くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景007 第67景/第70景 旧中川の桜

2013年03月31日 09時00分00秒 | 名所江戸百景
 こんにちわ、くまドンです。
 今回の江戸百景は、「江戸百景001 スカイツリーの真下から」の続きになりますが、ここから先は、東京の人向けになるでしょう。
 北十間川(きたじゅっけんがわ)にある福神橋をさらに東に進んでいくと、最後に旧中川(きゅうなかがわ)に合流して終わります。福神橋からは距離がかなりありますので、自転車の移動の以外は別行程にした方が楽です。
 旧中川との合流地点までの区間は、川がコンクリート護岸で殺風景なので、あまり写真には向きません。もし、川沿いに進むなら、十間川の北側(スカイツリーを背にして川の左側)の道を移動した方が自動車の交通量が少なく、移動が楽です。
 北十間川と旧中川の合流部の少し手前に北十間川に架かる東武亀戸線の鉄橋があります。下の写真はすぐ近くにある人道橋から鉄橋を撮った写真ですが、普段はかなり地味な場所ですが、桜の季節だけは、この場所の風景は写真撮影向きの場所に変わります。

 東武亀戸線は曳舟駅(ひきふねえき)から亀戸駅(かめいどえき)までの短いローカル線とはいえ、10分程間隔ぐらいで電車が通りますので、電車を絡めて撮影することも可能です。桜の時期は、平凡な場所を撮影ポイントに変えてくれます。


 ここが、北十間川と旧中川の合流点です。ここからは、川幅が広くなります。江戸時代初期は、この旧中川が荒川と利根川の下流部になっており、川幅は非常に大きかったそうです。しかし、江戸時代に利根川が江戸川・利根川方向に付け替えされ、荒川が現在の隅田川に付け替えされて、中川は急に水量が減り、川幅が小さくなったそうです。

 左正面から真っ直ぐ手前に流れているのが、北十間川、右から手前に流れているのが旧中川です。奥のスカイツリーが見える所は墨田区、川の左は江東区、写真では見えていませんが右手前が江戸川区です。ここは3区の境界線が交わる所です。
 ここから先は南に進みます。左は江戸川区、右は江東区となります。スカイツリーを入れて撮るなら、左の江戸川区側を進んだ方がよいです。

 すぐそばに、緑色の江東新橋があります。先ほど写真にあった合流部は橋の左側の直下付近です。この辺は旧中川の流れの先にスカイツリーがあるので、橋とスカイツリーの写真を撮るのに向いています。

 旧中川沿いは散歩コースとして整備されているので、桜も所々に植えられています。下の写真は江戸川区側に咲いていた河津桜(早咲き)とJR総武線の鉄橋です。逆に川の左側には、江東区側に亀戸中央公園があり、桜(標準咲き)が植えられています。

 さらに旧中川沿いに南に進むと、青色の「ふれあい橋」があります。この先で川は右に緩やかに曲がりますが、この辺りまでは、旧中川の流れの方向にスカイツリーを見る事ができます。

 旧中川は昔は北から南に(写真の奥から手前に)流れていました。しかし、現在では洪水対策の為、周辺の水域から水門で水の流れを遮断して、水位を1m下げています。余分な水は、旧中川上流部の木下川水門の所でポンプで水を荒川に流しています。結果として、現在の川の流れは逆方向に下流部から上流部へ流れています。ただし、とてもゆっくりなので、ほとんど流れているようには見えませんが・・・・

 橋を二つ程過ぎると、首都高速が高く川を横切り、その直下に逆井橋(さかさいばし)があります。
 この場所が、名所江戸百景「第67景 逆井のわたし」のあった所です。

 逆井橋の少し先にある虹の大橋(人道橋)の江戸川区側堤防の上に逆井の渡しの説明板があります。
 白鷺の姿が印象的な絵ですが、昭和40年代頃は、この川はどぶ川で魚も住めない川となっていました。水質の改善が進んだため、今では再び白鷺が生息できる環境になっています。できれば、白鷺を入れた写真を「くまドン版」の景に加えたいものです。

