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名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭

2014-08-26 12:25:42 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、江東区の亀戸天神(かめいどてんじん)の例大祭(れいたいさい)です。今年・平成26年は4年に一度の本祭りで撮影に行きました。撮影したのは8月23日の御鳳輦渡御祭(ごほうれんとぎょさい)と24日の氏子神輿連合宮入です。
 以前も話しましたように、ちょうどこの時、使用しているパソコンとインターネットの環境を変更していましたので、撮影した写真データもカメラに入れたままで、パソコンにも落とせず、9月以降も忙しかったり、体調崩したりで、10月になってから、やっと写真をパソコンに取り込んでいる有様でした。
 やっと、写真データの整理や絵画調への返還が終わりましたので、2カ月以上遅れとなりましたが、亀戸天神の御鳳輦渡御祭を2回分のブログを作ってみました。

 下の写真は、亀戸天神の社殿です。

 亀戸天神「御鳳輦渡御祭」は、他の神社では「神幸祭(しんこうさい、じんこうさい)」と呼ばれています。
 天神様が御鳳輦(ごほうれん)と呼ばれる神様の乗り物に乗って氏子(うじこ、神社の神様を信仰する人)町内を巡り、町の平安を祈る儀式です。

 亀戸天神に到着した時には、すでに行列は出発していましたが、巡幸ルートの書いてあるパンフレットをいただき、後を追います。「くまどん」の家からは近いので、自転車で移動ですから、墨田区の緑3丁目付近で追いつきました。
 下の写真が行列の先頭ですが、旗には「亀戸天満宮」と「東宮府」の文字と梅の社紋(神社の紋所)があります。
 各町内の氏子さん達が、後に続きます。亀戸天神では木遣(きやり)が先頭を務めます。
(絵画調)

【天神様と梅】
 天神様といえば、菅原道眞(すがわらのみちざね)であり、現代では学問の神様として知られています。
 平安時代に宇多天皇(うだてんのう)に重用されて寛平の治を支えた菅原道眞ですが、宇多天皇の死後は九州の太宰府(だざいふ)に左遷(させん)されてしまいます。
 京の都を去る時に、屋敷内にあった梅・桜・松の木との別れを惜しみました。この時、梅の木について詠んだのが下の歌です。
 「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主(あるじ)なしとて 春な忘るな」
  現代語訳:主人(私)がいなくなっても、春が来るたび忘れること無く、梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ
 天神様の飛梅(とびうめ)伝説においては、道真を慕う庭木たちのうち梅だけが太宰府に飛んで行くことができたと伝わり、日本の天神様を祭る神社では梅が社紋となっています。(神社ごとに形は異なるそうです。)
 「東宮府」は、亀戸天神の別称です。(以前のブログで話をしましたので、今回は省略します。)

 下の写真は曳牛です。天神様(菅原道眞)の祭りらしさを感じさせる一つと言えます。午前中は行列で見なかったのですが、午後から行列に加わりました。

【天神様と牛】
 天神様(菅原道眞)と「牛」には色々な伝説が伝わっています。全国の天神様の神社では、神の使いとして「神牛」として扱われています。
 例えば、「道眞が亡くなり、葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所となった。そして、その場所に社殿を建立し、御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源となった。」
 亀戸天神にも神牛(しんぎゅう)座像があります。神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得ると云われています。
 (もっとも、米を経済・国力の基本とする江戸時代においては、牛馬は農耕に必要不可欠な存在であり、大事にされてきました。「すき焼き」のように牛肉を食べるようになったのは、明治時代からですが・・・)

 氏子総代や神職の後ろに「曳太鼓山車(だし)」が続きます。
(絵画調)

 曳太鼓は、天神様の御来訪を氏子町内に知らせる為の物です。

 亀戸天神の「御鳳輦渡御祭」は、江戸時代に記された祭礼絵巻に基づき復元されたものだそうです。
 下は、「天神まつり」のパンフレットにあった「祭礼絵巻」高島千春(江戸時代後期の画家)筆の一部です。

 並べた写真は行列の途中が所々抜けていますが、とりあえず話を進めます。

 この祭りにも、天狗(てんぐ)のような赤顔・鼻高の顔をした猿田彦(サルタヒコ)がいました!
(絵画調)

 後ろに榊(さかき、先端がとがった枝先は神が降りるヨリシロとされる)、社名旗、四神旗(左から青龍・白虎・玄武)が続きます。

 獅子頭山車です。亀戸天神の獅子頭(ししがしら)は大きいです!
(絵画調)

 獅子は魔よけの霊獣として、渡御のお守り役の存在になります。

 左端から、白幣(白い御幣(ごへい))、市女笠(いちめがさ) 、騎馬神職、風流傘と続きます。
(絵画調)

