くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景002 第41景 市ヶ谷八幡

2013年03月23日 22時15分18秒 | 名所江戸百景
 こんにちわ「くまドン」です。
 桜3日と言われるように桜の写真を撮るうえで満開の日は3日しかないと言われています。桜が咲いている間に、なるべく多くの場所を紹介する為に、一景だけピックアップした話題を選んでみました。
 今回は、名所江戸百景「第41景 市ヶ谷八幡」を取り上げます。撮影日は2012年4月7日ですが、まさに桜満開の日でした。そして、このプログを書いている2013年3月24日の今日がまさに桜満開の日です。
 この「第41景 市ヶ谷八幡」は広重死の1ヶ月後に出版された作品で、二代広重の筆が入っているとされています。手前の濠が市ヶ谷濠、右上の建物が市ヶ谷八幡です。


 江戸城の外濠(そとぼり)の多くは埋め立てられてきましたが、飯田橋~四谷間の3カ所(牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠)は今でもその姿を残しています。
 今回は、飯田橋駅から外濠沿いに歩いて、市ヶ谷八幡に向かいます。

 まず、JR飯田橋駅西口を出ると写真のような石垣があり、その説明が書いてあります。
 ここは、江戸城外濠にあった門の一つ牛込門(うしごめもん)の跡です。または、牛込見附(うしごめみつけ)とも言います。牛込門は上州道へ通じる北の門でした。江戸城の門の中では、比較的原型を良く残している門の一つです。


 桜で有名な場所であり、この牛込門から市ヶ谷門に向けて歩いて行くと、桜の写真に向いている場所が数多くあります。また、江戸城の外濠と石垣・土塁の構造を見ることができます。



 飯田橋駅(牛込門)から市ヶ谷駅(市ヶ谷門)方向を望む写真です。撮影したから1年が経ちました。濠の向こうに見える建設中のビルは完成したのでしょうか?特にこのビルとは関係は無いのですが、スカイツリー建設中の写真が話題になりましたが、この写真は、この年でしか撮れません。ある意味2012年という年代を表現している写真ともいえます。
 桜の雰囲気も明るめなので、くまドンは気に入りました。
 名所江戸百景「第41景 市ヶ谷八幡」に対応する「くまドン版」の景をこれに決めさせていただきます。

 くまドンが使用しているデジカメはニコン製のCOOLPIXと呼ばれるデジタルコンパクトカメラですが、このカメラの機能には絵画調と呼ばれるフィルター機能があります。下の様に元の写真と絵画調に変換した絵を並べて見ると、なかなか面白いです。くまドン旅日記では、この絵画調のフィルターを使用した画像と多く掲載していこう思います。
絵画調に変換するとこうなります。


同じく、手前に桜と電車(オレンジ色は中央線、黄色は総武線)を入れてみました。

絵画調に変換すると

全体的に明るめになるので、写真では朝早かった為、日陰となり、暗かった桜や電車の部分が奇麗に表現されているのが印象的です。

 下の写真は外濠に渡してある橋の市ヶ谷駅側から、市ヶ谷八幡方向を撮った写真です。この場所は、江戸城の市ヶ谷門があった場所ですが、道路になっている為、原型を残してはいません。


 名所江戸百景の絵はこの方向から市ヶ谷八幡を描いたのですが、見ての通り、どこにに市ヶ谷八幡があるのか分かりません。
 真ん中の赤と黄色の宣伝があるビルと右の「駿」と書かれたビルの間に隙間があるのが分かりますでしょうか?ここが、市ヶ谷八幡の入り口です。ここの入口には、「亀岡八幡」とかかれた提灯が立てられています。
鎌倉の「鶴ヶ岡八幡宮」という名前だったの対して、市ヶ谷の八幡宮は、「亀ヶ岡八幡宮」という別名が付けられたそうです。


 入口を少し進むと、細い路地の先に急な石段があり、途中にお稲荷様があります。結構な急階段を登りきると、目の前に市ヶ谷八幡があります。朝早かったのですが、上の方は日当たり良好でした。


