麻を私は見たことが無かった。幼い頃、田んぼは黄金色に実ったが、麻は色も知らなかった。ところが、精麻の束を見て「亜麻色の♪」と歌い出したくなったほど、きれいな、柔らかな艶のある黄銅色だった。
麻に興味を持つきっかけは、夫の弟である義弟の相談に乗ったことである。上越で造り酒屋に働く彼は、麻の布を探していた。麹をひろげる時に使う麻布は、外国製のものでは粗すぎて使えないのだそうだ。長野には麻績村があり、美麻村がある、何とかならないか、というものだった。ところが、長野県では知事が許可をおろさないので、麻の栽培は禁止されていた。京都の美山町に行ったとき、あるような気がして声をかけたが、やはり無かった。
それが、鬼無里の元風間村長が栃木県の鹿沼市から麻を取り寄せ、地域の子どもたちに畳糸の生産地だった歴史を教え、体験させている、という記事を見て俄然元気が出た。そして、麻を見せてもらったのである。
ところが、家に帰って義母に話すと、87歳の義母の祖母が麻を績むでいたのを覚えていると言う。時代は昭和初期で、鬼無里の麻の工程とはずいぶん違いがあるが、いい小遣い稼ぎになったそうで、小指の爪に引っ掛けて裂き、唾をつけてよりをかけていたそうだ。見事な手さばきでじっと眺めていたそうだ。麻を追いかけよう、面白い。
麻に興味を持つきっかけは、夫の弟である義弟の相談に乗ったことである。上越で造り酒屋に働く彼は、麻の布を探していた。麹をひろげる時に使う麻布は、外国製のものでは粗すぎて使えないのだそうだ。長野には麻績村があり、美麻村がある、何とかならないか、というものだった。ところが、長野県では知事が許可をおろさないので、麻の栽培は禁止されていた。京都の美山町に行ったとき、あるような気がして声をかけたが、やはり無かった。
それが、鬼無里の元風間村長が栃木県の鹿沼市から麻を取り寄せ、地域の子どもたちに畳糸の生産地だった歴史を教え、体験させている、という記事を見て俄然元気が出た。そして、麻を見せてもらったのである。
ところが、家に帰って義母に話すと、87歳の義母の祖母が麻を績むでいたのを覚えていると言う。時代は昭和初期で、鬼無里の麻の工程とはずいぶん違いがあるが、いい小遣い稼ぎになったそうで、小指の爪に引っ掛けて裂き、唾をつけてよりをかけていたそうだ。見事な手さばきでじっと眺めていたそうだ。麻を追いかけよう、面白い。