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水紀行003 今年の関東の水がめは? 菖蒲城の見頃は終わりでした。

2015-07-02 12:25:16 | 水紀行
こんにちわ、「くまドン」です。

 昨年まで2年連続で、関東の水がめの貯水量を見て、水不足かどうかの話をしていましたので、今年もやってみようかと思います。ついでに城がらみの写真も入れておきます。
 (どんどん「水紀行」の題名とは離れて行っているような・・・・・?)
 ただし、ブログが出るのが7月初旬で、作成したは6月末頃ですから、時間的に3日間のタイムラグがあります。
 考えようによっては、そうとう無謀な話です。
 なぜなら、昨年も話しましたが、ダムの貯水量は7月初めからの夏季の洪水調節容量に調節する為、6月から7月に変わると、貯水率が大幅にアップするからです。

 埼玉県・久喜市(くきし)にある菖蒲城(しょうぶじょう)の写真からです。
 前回の水紀行で載せた忍城(おしじょう)の帰りに寄った場所です。

 菖蒲城の始まりは、室町幕府の8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の康正年間(西暦1456年)にまで遡ります。古河公方(こがくぼう)の足利成氏(あしかがしげうじ)が、配下の金田式部則綱に命じて築城させたそうです。
 有名な応仁の乱(おうにんのらん)は西暦1467年~1477年ですから、戦国時代も始まっていない時代ですが、
 すでに関東地方では、鎌倉公方(かまくらくぼう、室町幕府の関東地方の長官)である足利氏と、その補佐役であった関東管領(かんとうかんれい)の上杉氏との争いが原因で、争乱状態となっていました。
 足利成氏の菖蒲城が造られた時代は、鎌倉公方 VS 関東管領&室町幕府 という構図になり、足利成氏が鎌倉府を放棄して、下総古河(しもうさこが、現在の茨城県・古河市)を本拠地に移して、古河公方(こがくぼう)と呼ばれた時代でした。

 城の完成日が5月5日の菖蒲の節句にであったために「菖蒲城」と命名されたらしいです。
 現在は、「菖蒲城趾あやめ園」になっていて、6月は花菖蒲が咲く名所なのですが、すでに見頃が終わっていて、所々に別の花が咲いているような状態でした。下の写真のユリも終わりかけていますが、一応入れておきます。


 時代が進み、室町幕府も滅び、安土桃山時代の時代になると、この菖蒲城は忍城の城主・成田氏長(なりたうじなが)の支城となってましたが、小説「のぼうの城」の話にあるように豊臣秀吉の小田原攻めで、成田氏長は小田原城に籠城し、小田原城が降参するまで、石田光成(いしだみつなり)は忍城を攻め落とせなかったという結果になり、成田氏と共に菖蒲城も廃城となりました。そして、これを機会に関東の戦乱は終息に向かいます。
 小田原征伐後の関東(関八州)は、徳川家康(とくがわいえやす)の領地になり、家臣の内藤正成(ないとうまさなり)が、この付近の5000石を加増されます。内藤正成は、弓矢の腕に優れ、徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)の一人に数えられる程の武勇にすぐれていました。

 内藤正成は、別の場所に栢間陣屋(かやまじんや、現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて、この地は幕末まで内籐家が治めることになります。

 現在の菖蒲城に残る遺構は、城の入口にある旗本内藤家栢間陣屋の裏門のみです。

 明治時代になると、陣屋は壊されましたが、裏門だけは、この土地の名主だった三須家に引き取られていたそうです。寄贈により、「菖蒲城趾あやめ園」に移築されたとのことでした。

 さて、今年の関東の水がめの話に戻ります。
(1)まず、今年・平成27年6月29日の各水系の貯水量データだけを見てみると、貯水率が少なく見えますが、平年比でみると、それほど問題が無いようです。

 水系名      有効容量  貯水量  貯水率  平年比
           (万m3)  (万m3)  (%)   (%)
利根川水系    46,163  30,990  67    95
 鬼怒川流域   18,821  13,680  86    142
 荒川水系     14,420   8,157  57    103
 多摩川水系   18,540  14,684  79    102
 相模川水系   22,118  21,138  96    102

(※)鬼怒川流域は、3年前の平成24年3月に湯西川ダム(ゆにしがわダム、有効貯水容量5,390万m3)が
 完成していますので、ダムが無かった時の貯水量を含む平年比に対して、現在の貯水量は大きくなっていて、
 100%を大幅に越える数字になっています。
 荒川水系は、今年からは、4年前の平成23年6月に滝沢ダム(たきざわダム、有効貯水容量5,800万m3)が
 完成後のデータだけで平年比を出すようにしたらしく、昨年のブログと異なり、100%に近い値になっています。

 菖蒲城跡に咲いていた花の写真も入れておきます。


(2)7月1日になると、各ダムの有効貯水容量(洪水期利水容量と言います)は、減少して以下のようになります。
 (貯水量のデータは6/29のデータを使用しています。)

 水系名      有効容量  貯水量  貯水率  平年比
           (万m3)  (万m3)  (%)   (%)
利根川水系    34,349  30,990  90     91
 鬼怒川流域    15,140  13,680   90     138
 荒川水系      8,000   8,157  102    102
 相模川水系    22,118  21,138  96    102
 (多摩川水系は夏季の有効容量が7月にならないと不明の為、未記入です。)



 ただし、今年は少し水不足か?と冷や冷やしてました。
 今年・平成27年は、5月中頃までは、平年以上の十分貯水量があったのですが、早くも5月に2回も台風が日本付近を通過して大雨になった為、ダム側が危険を感じて放水を開始したようです。
 逆に、その後は6月末まで、全く台風が日本付近に発生しなくなり、5月の降雨量は利根川水系では平年の38%、鬼怒川水系では48%と例年になく少雨となってしまいました。6月前半も梅雨になっても、梅雨前線は関東南部のみに雨を降らす為、利根川水系と鬼怒川水系の貯水量が、ドンドン減っていき、6月の中頃には平年の貯水量をはるかに下回り、今年は水不足か?と思うような速度で貯水量が減っていきました。
 6月後半から北関東の山でも雨が降り始め、6月の平年降水量は100%を超え、貯水量が上記データのように大分回復してきました。

 googleなどで、「利根川水系 貯水率」で検索すると、
(1)先頭の方に「利根川水系 河川 国土交通省 関東地方整備局」というホームページがあります。
  ここで、上記のデータとグラフを見ることが可能です。表示されている下の方に、他の水系の情報のホームページに、クリックしてジャンプする所があります。
(2)多摩川水系は、「・・・・東京都水道局」のホームページの方が分かりやすいかもしれません。

 平成26年と平成25年のブログは以下の通りです。
 「水紀行002 今年の関東の水がめは?」
 「水紀行001 水不足?」

 今回はこれでおわりとさせていただきます。

 前回も申し上げたように、「くまドン」は7月前半はブログを造る時間が無いので、来週も簡単に作成したブログになります。

 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。

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