こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、神田明神についてです。
まず、神田明神といえば、最も有名なのは、江戸三大祭りの一つ神田祭です。
今年は2013年5月9日~15日に、4年ぶりに本祭が行われる予定です。
神田明神の詳細は、プログ後方にまとめました。
下の絵は、名所江戸百景「第10景 神田明神曙之景」です。
この絵は神田明神の神官が朝の東の空を眺めている情景です。空の下の方が赤みを帯びて、曙(あけぼの)、つまり、夜明け前なのが分かります。
絵では手前の真ん中に木があり、左右を二分割しています。現在の写真撮影の構図では、意識的に左右どちらかにずらして、わざと左右のバランスを崩すことが多いので、ど真ん中に置く構図あまり見られない構図です。
しかし、名所江戸百景ではいくつかの景で、木を真ん中に置く構図を見る事ができます。江戸時代は、この構図が流行していたのでしょうか?
桜が咲いた時に夜中に神田明神に行った写真です。桜はライトアップされています。
絵画調
上の写真はカメラについている絵画調変換フィルターを使用したものです。
今回は少し構成を変えてみる試みをしました。
今まで、写真とカメラで絵画調に変換したものを比較用に並べてみましたが、今回はどちらか片方だけを出して、プログを軽くしてみました。絵画調に変換したものは「絵画調」と書いておきます。
境内に入ると、正面に本社がありました。
2枚とも絵画調
神田明神と夜桜の組み合わせです。
横を見ると、なんと!宴会をやっています。神社の境内で宴会できるのでしょうか?でも、楽しそう。
この神社の裏にも公園があるのですが、ここも宴会で満員でした。この時期はこれが定番ですね。
宴会している所の隣に、狛犬がありましたので、邪魔にならないように撮らせていただきました。
しかし、翌朝もう一度、神田明神に行ってみました。 神田明神は本郷台地と呼ばれる台地の東側に位置しており、東側は崖のようになっています。江戸時代と異なり、高い建物が建つようになったため、遠方は見えませんが、今でも神田明神の東側にいくと、台地の端に建っている事が分かります。スカイツリーも写真の右端に見えています。
昨夜、宴会していた所には、ゴミ一つ落ちていませんでした。おそらく、神社の方と迷惑をかけないという約束で宴会しているのでしょうね。境内は広々としていまいた。
絵画調
神田明神の第1番目の祭神は大黒様です。
本社の右に昨晩は気がつかなかった像がありました。獅子山再建との碑があります。親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を表しています。昔、「巨人の星」というマンガで、親父の星一徹がこの話を使っていたような記憶が残っているのですが・・・・。今一つ記憶があいまいです。
絵画調
幕末に作られ、関東大震災で壊れたのを再建したそうです。
珍しいのと構図が決まっているので、後方に桜と神田明神の屋根を入れて構図を作りました。広角28mmでこれでぎりぎりです。
この写真を名所江戸百景「第10景 神田明神曙之景」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作るのが第一目標です。)
神田明神に行くには、JR御茶ノ水駅を降りて聖橋(ひじりばし)を渡っていきます。この橋から東側を見た景色が下の写真です。目の前に神田川があり、手前に営団丸の内線の橋があり、次に右の御茶ノ水駅から伸びているJR総武線の橋があります。そのすぐ下にある一番奥の橋が昌平橋です。左に壁がありますが、これが湯島聖堂の壁です。
絵画調
こちらが湯島聖堂だけの写真です。
下の絵は江戸百景「第47景 昌平橋聖堂神田川」です。
写真とは逆方向で、奥の昌平橋から聖橋方向を眺めている図になっています。右側には今の湯島聖堂の壁と同じような壁が描かれています。桜の写真ばかりでは、百景になりませんので、とりあえず、上の写真を「くまドン版」の仮景として、別の時期に百景に入れる写真を狙ってみます。
【神田明神について】
・神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108もの町の総氏神様です。
沢山の町内が氏子の為、各町の摂末社が本社の裏手にずらっと並んでいます。
・神田神社で行われる神田祭は天下祭(てんかまつり)と言われ、
江戸時代は9月に行われていました。
日枝神社の山王祭と並び、江戸時代に徳川将軍が見物する為、
祭りの山車(だし)が、江戸城内に入ることを許された祭りです。
一年おきに、神田祭と山王祭が交互に江戸城に入ります。
現在では、あまりに盛大の為、費用がかかり過ぎ、2年に一度だけ本祭が行われます。
間の年の陰祭は地味に祭りをやって、余った分の本祭用にお金を貯めるそうです。
今年、2013年5月9日~15日に、4年ぶりに本祭が行われる予定です。
2年前の本祭の2011年は東関東大震災の為、慰霊を込めて自粛で中止となりました。
・神田神社の神様は、神社の説明板に
一ノ宮 大己貴命(オオナムチノミコト、大黒様)
二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、恵比寿様)、
三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、平将門様)
と書かれています。
・平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれています。
・江戸城の鬼門(北東)に当たる位置に配置されたとあります。
「名所江戸百景003・・・」で寛永寺(かんえいじ)が鬼門に置かれたと
書きましたが、江戸城に鬼門には諸説あり、
浅草寺(せんそうじ)にも鬼門説があります。
もっとも、神田から上野・入谷・浅草にかけて寺社が一杯ありますから、
これ全てが鬼門封じなのではと「くまドン」が感じますが、なにが正しいのでしょうか?