 次に振り返って神社境内から外濠方向を望みましたが、ビルの谷間で良く見えませんでした。江戸時代は、視界を遮る高い建物がなかったので、見晴らしが良かったことでしょう。このことは、逆に江戸城の防備の面から見ると、市ヶ谷付近は濠の両側が同じ高さなので、防御が弱いという理由で、濠を広くして、敵に備えたと言われています。


 当日の帰る途中に、再度この場所を訪問してみましたが、外濠の水面に市ヶ谷駅明かりが映る雰囲気が良かったので、写真を撮ってみました。

 元の写真はアンダーな仕上がりになっていますが、絵画調に変換すると、明るい色調の写真になるので、意外にも絵画調の方が良い結果となっています。暗いので、スローシャッターとなり、風の影響で桜の枝がぶれています。


 今回は、この景のみで終わりとさせていただきます。


名所江戸百景001 スカイツリーの真下から

2013年03月22日 20時53分37秒 | 名所江戸百景
 くまドンです。仕事が忙しく、全くプログを書く時間が無いまま、最初の挨拶から5日も過ぎてしまいました。東京の桜はすでに満開となってしまいました。気持ちは「早くプログを書かなければと」焦る一方です。
 昨年、2012年は寒い年でした。梅の開花は1カ月以上遅れ、3月24日に満開を迎え、3月29日に早咲きの河津桜が見頃を迎え、通常の桜である「染井吉野」が満開になったのは、4月7日という例年にない遅さでした。そして、今年2013年も梅の開花は例年より遅く、今年も春は遅くなりそうと思っていたら、春は駆け足で進み、3月3日に梅は満開となり、3月16日には、桜の開花宣言が発表され、河津桜は見頃を迎えてしまいました。そして、本日3月22日には、桜の満開宣言となり、例年より一週間も早い開花となってしまいました。
 ともかく、桜が咲いている間に可能な範囲で桜の写真を出していこうと思います。

 まずは、スカイツリー直下から始めて、周辺を周ってみます。

 撮影したのは、去年の2012年3月29日です。まだスカイツリー開業前だったため、スカイツリーの真下には入ることができませんでした。下の写真の通り、この当時は北十間川の北側(写真の右側)は工事中でした。

 近辺に桜とスカイツリーを並べて撮れる所は無いか探した所、北十間川の橋の所に河津桜が咲いていました。(残念ながら河津桜は早咲きなので、すでに葉桜となっていると思いますが・・・)


スカイツリー直ぐ近くにある名所江戸百景といえば、
下の絵は名所江戸百景「第104景 小梅堤」です。真中に流れている曳舟川は、現在ではスカイツリー西側の道路になっている為、あまり写真には向きません。この景対応する場所を「くまドン版」ではスカイツリー直下で撮った写真に割り当てるとします。今回は事前確認の為に来たので、上の写真を仮置きとさせていただきます。


 ここで、スカイツリー周辺の穴場を紹介しておくと、スカイツリーの南側にある交通量の多い浅草通りを過ぎて、3番目の道路沿いに「森八本舗」という老舗のお菓子屋さんがあります。この建物は城の天守に似ており、他の方のプログでは「模擬天守」(過去の歴史で実在しなかった天守)の一覧に加えられている程です。

 スカイツリーと「森八本舗」との関係ですが、スカイツリーという名前が決まる前に、一般から名前を公募しました。その第一位が「大江戸タワー」でした。ところが、「森八本舗」がたまたま、そういう名前の新商品を作ろうとして登録商標していた為、「大江戸タワー」という名称がつけられず、今の「スカイツリー」という名前になったそうです。いろいろ調べてみると、「森八本舗」の社長さんは良さそうな人です。そして、アイデアマンである為に偶然このような事態が発生したようです。
 この「森八本舗」のある所からも、スカイツリーが見えます。下の写真はスカイツリーと「森八本舗」の建物を並べて撮った写真です。(広角28mmでもギリギリ両方入れられるかどうかです。)上の写真の右の門の奥に駐車場があるのですが、私有地ですので勝手に入るのは気がひけます。店の中の右側の出口を出るとその場所に出られますの。色々のお菓子があり、食べてみましたが、老舗だけありまして味も良いです。)


