会社の工作対象は、政界、官界だけでなく学会やメディアにも及ぶという。

大震災当日、東電の会長はメディア関係者を連れて中国に旅行に行っていた。10年の歴史があるそうだ。また、東電の決算発表が都内のホテルの個室で開かれ、昼間からステーキのフルコースを食べながら発表されると言う。食事代は東電もち。

地方の経済界の中でも絶大な力を誇る東電の機嫌を損ねないように大手の部品メーカーも細心の気を配る。以前の話と断りながら、釣り大会で所長を招いたとき、魚が釣れないで不機嫌になっては困るとメーカー側が策をめぐらし、なんとダイバーを潜らせてその所長の釣り糸に魚をつけた、とか。

私は完全に笑ってしまった。

そして、寒気がしてきた。こんなことを長くやってくる中で、安全性や危機管理意識がないがしろにされてきたことはなかったのか。国際社会が深刻に受け止めているのに比べ、日本が言うことなすことがずれている。

東電とメディアの癒着関係が赤裸々に記されるのは赤旗のみだろう。多くの人に読んでもらいたい新聞です。

選挙について

2011-05-25 22:34:08 | Weblog
9月の市議選に向けて挨拶をしながら訪問活動をしています。

玄関で怒鳴られてしまった。「オレは四年前に入れたが今度はダメだ。大体あんたは俺にどれだけ返してくれた?100万でも返してくれたか」と言われた。市の公共事業に口利きをしてくれなかった、と言うわけだ。「はい、確かに」と言ったきりあとが続かない。断られたが、ホッとした。

地域の問題の解決のために住民の皆さんと一緒に署名を集めたり、市に交渉したりして改善されたときは、正直嬉しい。その活動を通して知り合いになったり、泣き笑いしながら連帯の気持ちが生まれるからだろう。

初対面の人に「私の知り合いにも、佐藤さんのことはなします」と言われると本当に嬉しい。「市政も、国の政治も変えなくてはいけないと思います。がんばってください」

選挙に初めて出たとき、「共産党」と正々堂々名乗ることが誇らしかった。表立って活動できない多くの人を知っていたし、自分自身もそれに近かったから、その人達の想いを代表して「私は日本共産党の・・」と訴えた。

選挙は7回闘った。今度は8回目になる。市民の声を聞かせてもらおう。市政への意見交換を数限りなくしよう。すぐに解決できないこともあるけど、どうしたらよいか一緒に考えよう。業者選定の口利きはできないが地域の仕事が地域の業者に回るような制度設計は必要だろう。

選挙は、本気、道理、勢いがないとだめ。肝に銘じてがんばろう。


暑過ぎですねぇ

2011-05-21 21:26:00 | Weblog
車に表示された外気温は33度でした。

「扇風機だそうか」「それよりストーブしまったほうがいいんじゃない」「そうだよ、こたつもまだあるし・・」というのが我が家の会話でした。

延びてきたゴーヤのつるが絡まるところを探しているようで、夫が細い枝を挿してきました。埼玉のどこかで、無料でゴーヤの苗を配布したことがテレビのニュースで報道されたと、末娘の情報です。全国でグリーンカーテンに取り組んでいるのでしょう。昨年のような暑い夏にならないように今から願っています。

今日の夕飯は孫と娘と三人で手作り餃子をたくさん作りました。ひき肉をこねこねして野菜を入れて、皮は既製品を使ってひだをつけながら並べました。孫の作ったのは一目瞭然。焼いてやると「おいしい、僕の作ったの一番だよね」と得意顔。

半そで短パンの孫達はアイスを食べたり冷たい飲み物の要求。麦茶を作りました。一気に初夏の陽気です。

私のバランスボールが孫達の一番のおもちゃ。少し相手をして遊んでやると汗びっしょりになりながら笑うこと笑うこと、今夜はぐっすり眠っているでしょう。

こしあぶら

2011-05-20 23:27:54 | Weblog
6月議会を前に研修会が続きました。諏訪で一日、長野へ帰ってから一泊で集中的に行いました。楽しみもありました。

今年初めて、こしあぶらを採りました。研修会の会場付近で、お昼休みにゲットしました。

同僚のM議員が細い木によじのぼって、枝を下に下げ、地面にいる私がとれるようにしなわせてくれたのです。「全部取ったらダメだぞ。三つに一つは残せよ」と適切なアドバイスもしてくれて。

失礼ながら、若くはないのに木に登ろうと言うので「無理無理、やめて」と言ったのですが、足をかける枝もないのに足で幹をはさみながら登ったのには驚きました。

こしあぶらは、木の先に葉っぱがあるのでそのままだと届きません。私のために、枝をしなわせてくれて、私は少し斜面を上にのぼって枝の先の緑に輝く芽を折りました。

小さいとき兄と山に行ってあけびを採ったりしたことを思い出しました。
新緑の林は気持ちもよかったです。明日は天ぷらにしていただきます。

福島藤沼湖の決壊

2011-05-17 23:17:23 | Weblog
今日の信濃毎日新聞に、農業用ダムの決壊で7人の死亡・一人行方不明との記事が載っていました。


時間があれば、福島へ行った時に見てきたかったのですが現地に行くことはできませんでした。

県議選の投票日の前に藤沼湖の決壊を知り、浅川ダムの安全性の再検証が求められていると感じたところです。

「絶対安全、はない」というのが実情です。浅川ダム危険で無駄です。

阿鼻叫喚の声が離れない

2011-05-13 21:49:22 | Weblog
宮城の石巻市で最初に行ったところが日和が丘。こじんまりとした丘ですがここから石巻漁港までほぼ見渡せます。ここには津波は届きませんでした。


