こんにちわ、「くまドン」です。
前回までの深川に行った時に、ここは時間が無くて飛ばしたので、別の日になります。
下の絵は、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」です。
この絵は「くまドン」が好きな絵の一枚です。なによりも、はるか上空から見下ろす鷲(ワシ)の精密な絵が見事です。
そして、雪が積った葦原(あしはら)や木場(きば)の白さと、遠くに見える筑波山が夜空に浮かぶ姿が、単純化された線で見事に描かれています。
江戸時代では、鳥の目でしか捉えることができなかった、この情景を想像だけで描けたということに驚きます。
絵の下部の陸地が深川洲崎(ふかがわすさき)と呼ばれる場所です。
この深川洲崎には弁天様が祭られていて、潮干狩りができ、房総半島から芝浦までの東京湾全体を見渡せる江戸時代の観光名所となっていました。
何故か広重の絵には弁天が描かれておらず、白い雪が降り積った葦原と海岸線だけが描かれています。
前回の深川でもお見せしました江戸後期の地図を深川付近だけ拡大してみました。
左の上下に流れている川が「隅田川」、新大橋や永代橋も表記されています。
海岸線真ん中にあるやや出っ張った辺りが深川洲崎です。この辺です↑↑↑
北側(上)は木場のあった所です。現在の木場公園より大きく広がっています。その左は深川の町です。右の赤丸は、現在の江東区役所の位置です。
この深川洲崎は、現在の江東区東陽町(とうようちょう)1丁目付近にあったそうです。
下の写真は、現在の洲崎神社(弁天社)の写真です。厳島(いつくしま)神社の分霊を祭ってあるそうです。
当初、弁天社は江戸城内の紅葉山(西ノ丸)に置かれていましたが、5代綱吉(つなよし)の生母が崇拝していたことから、元禄時代に、現在の地に移されたそうです。
埋め立てが進んだとは言え、東京湾に出るまですぐ近くです。石柱に船宿の名前が刻まれています。
下の写真の右にも「名人竿忠之碑」という文字があり、釣り竿に関する碑で、海との関連を感じさせます。
これとは、別の雰囲気を感じさせる碑が左にあります。「津波警告の碑」です。
11代家斉(いえなり)頃の寛政3年(1791年)に、この付近一帯に台風による高潮(たかしお)が発生して、周辺の人家を襲い、多数の死者が発生する大災害が発生していました。
(江戸時代は高潮も「津浪」(つなみ)と書かれることがあるので、混乱します。)
これに対して、幕府は津浪に備えて、深川洲崎一帯の土地を買い上げ、人家の建築を禁止しました。
この名所江戸百景「深川州崎十万坪」の絵は怖く、恐ろしい絵でもあります。(汗)
ワシの視線の先に画面下部の海に浮かんでいるのは、江戸時代の棺桶(かんおけ)ではないかと話もあり、怪談(かいだん)の舞台にもなるような寂しい所でもあったのです。
(これを考えると絵を楽しめないので、考えないようにしていますが・・・・)
さらに、広重が名所江戸百景を描き始める安政3年(1856年)の2年前に、安政東海地震(あんせいとうかいじしん、1854年12月)がありました。
この時も、古文書には東京湾でも「三四尺水位上り」(約1m~1.2m程度の海面上昇(津波))があったそうです。
当然、深川洲崎付近にも海水が浸入してきたのでしょう・・・・・・・・?