 それでは元の話に戻り、スカイツリーから北十間川沿いに東に進みます。
まず、最初にある橋が西十間橋で、この橋から見た写真が下の写真です。
スカイツリー建設中は、川面に映る逆スカイツリーが撮影できる場所として有名になった所です。現在では、スカイツリーが高くなり過ぎて、通常の広角レンズではスカイツリー全体を入れることは難しくなりました。

 次の橋は十間橋です。この橋も逆さツリーの撮影で有名になった橋です。

 この十間橋のすぐ先に横十間川が北十間川に接続する場所があります。
この場所が、下の絵の名所江戸百景「第32景 柳しま」の描かれた場所です。方向は南から北の方を俯瞰(上から見下ろした構図)して眺めた図となっています。川が交差している場所に建物がありますが、これが法性寺です。法性寺は現在もありますが、近代的建物に変わっています。絵の上部に筑波山が書かれていますが、高い建物が並ぶ現在では、見ることはできません。

 さらに進むと、人だけが渡れる歩道橋があり、ここからもスカイツリーが川面に姿を映します。

ここまで離れると逆さツリーが入れやすくなります。正面に見えている橋が十間橋です。判りにくいですが、十間橋のすぐ手前の左側から横十間川が北十間川に接続しています。東から西の方を見た状態で、上の「第32景 柳しま」絵では右から左方向を眺めた写真になります。

 残念ながら、当日は風があったので、スカイツリーは川面にはっきり映すことができませんでした。後日、再挑戦となります。とりあえず、この写真を「第32景 柳しま」の仮景とさせていただきます。

 さらに北十間川を東に進み、2つ目の橋が福神橋です。
 ここまで来ると、距離がだいぶ離れる為、通常の広角レンズで上下のスカイツリーを1枚の写真に収めることができるので、かなり撮りやすくなります。

 そして、福神橋付近は、名所江戸百景「第31景 吾嬬の森連理の梓」が描かれた場所です。

 吾嬬の森と呼ばれた森はすでに無く、住宅地へと変わりましたが、今でも吾嬬神社は福神橋の北東側(福神橋からスカイツリーを見て、右後方)に残っています。


 福神橋付近は桜が多いので、スカイツリーと桜の組み合わせの写真が撮りやすいです。


 さらに、福神橋の南側(福神橋からスカイツリーを見て、左側)には、スポーツの神様で有名な香取神社があります。


亀戸大根の碑がありました。江戸時代、亀戸の付近は江戸の町で消費される野菜の生産地でした。


 とりあえず、下の写真を「第31景 吾嬬の森連理の梓」に対応する仮景とさせていただきます。


 再び、福神橋からの景色に戻りますが、


 この写真の左側の道路にある左側(南側)の歩道を正面方向に歩いて行くと、梅屋敷跡の碑があります。
 名所江戸百景「第30景 亀戸梅屋舗」のあった所ですが、今は、梅の木が1本植えられているだけです。

 今一つ、写真にし難いので、ここから、左斜め前方向(南西方向)の道を進んでいくと、亀戸天神があります。
名所江戸百景「第58景 亀戸天神境内」で描かれた場所です。

ここは梅の名所としても有名ですので、
下の写真を、「第65景 亀戸梅屋舗」の仮置きとさせていただきます。

2012年に行った時は、すでに梅は終わりの頃となっていましたが、
太鼓橋やスカイツリーと並べて写真を撮ることができます。



 今日のプログはここまでにさせていただきます。ありがとうございました。

 くまドンはこの付近は自宅から比較的近いので、自転車で移動しました。地元の人以外は必ずしもそうはいきません。歩くことが好きな方は問題ありませんが、このプログを見ている人は、当然、インターネットを見ているのですから、その力を最大限利用しましょう。
 googleなどで「墨田区 レンタサイクル」と検索するとスカイツリー周辺のレンタサイクルを調べることができます。ただし、台数が少ないので、事前に確認しておいた方がよいでしょう。