 虹の大橋から少し江戸川区側の川沿いを歩くと、橋の地図が置かれてあります。ここからは、上流側と下流側を合わせて、11の橋(地下鉄や人道橋を含む)が見えます。
 
 江戸百景にあった「八つ見の橋」より多く橋を見る事ができます。この辺は大島小松川公園となっており、桜の木が多く植えられていますので、写真は撮りやすい所です。

 今日は白鷺の姿もありませんでしたので、とりあえず、この写真を「第67景 逆井のわたし」に対応する「くまドン版」の仮景とします。
 この辺りは、スカイツリーは川の対岸に見るようになります。
 川沿いを少し進むと、都営新宿線の東大島駅(ひがしおおじまえき)があります。この駅は川の上にあり、左側は江戸川区の出口、右側は江東区の出口となっています。


 中川大橋の江東区側には「江東区 中川船番所資料館」があります。


 この船番所を描いたのが、江戸百景「第70景 中川口」です。

 この絵は、西から東を俯瞰した構図です。絵の真ん中で左から右に流れているのが中川、手前から上に向かっているのが、小名木川で、中川との合流点から先は新川と名前を変えます。左手前にあるのが、船番所です。川は十文字に交差しているのですが、中川の合流点より左側(上流側)をカットして、3本の川に見せています。

 中川大橋を渡らず、江戸川区側を進むと小高い場所に上っていきます。ここは、大島小松川公園の風の広場です。この上から見た眺めが下の写真です。

 絵とは逆に東から西を俯瞰した構図になっています。手前を左右に流れているのが旧中川、合流点から左奥に流れているのが小名木川(こなきがわ)です。
 左の白い橋は番所橋と名がつけられ、当時の名前を残しています。(江戸時代に橋はありませんでした。)
 この付近は桜が無いので、「くまドン版」では別の時期を狙いたいと思います。

 2013年の話題として、この中川口に「スカイダック」の水陸両用バスが中川口の水面を周るというツアーができました。亀戸駅の近くの商業施設「梅屋敷」から出ています。(運航日はインターネット等で検索してください。)
  なお、合流部から手前に江戸時代は新川(しんかわ)が流れていたのですが、大正時代に荒川放水路の開削により、新川が江戸川区側に切り離され、残った部分も風の広場ができた時に水路も埋め立てれらました。
 風の広場には、以前あった旧中川と荒川放水路を行き来するのに使用されていた閘門(こうもん)が頭の部分だけ地面から出ています。(古い建築物の為、地震で倒壊する恐れがあって、そのまま残せなかったと聞いたことあるのですが真偽の程は不明です。)ただし、閘門本体は地盤沈下がひどくて、埋められるときには、使用不能になっていました。
 さらに、まっすぐ進むと旧中川と荒川放水路の現在の接続部に「荒川ロックゲート」(2005年完成)があります。たまに船が通ると、水位差の異なる河川間を通過する為に、水門が開閉するのが見ることができます。(パナマ運河の水門と同じ原理です。)

 旧中川は荒川放水路に分断されて、川筋はここまでとなります。次回は、中川口に描かれた小名木川に沿って西に向かいます。

【小名木川・中川船番所について】
 小名木川は、徳川家康が兵糧としての塩の確保の為、行徳からの船を安全に航行させる目的で造らせた人口の運河です。東京湾北部は河口にある為、砂州や浅瀬が多くて座礁し易かったようです。
 さて、運河ができると、塩以外の物資運搬や、成田参詣客も運ぶようになって物量が増大してきます。
 小名木川は江戸物流の河川として重要視され、最初は、小名木川の西端にある萬年橋(まんねんばし)に船番所を置きました。その後、小名木川の東端にある旧中川、新川の合流地点である中川口に船番所を移しました。
 やがて小名木川を中心に現在の江東区にある竪川や大横川、横十間川、仙台堀川など運河の整備が進み、江戸の重要な運河網となっていきます。


 日本プログ村に参加してみました。時間のある方はどれか「ポチ」と押してください。
にほんブログ村 歴史ブログ 江戸時代へ
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村