 市女笠は、平安時代の貴族の女性が外出する際にかぶっていた笠で、真ん中の部分が高く作られています。笠には顔を隠す為の布がかけられていますが、虫除けの役割もしています。

 風流傘の後ろに、弓、胡禄(やなぐい、弓矢を入れる容器)、翳(さしば・さしは、紫色の絵の長いうちわ)、随身(ずいじん、ずいしん)が続きます。
(絵画調)

 随身は、平安時代において、貴族が外出時する時に守りを固める警護官でしたが、神道においては、神を守る者とし安置される随身姿の像を指します。神社の門の両脇に「随身」を安置した「随身門」のある神社もあります。

 そして、天神様の乗り物である鳳輦(ほうれん)です。通常の神社の鳳輦は、鳳凰の飾りのついた神輿(みこし)ですが、牛車の形をした鳳輦は珍しく、東京都内では亀戸天神のみだそうです。

 後ろには、楯(たて)、翳(白い柄の長い団扇)、オレンジ色の梅の模様のついた花傘と続きます。
 午後は、この鳳輦の前に曳牛(神牛)がいましたが、午前中に撮影した写真ですので、牛はいません。
 江戸時代の「祭礼絵巻」にも牛車の絵が描かれています。
 下は、「天神まつり」のパンフレットにあった「祭礼絵巻」高島千春(江戸時代後期の画家)筆の一部です。


 最後は、宮司馬車(ぐうじばしゃ)です。御者つきの立派なレトロ風の乗り物です!

 でも、さすがに、馬車は江戸時代の絵巻にはありませんでした・・・・・・・
 (江戸時代以前の中世にも牛車はありましたが、馬車は明治時代になるまで日本に存在していなかったそうです。
  馬は日本中央競馬会の協力とのこと、同じ輸送車に牛も乗っていました。)

 亀戸天神の行列は、江戸時代の火消しや鳶職(とびしょく)が歌った江戸木遣り唄(きやりうた)や、厳かな囃子(はやし)の音が聞こえる中、東京下町の雰囲気が残る町を行く行列の姿が、江戸時代から続く伝統を今に伝えています。
 今年・平成26年8月23日に行われた時の御鳳輦渡御の巡行図です。(天神まつりのパンフレットより)

 氏子さんの町内を天神様が巡行することになるので、巡行ルートが氏子エリアになるはずなので、ルートから二十数地域と呼ばれる亀戸天神の氏子領域を予想してみると、以下のようになります。
 (ただし、亀戸の天祖神社や香取神社、墨田区の牛嶋神社と氏子領域が混在したり、両社の氏子の所もあります。)
 江東区 亀戸(かめいど)1~3丁目
 墨田区 太平(たいへい)3~4丁目、錦糸(きんし)1~4丁目、江東橋(こうとうばし)1~5丁目、
       緑(みどり)1~4丁目、両国(りょうごく)1~4丁目、千歳(ちとせ)1~3丁目、
       立川(たてかわ)1~4丁目、菊川(きくかわ)1~3丁目
 (巡行図と地図を見て簡単に調べたので、抜けているエリアがあったら、ごめんなさい。)

 こうして並べてみると、江東区亀戸3丁目にある亀戸天神の氏子さんの多くは、墨田区の南側にいるのです!
 しかも、竪川(たてかわ)の隅田川入口付近から、横十間川(よこじゅっけんがわ)のそばにある亀戸天神までの川沿いのルートに氏子さんが集中しています?
 不思議に思ったので、少し「くまドン」は考えてみました。(個人的な思いつきですので、信頼性ありません。念のため)

(1)亀戸天神は江戸時代以前からありましたが小さな神社でした。江戸時代の徳川4代将軍・家綱(いえつな)の時代に、明暦の大火(めいれきのたいか)で江戸の町の大半が焼けてしまい、江戸の町を復興・整理する為に、現在の墨田区南部一帯(当時は本所と呼びました)に多く町屋を移転させました。その鎮守神(ちんじゅがみ、土地を守る神)として、将軍から社地を寄進されたのが、亀戸天神です。
 その当時に江戸の町から移転してきた人達の住んでいた所が氏子さんのエリアになっているようです(例として、元徳稲荷神社のある立川3丁目)。徳川将軍家・幕府の仕事ですから、何も言わずに決定です。
 この時代に錦糸町の付近も、大名や旗本(はたもと)の下屋敷が建ち並ぶ武家屋敷に変わったそうです。
 下は、立川二丁目の町神輿(みこし)です。

 「立川」と書いて「たてかわ」と呼びます。旧字体では「竪川」と書きます。すぐ横を流れる竪川が地名です。
 (留守番の方に聞いて確認しました。ありがとうございました。)

