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名所江戸百景168 第27景 蒲田の梅園 蒲田の梅屋敷

2014-03-12 12:25:27 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大田区の聖跡蒲田梅屋敷公園(せいせきかまたうめやしきこうえん)の梅の景色からです。
 この公園は、江戸時代に蒲田の梅屋敷(うめやしき)と呼ばれた梅の名所でした。現在も、近くの京浜急行に「梅屋敷駅」と「京急蒲田駅」という駅があります。

 今回の写真は昨年・平成25年2月末に撮影した写真ですので、今年の大雪被害で枝が無くなっていないかが心配ですが・・・・

 広重の生きていた江戸時代の江戸の梅の名所としては、亀戸(かめいど)の「臥龍梅」が絶品として評価されていて、人気のトップでした。つづいて、蒲田の「梅屋敷」が徳川将軍や文人が訪れたことで有名になっています。広重の名所江戸百景では、この2カ所が「名所江戸百景」の梅の景として描かれています。

 亀戸の「臥龍梅」の方は、「名所江戸百景164 第30景 亀戸梅屋舗 亀戸天神梅 まつり」でお話ししたように、洪水と時代の変化により石碑を残すのみとなりましたが、こちらの蒲田梅屋敷の方は、現在も公園として、その姿を残しています。
 もう一つ、亀戸の臥龍梅に対して、「新梅屋敷」と呼ばれた「向島(むこうじま)の百花園」がありますが、こちらは、
 「名所江戸百景088 第92景 木母寺内川御前栽畑 向島百花園の月見」の方でお話ししました。

 梅屋敷は、11代・家斉(いえなり)の文政年間に、薬屋を営んでいた山本久三郎が、和中散(道中の常備薬)の売薬所の敷地3000坪に梅の木数百本と花木を植え、東海道の両側に面した休み茶屋を作ったことに始まります。
 ここで、1坪は約3.3平方mですから、3000坪は、約1万平方m(=100m四方と同じの面積)となります。

 下の絵は名所江戸百景「第27景 蒲田の梅園」(春景)です。

 絵には、広重の名所江戸百景の特徴である近景構図として、右手前に駕籠(かご)の一部が描かれています。
 蒲田の梅屋敷は、12代将軍・家慶(いえよし)や14代・家茂(いえもち)は、ここを休憩の場に使用しされたりして、有名でしたから、梅見に訪れた人が待たせている駕籠を表現したものだといわれています。
 東海道に面した梅園だったことが、この梅屋敷を有名にした要因だったようです。
 広重の絵には蒲田の梅園の様子が描かれています。左隅に池がありますが、現在の梅屋敷公園にも池の跡らしき場所があります。また、絵の真ん中の梅の木の右横には、石碑が見えますが、園内には「麦住亭梅久」と号した山本久蔵の句を刻んだ石碑が現存します。

 一応、梅の木と池の跡を入れて構図を作りました。石碑は公園の隅にありますし、前置きの物なかったので、

 この写真を、広重の名所江戸百景「第27景 蒲田の梅園」に対応する「くまドン板」の景(確定・春景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 広重が亡くなった後ですが、幕末においては、高杉晋作(たかすぎしんさく)や久坂玄瑞(くさかげんずい)などの攘夷志士が集会の場所にもなりました。
 13代・家茂(いえもち)の文久年間には、土佐藩(現在の高知県)の武市半平太(たけちはんぺいた)が、外国公使の襲撃を企てた高杉晋作らを止めようとします。
 若くて、血気盛んな彼らを止める為に、彼らを梅屋敷に集めて、長州藩の14代藩主である毛利定広(もうりさだひろ、江戸時代最後の長州藩主)に説得してもらう一幕もありました。
 この時は襲撃は中止になりましたが、結局、同年12月に高杉晋作らの志士は、品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行っています。

 下の写真は、蒲田公園にあった里程標(りていひょう、江戸時代の道路標識)です。江戸時代は、梅屋敷山本家の門の横にあったそうです。「距日本橋三里八丁 蒲田村 山本屋」の文字が見えます。

 木戸孝允(きど たかよし)と伊藤博文(いとうひろぶみ)が梅屋敷で新年会を開いた時に描かれた絵を元に復元されたものです。
 ここで、木戸孝允は、維新の三傑(いしんのさんけつ)の一人として有名な桂小五郎(かつらこごろう)、
 伊藤博文は、初代・内閣総理大臣です。
 明治時代には、明治天皇が気に入り、9回も訪れたと記録されています。
 大正時代になると、京浜電気鉄道(現在の京浜急行)の用地になり、第一京浜国道(江戸時代の東海道)の拡幅工事により、縮小と荒廃が進んでいきます。
 昭和8年になると、「明治天皇御聖跡地」として保存指定を受け、昭和13年に東京市管理となり、翌年昭和14年の明治天皇行幸記念の日に聖跡蒲田梅屋敷公園として開園となりました。昭和28年からは大田区に管理が移されています。
 現在は、京浜急行立体工事のため、公園が一部が閉鎖されていますが、工事終了後に復元するとの話にはなっているようです。下の写真の後方に工事中の壁が見えています。

 これとは別に、第一京浜道路の拡幅事業が都市計画で決定していて、公園の半分ほどの土地が拡幅予定地に含まれており、今後の拡幅工事により土地が削られる予定とのことでした。

 明治の洪水で消えていった亀戸の臥龍梅、同じく水害で消滅の危機になりながら今も残る向島百花園、
 そして、東海道に面した場所にあった為に有名になり、東海道に面しているが故に敷地が削られ縮小してきた梅屋敷と、明治からの歴史の流れの中で、それぞれの姿を見せています。

 現代におけるこの付近の梅の名所は、池上本門寺(いけがみほんもんじ)の近くにある池上梅園です。
 どちらかと言えば、聖跡蒲田梅屋敷公園は地元の人向けの公園ですが、今も、江戸時代の名残りを残す場所として、蒲田梅屋敷公園を「くまドン版」に加えてみました。

 池上梅園 (開園9:00~16:30、2月と3月は無休、入園料:大人100円・小人20円)

 以前の梅まつりのブログは、
 「名所江戸百景164 第30景 亀戸梅屋舗 亀戸天神梅 まつり」
 向島百花園のブログは、
 「名所江戸百景088 第92景 木母寺内川御前栽畑 向島百花園の月見」
 下の写真は、一昨年・平成24年に撮影した向島百花園の3月の景色です。

 梅の花が満開ですが、次は、早咲きの河津桜の季節ですね。


 今回は、これで終了とさせていただきます。
 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
 花粉症がひどいので、この時期は外に出るのが難しくなります。昨年も梅の撮影終は桜が咲くまでの休みの日は外出なしでした。昨年、間に合わなかった桜の景が10景程ありますが、桜が咲き始めるまでは、1・2月分の残分がかなりありますので、残分のブログを作る予定です。

 次回は、別の景の予定です。

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