くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

くまドン旅日記 あいさつ

2013年03月18日 15時06分41秒 | 名所江戸百景
 はじめまして、「くまドン」と申します。
プログ初心者で、歴史については専門外、文章書くのは苦手といった問題山積状態で、間違いも多いと思いますが、宜しくお願いします。

 くまドンは写真と旅行が趣味で、国内のあちこちに旅行に行きます。2009年に百名城のスタンプラリーに参加して国内を周っています。昨年からは、「名所江戸百景」が描かれた場所も周り始めました。
 撮影開始から早1年を過ぎ、予定通り撮れたこともあれば、予定外の結果に終わったこともありました。
 プログの目標としては、各季節・イベントの前にプログを掲載して、場所紹介も兼ねて、「名所江戸百景」プログになるようにと思っていたのですが、のんびり撮影していたら、桜が例年より早く咲き始めしまい、慌ててプログ開始となりました。
 くまドンの「名所江戸百景」撮影も成功と失敗の連続ですので、気楽に読んでいただけるとありがたいです。

 なお、くまドンはごく普通の一般人ですが、「反中・反韓」ですので、中国・韓国・北朝鮮に関する人のプログへの訪問・書き込みは一切お断りとします。


下の絵は、名所江戸百景「第1景 日本橋雪晴」です。


 「名所江戸百景」が描かれた場所といっても、くまドンには当時の知識が全くありません。結果的に他の方が書かれたプログや資料を調べて、その場所に行き、撮影するしかありません。調べてみると、皆様よく調べて訪問されており、立派な資料となっています。大変参考になりましたが、くまドンは他の方と同じような立派な文章も書くことはできません。

 くまドンは、この問題を解決するために以下のように考えてみました。
(1)くまドンは、条件に束縛されず、写真を自由に撮りたかったので、他の方とは異なる江戸百景を目指します。
 「名所江戸百景」の現代版以後(「くまドン版」と表記します。)を作ってみよう考えました。

(2)「名所江戸百景」の一景に対して、「くまドン版」も一景を対応させます。数が多い方が良いので、二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も含めた119景分を撮影します。

(3)「名所江戸百景」が描かれたエリアで撮影することにします。日本橋・神田を中心として、東京東部に偏っていますが、近いエリアが多くて撮影するのに助かります。
(4)現在でも江戸時代と同じような写真が撮れる場所は、なるべくその景色を尊重します。ただし、季節・方向・表現方法等は、撮影の自由度を上げる為に、自由に変更できるものとします。
 時には、大幅な発想の飛躍も認めます
(5)逆に現代では痕跡も残っておらず、がっかりするような場所もあります。
 このような場所で無理して撮影しても、近隣の住民の迷惑になるだけですので、エリアの範囲内で大幅に場所を変更して、自由に使用できるものとします。

(6)江戸時代において、寺や神社はランドマーク的な役割もあり、「名所江戸百景」に描かれています。
 スカイツリーや東京タワー、橋などの建築物も現代のランドマークとして、「くまドン版」では積極的に取り込んでいきます。
(7)春夏秋冬に関しては、「名所江戸百景」では、各季節で20枚~40枚のばらつきがあります。
 「くまドン版」では、「名所江戸百景」の季節・時間帯にこだわらず、自由に選択できるものとします。
 ただし、119景全てが揃う時点で、各季節の総数の制限20枚~40枚は守るようにします。
(8)江戸百景で取り上げられている季節の風物・行事・祭りなどをなるべく多くとりあげるようにします。
 その他にも、なるべく各季節ごとの表現で、多様な題材を取り上げるようにします。
 桜に関しては、「名所江戸百景」でも20景近く 描かれている為、「くまドン版」でも20景までは可能にします。
 ここで、問題となるのは、春夏秋冬の季節が江戸時代の旧暦と現代の新暦が異なるということです。
 とりあえず、江戸時代が続く行事や祭りは旧暦に合わせ、それ以外は新暦に合わせるとしました。
 (この取り決めが、後ほど大きな混乱を発生させるのですが、後日プログにてお話します。)