その意味では、広重を含め、江戸の人達にとり、この津波の碑は他人ごとでは無かったのでしょう。
しかし、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」では、明るく、楽しく行きたいと思います。
現代において、「深川州崎十万坪」と同じように大空から見下ろせる場所は無いかと探しました。
この写真は、江戸川区の都営新宿線 船堀(ふなぼり)駅前にあるタワーホール船堀の展望台から見た風景です。
北西方向を望んだ景色です。左にスカイツリーが見えます。正面を流れるのが、荒川放水路(左)と中川放水路(右)です。
二つの放水路の間には、首都高速の中央環状線が走っています。荒川を横切る手前の橋は、首都高速7号線の荒川大橋です。その奥に、小松川橋、JR総武線(そうぶせん)、平井大橋と続きます。
ここの夜景はとてもきれいです。(絵画調)
目を南西に移すと、春先ですので、透明度が低くはっきりしませんが、富士山と東京タワーが見えています。同時に「深川州崎十万坪」のあった深川方面を望んでいます。
秋から冬にかけてと違い、春には富士山は余り見えません。しかし、雨で大気のゴミが流され、翌日に晴れた空が広がった日に、高い所に上ると、午前中に富士山が見える時があります。GWの晴れた日に高い所に登るのも良いかもしれません。風で富士山だけ雲がかかる場合があるので、あくまで、その時の運次第ですが・・・・・・・・・
考えてみれば、広重の名所江戸百景では、富士山は多く描かれていますが、「くまドン版」ではこれが初登場でした。
富士山が分かり難いので、絵画調も入れておきます。
さらに、南に目を転じると、荒川の河口や東京湾が見えます。
カメラを望遠にして、右側の鉄塔付近をズームすると、こちらは、江東区の東京ゲートブリッジ(恐竜橋、2012年完成)です。近くにある風力発電の風車もあります。
その先は、現在の東京都のごみ処分場(埋め立て地)です。2016年には「海の森公園」の一部が開園予定です。
左側をズームすると、江戸川区の葛西臨海公園の大観覧車と、東京湾に浮かぶ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の風の塔(川崎人工島)が見えます。
さらに東に目を向けると、画面奥に東京湾が見え、房総半島が見えます。
逆光なので、分かり難いのですが、千葉県浦安市(うらやすし)にある東京ディズニーランドの施設と、海の向こうに房総半島が見えます。
北方面は筑波山が見えるのですが、春の透明度では、はっきりしないので今回は割愛させていただきます。
【タワーホール船堀】
平成11年(1999年)に完成した江戸川区の施設。高さ115mの展望室がある。
周辺に高い建物が無い為、360°のパノラマが楽しめる。夜景では、かなり有名なスポットです。
撮影する時の問題点は、三脚の使用不可と、夜間でも室内がかなり明るい為、ガラスの反射除去に苦労すること。
展望エレベーター運行時間:9:00~21:30(天候により運行停止する場合もあり)
(変更等がありますので、運行情報の詳細は、インターネットなどにおいて、事前確認お願いします。)
同時に他の東京23区の展望施設同様に、色々な意味で話のネタになっている施設です。
この場所で、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」に対応する「くまドン版」の景を撮ってみたいと思っています。できれば、広重のように高所からの見下ろしの雰囲気がある写真にしたいと思っています。さすがに、広重の絵の様に飛んでいるワシを入れるのは無理でしょうが・・・・・・(笑)
広重を始めとする江戸時代の風景画では、俯瞰(上から下への見下ろし)は基本的な構図でした。
名所江戸百景の現代版である「くまドン版」でも、このような高所からの撮影を積極的に取り入れていきます。
今回はこれで終了です。ありがとうございました。
次回は、また、別の場所になります。
日本プログ村に参加してみました。時間があれば、どれか一つ「ポチッ」と押してください。
にほんブログ村
前回までの深川に行った時に、ここは時間が無くて飛ばしたので、別の日になります。
下の絵は、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」です。
この絵は「くまドン」が好きな絵の一枚です。なによりも、はるか上空から見下ろす鷲(ワシ)の精密な絵が見事です。
そして、雪が積った葦原(あしはら)や木場(きば)の白さと、遠くに見える筑波山が夜空に浮かぶ姿が、単純化された線で見事に描かれています。
江戸時代では、鳥の目でしか捉えることができなかった、この情景を想像だけで描けたということに驚きます。
絵の下部の陸地が深川洲崎(ふかがわすさき)と呼ばれる場所です。
この深川洲崎には弁天様が祭られていて、潮干狩りができ、房総半島から芝浦までの東京湾全体を見渡せる江戸時代の観光名所となっていました。
何故か広重の絵には弁天が描かれておらず、白い雪が降り積った葦原と海岸線だけが描かれています。
前回の深川でもお見せしました江戸後期の地図を深川付近だけ拡大してみました。
左の上下に流れている川が「隅田川」、新大橋や永代橋も表記されています。
海岸線真ん中にあるやや出っ張った辺りが深川洲崎です。この辺です↑↑↑
北側(上)は木場のあった所です。現在の木場公園より大きく広がっています。その左は深川の町です。右の赤丸は、現在の江東区役所の位置です。
この深川洲崎は、現在の江東区東陽町(とうようちょう)1丁目付近にあったそうです。
下の写真は、現在の洲崎神社(弁天社)の写真です。厳島(いつくしま)神社の分霊を祭ってあるそうです。
当初、弁天社は江戸城内の紅葉山(西ノ丸)に置かれていましたが、5代綱吉(つなよし)の生母が崇拝していたことから、元禄時代に、現在の地に移されたそうです。
埋め立てが進んだとは言え、東京湾に出るまですぐ近くです。石柱に船宿の名前が刻まれています。
下の写真の右にも「名人竿忠之碑」という文字があり、釣り竿に関する碑で、海との関連を感じさせます。
これとは、別の雰囲気を感じさせる碑が左にあります。「津波警告の碑」です。
11代家斉(いえなり)頃の寛政3年(1791年)に、この付近一帯に台風による高潮(たかしお)が発生して、周辺の人家を襲い、多数の死者が発生する大災害が発生していました。
(江戸時代は高潮も「津浪」(つなみ)と書かれることがあるので、混乱します。)
これに対して、幕府は津浪に備えて、深川洲崎一帯の土地を買い上げ、人家の建築を禁止しました。
この名所江戸百景「深川州崎十万坪」の絵は怖く、恐ろしい絵でもあります。(汗)
ワシの視線の先に画面下部の海に浮かんでいるのは、江戸時代の棺桶(かんおけ)ではないかと話もあり、怪談(かいだん)の舞台にもなるような寂しい所でもあったのです。
(これを考えると絵を楽しめないので、考えないようにしていますが・・・・)
さらに、広重が名所江戸百景を描き始める安政3年(1856年)の2年前に、安政東海地震(あんせいとうかいじしん、1854年12月)がありました。
この時も、古文書には東京湾でも「三四尺水位上り」(約1m~1.2m程度の海面上昇(津波))があったそうです。
当然、深川洲崎付近にも海水が浸入してきたのでしょう・・・・・・・・?