見渡す限り津波の被害で瓦礫の山。私達は全員港に向かって手を合わせお参りしました。

説明してくれた議員の三浦さんが言いました。「当日ここで避難した人が目にしたものは人々の必死の姿であり、今も耳に残っているのは助けを求める叫びであり悲鳴であり・・・離れないのだそうです」と。

丁度八重桜が満開でした。

そして、降りる途中には土葬された後が点々と続いていました。掘り返して火葬にするのか、重機と大勢の人が見守っているところもありました。

葬式は死を受け入れるための儀式でしょうか。火葬でも土葬でも埋設の仕方は違っても事実と向き合う時間が必要でしょう。

日和が丘は、様々な人の想いが詰まった丘でした。

ベクレルに追われるごとく郷じまい

2011-05-13 00:56:25 | Weblog
宮城と福島の震災支援に行って、先ほどつきました。

宮城は石巻へ行って、現地の共産党市議の案内で被災現場を見ながら被害状況の説明を受けました。あまりのひどさに声も出ませんでした。

翌日は長野から買い込んだ支援物資を中心に「お届けたい」の活動を行いました。避難所ではなく、在宅の人を対象に食料や生活物資を届けたのです。

災害から二ヶ月が経ちましたが、道路だけ何とか空いたという状況でしょうか。こんなところに人がいないのではと思うほど、軒並み津波にやられた地域で広場を見つけ、ブルーシートを敷き物を並べ、軽トラの荷台に食料を小分けにして並べ、ハンドマイクで呼び込みです。「共産党です。食料や下着などをお持ちしました。おでかけください。」と。

私はシートに座って女性の下着や生理用品や靴下など声をかけながら渡す担当でした。みなヤッケの上下を身につけ泥だらけになりながら家の片づけをされているようです。靴下の花柄を見て「ホッとしますね」「色の黒いのはありませんか」「本当に助かります」と30分ほどで45人から50人の方がきて全部おわり。タオルも軍手もまだまだたりないほど。

福島は南相馬市へ。四重苦の只中でした。地震、津波、原発、風評被害と。共産党の渡部市議は自宅が原発から12キロ。足すくむ自衛隊を原発から20キロ圏内を案内して回ったと言う男性。奥さんは実家の会津へ、息子夫婦は愛媛へ避難。渡部市議の案内で学校視察。30キロ圏内の学校が再開できず、圏外の学校へ通う。普段は120人の生徒がいるが50人避難して70人残ったところへ230人が他地区からかよう。

飯だて村を通ったが、全村避難の指示だという。高い値がでたベクレルで人々は牛を処分し家をしまい、故郷をあとにするのだという。残酷なことだ。




米に玉ねぎに布団も積んで

2011-05-09 22:37:00 | Weblog
明日の朝、東日本大震災の救援活動に出発します。5時の出発です。
きょうはトラックに物資の積み込みをしました。

日本共産党の組織は日本中にあります。現地の要望を聞き物を調達するすることができることに、大きな喜びを感じます。組織があればこそ、現場の声が把握でき、それに応えることができるからです。押し付けではない現地の要望に応える活動は、大切ですが現場と連絡が取れていて仲立ちしてくれる組織や人の存在は大きいと思います。

宮城へは布団や食料、下着などを準備しました。福島へは子どもの文房具やお菓子や食料などをもって行きます。

共産党長野市議団5名と、候補予定者1名と事務方2名の合計8人の支援隊です。現場を見ての報告を後日行います。それでは又。

安心して住めるまちとは?

2011-05-06 23:03:41 | Weblog
私達は今住んでいる街に住み続けたいと願っています。安心してこれからも長く住み続けるために何が必要でしょうか。

知っている人がいることは大事なこと。隣近所のお付き合いも大事。
買い物できる店があること。歩いていけるところにあれば尚更安心。
自動車に乗れなくなっても、また乗れなくても生活できる公共交通機関があるところ。

お医者さんが近くにいること。金融機関があること。困ったときに相談できるところや人がいること。

雨が降り出すと、地すべりや浸水が心配になるところは安心できません。

情報が伝わらないと不安になります。いざと言うとき頼りにする拠点がないと不安になります。学校の耐震化、保育園の耐震化など公共施設の耐震化は大丈夫でしょうか。

何を優先させるのか、何が必要なのか普段からの議論が重要ですね。

共産党長野市議団は、5月10日から12日にかけて宮城と福島へ救援物資を届け、救援ボランティアに行ってきます。しっかり見てきたいと思います。

花壇のおくりもの

2011-05-05 21:44:55 | Weblog
今日は「こどもの日」、本当はこいのぼりや、武者人形などをお祝いにおくるのかも知れないが、我が家はそうしなかった。

まず、息子夫婦の意向を聞く。こいのぼりは小さいのを買ったのでいらない。特に欲しいものはない。普段着をセットで買ってやりたいと言ったら「たくさんあるのでいらない」

それでは、ということで花壇を贈ることにした。

我が家で空いたプランターが三つあった。夫が枕木を手配して花壇を作ってくれ、ゴーヤを植えてグリーンカーテンを作る窓辺のプランターが空いたのである。

花の苗は、孫と息子が選んだ。紫にオレンジと赤と三色の苗が並んだ。

水くれ当番は僕がやる、と4歳の孫はおお張り切り。2歳の孫はジョウーロのなかに砂を入れて遊びそう。

じじばばは暮らしに彩をと思ってのことだが、押し付けがましいかなぁ。