(9)「名所江戸百景」で表現されている構図は、現代の写真撮影でも使用されていますので、積極的に使用します。
 ただし、構図を使用する場所は同じとは限りません。
(10)「名所江戸百景」には時事ニュースという側面がありました。
 2012年はスカイツリーの開業年ということもあり、積極的にスカイツリー等を入れた現代の画像を選んでいきたいと思います。

(11)「名所江戸百景」が118景もあるのは、江戸百景がベストセラーになり、続きの作品が求められた為でした。
 また、「名所江戸百景」が終了したのは、作者である広重がコレラで急死した為でした。
 逆に言えば、広重が元気でいれば、その続きが作られたことになります。
 「くまドン版」では途中で追加していくと、収まりがつかなくなる危険がある為、二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も含めた119景に対応する「くまドン版」の119景が揃うまでは、景の追加を禁止します。

(12)「くまドン版」では、その場所の紹介を含めて、撮影した10枚程度(ばらつきあり)の写真を表示して、その中から1景を選択するようにします。
 場所の確認の為、事前撮影した場合は、その景が決まるまでの仮景を選択しておきます。(仕事や天候の都合等により本撮影ができなかった場合のスペアとなります。)
 逆に、119景全体構成の制限や組み合わせを考慮して、一度決定した景を変更する場合もありとします

(13)撮影箇所が百を超える為、くまドンのような文章苦手で遅い人間が、撮影しながら、プログの文章作成を両立することは不可能と考えられる。
 解決法としては、2012年度は撮影に集中して行い、撮影の負担の軽くなった2013年からプログ作成を行う。
 結果として、2013年3月時点までに、「くまドン版」の目標119景に対して、100景以上撮影しました。
 さらに、今年の4月に完成させる予定でしたが、仕事の為、チャンスである日に撮影ができなかったこともあり、いくつかの景は来年にならないとチャンスが訪れないという状態となってしまいました。
 「くまドン版」全体の撮影完了は来年になりそうです。
 (経験者の立場で申しますと、数年かけて撮影を完了させた方が楽しく撮影できます。1年で完成させようとすると1月当たり10景のペースで撮影することになり、ノルマ達成の義務感で撮影している感じになり、楽しさが半減します。)

 次回より、「名所江戸百景」くまドン版の撮影奮闘記が始まります。


下の絵は、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」です。


名所江戸百景とは?
 「名所江戸百景」とは、江戸時代の浮世絵師歌川広重が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけて制作した連作であり、「東海道五十三次」と並ぶ広重の代表作です。広重の死の直前まで続けられたが、最終的には完成せず、二代目広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行されました。版元は魚屋栄吉です。目録1枚と、118枚の図絵から成ります。(二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」を含めると119枚となります)。
 何気ない江戸の風景を、近景と遠景の切り取りや、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを取り入れるなど当時としては斬新な構図が多く、現在の写真で望遠レンズや広角レンズの撮影方法を150年も前に実現しています。また、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれているそうです。結果として、当時のベストセラーとなり、どの絵も1万から1万5千部の後摺りを要したほどだそうです。
 江戸は安政2年(1854年)の安政の大地震で被害を受けており、名所江戸百景の絵の中には災害の影響を表現したり、復興を祈念した図案あがあると指摘もあります。また、同じ安政2年(1854年)には、アメリカのペリーが二度目の来航をして、日米和親条約を結んでいます。この時、ペリー来航に備えて急ピッチで品川台場が築かれ洋式砲台が設置されました。名所江戸百景の絵の中には、その当時の時代背景も刻まれています。
 浮世絵は19世紀の西洋の画家に「ジャポニスム」として多大な影響を与えましたが、名所江戸百景の「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」は、ゴッホが模写したことで有名です。

下の絵は名所江戸百景「第30景 亀戸梅屋敷」です。