その意味では、広重を含め、江戸の人達にとり、この津波の碑は他人ごとでは無かったのでしょう。
しかし、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」では、明るく、楽しく行きたいと思います。
現代において、「深川州崎十万坪」と同じように大空から見下ろせる場所は無いかと探しました。
この写真は、江戸川区の都営新宿線 船堀(ふなぼり)駅前にあるタワーホール船堀の展望台から見た風景です。
北西方向を望んだ景色です。左にスカイツリーが見えます。正面を流れるのが、荒川放水路(左)と中川放水路(右)です。
二つの放水路の間には、首都高速の中央環状線が走っています。荒川を横切る手前の橋は、首都高速7号線の荒川大橋です。その奥に、小松川橋、JR総武線(そうぶせん)、平井大橋と続きます。
ここの夜景はとてもきれいです。(絵画調)
目を南西に移すと、春先ですので、透明度が低くはっきりしませんが、富士山と東京タワーが見えています。同時に「深川州崎十万坪」のあった深川方面を望んでいます。
秋から冬にかけてと違い、春には富士山は余り見えません。しかし、雨で大気のゴミが流され、翌日に晴れた空が広がった日に、高い所に上ると、午前中に富士山が見える時があります。GWの晴れた日に高い所に登るのも良いかもしれません。風で富士山だけ雲がかかる場合があるので、あくまで、その時の運次第ですが・・・・・・・・・
考えてみれば、広重の名所江戸百景では、富士山は多く描かれていますが、「くまドン版」ではこれが初登場でした。
富士山が分かり難いので、絵画調も入れておきます。
さらに、南に目を転じると、荒川の河口や東京湾が見えます。
カメラを望遠にして、右側の鉄塔付近をズームすると、こちらは、江東区の東京ゲートブリッジ(恐竜橋、2012年完成)です。近くにある風力発電の風車もあります。
その先は、現在の東京都のごみ処分場(埋め立て地)です。2016年には「海の森公園」の一部が開園予定です。
左側をズームすると、江戸川区の葛西臨海公園の大観覧車と、東京湾に浮かぶ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の風の塔(川崎人工島)が見えます。
さらに東に目を向けると、画面奥に東京湾が見え、房総半島が見えます。
逆光なので、分かり難いのですが、千葉県浦安市(うらやすし)にある東京ディズニーランドの施設と、海の向こうに房総半島が見えます。
北方面は筑波山が見えるのですが、春の透明度では、はっきりしないので今回は割愛させていただきます。
【タワーホール船堀】
平成11年(1999年)に完成した江戸川区の施設。高さ115mの展望室がある。
周辺に高い建物が無い為、360°のパノラマが楽しめる。夜景では、かなり有名なスポットです。
撮影する時の問題点は、三脚の使用不可と、夜間でも室内がかなり明るい為、ガラスの反射除去に苦労すること。
展望エレベーター運行時間:9:00~21:30(天候により運行停止する場合もあり)
(変更等がありますので、運行情報の詳細は、インターネットなどにおいて、事前確認お願いします。)
同時に他の東京23区の展望施設同様に、色々な意味で話のネタになっている施設です。
この場所で、名所江戸百景「第107景 深川州崎十万坪」に対応する「くまドン版」の景を撮ってみたいと思っています。できれば、広重のように高所からの見下ろしの雰囲気がある写真にしたいと思っています。さすがに、広重の絵の様に飛んでいるワシを入れるのは無理でしょうが・・・・・・(笑)
広重を始めとする江戸時代の風景画では、俯瞰(上から下への見下ろし)は基本的な構図でした。
名所江戸百景の現代版である「くまドン版」でも、このような高所からの撮影を積極的に取り入れていきます。
今回はこれで終了です。ありがとうございました。
次回は、また、別の場所になります。
日本プログ村に参加してみました。時間があれば、どれか一つ「ポチッ」と押してください。
にほんブログ村