(2)徳川幕府の初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が、行徳(ぎょうとく)の塩を輸送する為に、小名木川(こなきがわ)を開削(かいさく)したのは比較的有名な話ですが、その北に並行に走る竪川(たてかわ)は、小名木川の通行量が増大した為に造られたバイパスルートでした。
 また、南北方向にも横十間川(よこじゅっけんがわ)や大横川(おおよこかわ)が造られ、水上交通が発達した為、隅田川の東側に行く時は日本橋から船で移動することが多かったようです。(この付近は低地のため洪水になることが多く、縦横にはりめぐらせた川は、洪水時に排水路の役目も果たしていました。)
 この為、日本橋から亀戸天神に参拝(観光)に行く江戸の町の人達は船で運河を行くルートが参拝ルートになっていたと考えられます。この付近の町人が住むエリアも川に沿って集中しました。内側には武家屋敷のエリアの為、町人の住める場所は限られていました。
 結果的に竪川から横十間川の近くにある亀戸天神までの川沿いルートが氏子領域となっていったのかもしれません。

 下の写真は、現在の竪川です。川の上には、首都高速7号線が通過しています。

 江戸時代は、川の両側に町屋の地域がありました。
 竪川の西半分は今でも昔の運河が残っています。東半分は埋め立てられて、親水公園になっています。

(3)江戸時代の町家の多い所は亀戸天神までで、その東側には田園地帯が広がり、逆井の渡し口にあった亀戸浅間神社から亀戸天神までの田園風景が観光ルートになっていました。亀戸天神の東側の地域は、明治時代から昭和にかけて人口が増えて発展してきましたので、町としての発展時期にばらつきがあったようです。
 以前、「名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭」の話の中で、亀戸(1~9丁目)には4つの神社(亀戸天神、香取神社、天祖神社、浅間神社)があって、同じ町内でも氏子領域が分かれている話をしました。

 「名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭」の時に使用した地形図を再度載せておきます。
 一応、説明の補足として、地形図(大雑把な位置で、正確ではありません)を載せておきます。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 下の地図の真中を蛇行して流れる太い川が隅田川(当時の荒川)です。右端を蛇行して流れる川が、江戸時代の中川(なかがわ、江戸時代以前の荒川)です。
 赤○で囲ってある所が、広重の名所江戸百景で描かれた「逆井の渡し」と「中川口」です。
 近くにある黄星印付近が亀戸浅間神社、左上の赤星印が亀戸天神ある所です。
 
 地図を見て分かりますように、江戸時代に、現在の江東区の内部に運河が縦横(じゅうおう)に造られました。
 江戸の町の人達は、亀戸方面に行く場合、舟で「逆井の渡し」まで行き、そこから陸路で亀戸浅間神社へ行き、古道を通って、名所江戸百景で描かれた「亀戸天神」や「梅屋敷」、「吾嬬(あづま)の森」に参拝へ行ったわけです。
 北十間川(きたじゅっけんがわ)と横十間川(よこじゅっけんがわ)の合流部が「柳島(やなぎしま)」の所です。
 (この付近の話は、最初の「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」でやりましたので、割愛します。)

 以前のブログは、以下の通りです。
(1)「名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭」
(1)亀戸天神と献灯明の話は、
 「名所江戸百景076 穴守稲荷と亀戸天神の献灯」
 「名所江戸百景016 第65景 亀戸天神境内 藤の花(1)」
 「名所江戸百景017 第65景 亀戸天神境内 藤の花(2)」
 「<速報>名所江戸百景 第65景 亀戸天神境内 藤の花(3)」
 「名所江戸百景164 第30景 亀戸梅屋舗 亀戸天神梅 まつり」
 「<速報>名所江戸百景 第65景 亀戸天神境内 和船でスカイツリーへ」

 「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) 献灯明・薪神楽」
 「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭」 (今回分)
 「名所江戸百景201 亀戸天神の例大祭(3) 御鳳輦渡御祭の続き」 (次回分)

 長くなりましたので、今回は、これで終了とさせていただきます。
 「くまドン旅日記」のブログを見ていただきありがとうございました。

 上でも話しましたように、ちょうどこの時、インターネットの環境を変更していましたので、手違いを思うようにプログの変更もできず、「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) ・・・・」が抜けてしまいました。
 色々考えてみましたが、以下のように変更させていただきます。
・8月に作成した「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) ・・・・」を「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) ・・・・」に変更。
・今回のブログを「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) ・・・」とします。8月の祭りなので、1カ月程度過ぎたら、8月の亀戸天神例大祭のブログの後に移動させます。

 次回は、名所江戸百景の残分か、または、8月の亀戸天神の例大祭の続きのどちらかです。

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