くまドン旅日記 あいさつ

2013年03月18日 15時06分41秒 | 名所江戸百景
 はじめまして、「くまドン」と申します。
プログ初心者で、歴史については専門外、文章書くのは苦手といった問題山積状態で、間違いも多いと思いますが、宜しくお願いします。

 くまドンは写真と旅行が趣味で、国内のあちこちに旅行に行きます。2009年に百名城のスタンプラリーに参加して国内を周っています。昨年からは、「名所江戸百景」が描かれた場所も周り始めました。
 撮影開始から早1年を過ぎ、予定通り撮れたこともあれば、予定外の結果に終わったこともありました。
 プログの目標としては、各季節・イベントの前にプログを掲載して、場所紹介も兼ねて、「名所江戸百景」プログになるようにと思っていたのですが、のんびり撮影していたら、桜が例年より早く咲き始めしまい、慌ててプログ開始となりました。
 くまドンの「名所江戸百景」撮影も成功と失敗の連続ですので、気楽に読んでいただけるとありがたいです。

 なお、くまドンはごく普通の一般人ですが、「反中・反韓」ですので、中国・韓国・北朝鮮に関する人のプログへの訪問・書き込みは一切お断りとします。


下の絵は、名所江戸百景「第1景 日本橋雪晴」です。


 「名所江戸百景」が描かれた場所といっても、くまドンには当時の知識が全くありません。結果的に他の方が書かれたプログや資料を調べて、その場所に行き、撮影するしかありません。調べてみると、皆様よく調べて訪問されており、立派な資料となっています。大変参考になりましたが、くまドンは他の方と同じような立派な文章も書くことはできません。

 くまドンは、この問題を解決するために以下のように考えてみました。
(1)くまドンは、条件に束縛されず、写真を自由に撮りたかったので、他の方とは異なる江戸百景を目指します。
 「名所江戸百景」の現代版以後(「くまドン版」と表記します。)を作ってみよう考えました。

(2)「名所江戸百景」の一景に対して、「くまドン版」も一景を対応させます。数が多い方が良いので、二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も含めた119景分を撮影します。

(3)「名所江戸百景」が描かれたエリアで撮影することにします。日本橋・神田を中心として、東京東部に偏っていますが、近いエリアが多くて撮影するのに助かります。
(4)現在でも江戸時代と同じような写真が撮れる場所は、なるべくその景色を尊重します。ただし、季節・方向・表現方法等は、撮影の自由度を上げる為に、自由に変更できるものとします。
 時には、大幅な発想の飛躍も認めます
(5)逆に現代では痕跡も残っておらず、がっかりするような場所もあります。
 このような場所で無理して撮影しても、近隣の住民の迷惑になるだけですので、エリアの範囲内で大幅に場所を変更して、自由に使用できるものとします。

(6)江戸時代において、寺や神社はランドマーク的な役割もあり、「名所江戸百景」に描かれています。
 スカイツリーや東京タワー、橋などの建築物も現代のランドマークとして、「くまドン版」では積極的に取り込んでいきます。
(7)春夏秋冬に関しては、「名所江戸百景」では、各季節で20枚~40枚のばらつきがあります。
 「くまドン版」では、「名所江戸百景」の季節・時間帯にこだわらず、自由に選択できるものとします。
 ただし、119景全てが揃う時点で、各季節の総数の制限20枚~40枚は守るようにします。
(8)江戸百景で取り上げられている季節の風物・行事・祭りなどをなるべく多くとりあげるようにします。
 その他にも、なるべく各季節ごとの表現で、多様な題材を取り上げるようにします。
 桜に関しては、「名所江戸百景」でも20景近く 描かれている為、「くまドン版」でも20景までは可能にします。
 ここで、問題となるのは、春夏秋冬の季節が江戸時代の旧暦と現代の新暦が異なるということです。
 とりあえず、江戸時代が続く行事や祭りは旧暦に合わせ、それ以外は新暦に合わせるとしました。
 (この取り決めが、後ほど大きな混乱を発生させるのですが、後日プログにてお話します。)