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今回は、神田明神についてです。
まず、神田明神といえば、最も有名なのは、江戸三大祭りの一つ神田祭です。
今年は2013年5月9日~15日に、4年ぶりに本祭が行われる予定です。
神田明神の詳細は、プログ後方にまとめました。
下の絵は、名所江戸百景「第10景 神田明神曙之景」です。
この絵は神田明神の神官が朝の東の空を眺めている情景です。空の下の方が赤みを帯びて、曙(あけぼの)、つまり、夜明け前なのが分かります。
絵では手前の真ん中に木があり、左右を二分割しています。現在の写真撮影の構図では、意識的に左右どちらかにずらして、わざと左右のバランスを崩すことが多いので、ど真ん中に置く構図あまり見られない構図です。
しかし、名所江戸百景ではいくつかの景で、木を真ん中に置く構図を見る事ができます。江戸時代は、この構図が流行していたのでしょうか?
桜が咲いた時に夜中に神田明神に行った写真です。桜はライトアップされています。
絵画調
上の写真はカメラについている絵画調変換フィルターを使用したものです。
今回は少し構成を変えてみる試みをしました。
今まで、写真とカメラで絵画調に変換したものを比較用に並べてみましたが、今回はどちらか片方だけを出して、プログを軽くしてみました。絵画調に変換したものは「絵画調」と書いておきます。
境内に入ると、正面に本社がありました。
2枚とも絵画調
神田明神と夜桜の組み合わせです。
横を見ると、なんと!宴会をやっています。神社の境内で宴会できるのでしょうか?でも、楽しそう。
この神社の裏にも公園があるのですが、ここも宴会で満員でした。この時期はこれが定番ですね。
宴会している所の隣に、狛犬がありましたので、邪魔にならないように撮らせていただきました。
しかし、翌朝もう一度、神田明神に行ってみました。 神田明神は本郷台地と呼ばれる台地の東側に位置しており、東側は崖のようになっています。江戸時代と異なり、高い建物が建つようになったため、遠方は見えませんが、今でも神田明神の東側にいくと、台地の端に建っている事が分かります。スカイツリーも写真の右端に見えています。
昨夜、宴会していた所には、ゴミ一つ落ちていませんでした。おそらく、神社の方と迷惑をかけないという約束で宴会しているのでしょうね。境内は広々としていまいた。
絵画調
神田明神の第1番目の祭神は大黒様です。
本社の右に昨晩は気がつかなかった像がありました。獅子山再建との碑があります。親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を表しています。昔、「巨人の星」というマンガで、親父の星一徹がこの話を使っていたような記憶が残っているのですが・・・・。今一つ記憶があいまいです。
絵画調
幕末に作られ、関東大震災で壊れたのを再建したそうです。
珍しいのと構図が決まっているので、後方に桜と神田明神の屋根を入れて構図を作りました。広角28mmでこれでぎりぎりです。
この写真を名所江戸百景「第10景 神田明神曙之景」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
(このプログは、名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作るのが第一目標です。)
神田明神に行くには、JR御茶ノ水駅を降りて聖橋(ひじりばし)を渡っていきます。この橋から東側を見た景色が下の写真です。目の前に神田川があり、手前に営団丸の内線の橋があり、次に右の御茶ノ水駅から伸びているJR総武線の橋があります。そのすぐ下にある一番奥の橋が昌平橋です。左に壁がありますが、これが湯島聖堂の壁です。
絵画調
こちらが湯島聖堂だけの写真です。
下の絵は江戸百景「第47景 昌平橋聖堂神田川」です。
写真とは逆方向で、奥の昌平橋から聖橋方向を眺めている図になっています。右側には今の湯島聖堂の壁と同じような壁が描かれています。桜の写真ばかりでは、百景になりませんので、とりあえず、上の写真を「くまドン版」の仮景として、別の時期に百景に入れる写真を狙ってみます。
【神田明神について】
・神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108もの町の総氏神様です。
沢山の町内が氏子の為、各町の摂末社が本社の裏手にずらっと並んでいます。
・神田神社で行われる神田祭は天下祭(てんかまつり)と言われ、
江戸時代は9月に行われていました。
日枝神社の山王祭と並び、江戸時代に徳川将軍が見物する為、
祭りの山車(だし)が、江戸城内に入ることを許された祭りです。
一年おきに、神田祭と山王祭が交互に江戸城に入ります。
現在では、あまりに盛大の為、費用がかかり過ぎ、2年に一度だけ本祭が行われます。
間の年の陰祭は地味に祭りをやって、余った分の本祭用にお金を貯めるそうです。
今年、2013年5月9日~15日に、4年ぶりに本祭が行われる予定です。
2年前の本祭の2011年は東関東大震災の為、慰霊を込めて自粛で中止となりました。
・神田神社の神様は、神社の説明板に
一ノ宮 大己貴命(オオナムチノミコト、大黒様)
二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、恵比寿様)、
三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、平将門様)
と書かれています。
・平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれています。
・江戸城の鬼門(北東)に当たる位置に配置されたとあります。
「名所江戸百景003・・・」で寛永寺(かんえいじ)が鬼門に置かれたと
書きましたが、江戸城に鬼門には諸説あり、
浅草寺(せんそうじ)にも鬼門説があります。
もっとも、神田から上野・入谷・浅草にかけて寺社が一杯ありますから、
これ全てが鬼門封じなのではと「くまドン」が感じますが、なにが正しいのでしょうか?
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