(9)「名所江戸百景」で表現されている構図は、現代の写真撮影でも使用されていますので、積極的に使用します。
 ただし、構図を使用する場所は同じとは限りません。
(10)「名所江戸百景」には時事ニュースという側面がありました。
 2012年はスカイツリーの開業年ということもあり、積極的にスカイツリー等を入れた現代の画像を選んでいきたいと思います。

(11)「名所江戸百景」が118景もあるのは、江戸百景がベストセラーになり、続きの作品が求められた為でした。
 また、「名所江戸百景」が終了したのは、作者である広重がコレラで急死した為でした。
 逆に言えば、広重が元気でいれば、その続きが作られたことになります。
 「くまドン版」では途中で追加していくと、収まりがつかなくなる危険がある為、二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も含めた119景に対応する「くまドン版」の119景が揃うまでは、景の追加を禁止します。

(12)「くまドン版」では、その場所の紹介を含めて、撮影した10枚程度(ばらつきあり)の写真を表示して、その中から1景を選択するようにします。
 場所の確認の為、事前撮影した場合は、その景が決まるまでの仮景を選択しておきます。(仕事や天候の都合等により本撮影ができなかった場合のスペアとなります。)
 逆に、119景全体構成の制限や組み合わせを考慮して、一度決定した景を変更する場合もありとします

(13)撮影箇所が百を超える為、くまドンのような文章苦手で遅い人間が、撮影しながら、プログの文章作成を両立することは不可能と考えられる。
 解決法としては、2012年度は撮影に集中して行い、撮影の負担の軽くなった2013年からプログ作成を行う。
 結果として、2013年3月時点までに、「くまドン版」の目標119景に対して、100景以上撮影しました。
 さらに、今年の4月に完成させる予定でしたが、仕事の為、チャンスである日に撮影ができなかったこともあり、いくつかの景は来年にならないとチャンスが訪れないという状態となってしまいました。
 「くまドン版」全体の撮影完了は来年になりそうです。
 (経験者の立場で申しますと、数年かけて撮影を完了させた方が楽しく撮影できます。1年で完成させようとすると1月当たり10景のペースで撮影することになり、ノルマ達成の義務感で撮影している感じになり、楽しさが半減します。)

 次回より、「名所江戸百景」くまドン版の撮影奮闘記が始まります。


下の絵は、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」です。


名所江戸百景とは?
 「名所江戸百景」とは、江戸時代の浮世絵師歌川広重が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけて制作した連作であり、「東海道五十三次」と並ぶ広重の代表作です。広重の死の直前まで続けられたが、最終的には完成せず、二代目広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行されました。版元は魚屋栄吉です。目録1枚と、118枚の図絵から成ります。(二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」を含めると119枚となります)。
 何気ない江戸の風景を、近景と遠景の切り取りや、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを取り入れるなど当時としては斬新な構図が多く、現在の写真で望遠レンズや広角レンズの撮影方法を150年も前に実現しています。また、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれているそうです。結果として、当時のベストセラーとなり、どの絵も1万から1万5千部の後摺りを要したほどだそうです。
 江戸は安政2年(1854年)の安政の大地震で被害を受けており、名所江戸百景の絵の中には災害の影響を表現したり、復興を祈念した図案あがあると指摘もあります。また、同じ安政2年(1854年)には、アメリカのペリーが二度目の来航をして、日米和親条約を結んでいます。この時、ペリー来航に備えて急ピッチで品川台場が築かれ洋式砲台が設置されました。名所江戸百景の絵の中には、その当時の時代背景も刻まれています。
 浮世絵は19世紀の西洋の画家に「ジャポニスム」として多大な影響を与えましたが、名所江戸百景の「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」は、ゴッホが模写したことで有名です。

下の絵は名所江戸百景「第30景 亀戸梅屋敷」です。