くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

城008 大和郡山城(4) 外堀めぐりコース

2014年09月12日 12時25分26秒 | 訪城記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、奈良県の大和郡山城(やまとこおりやまじょう)の話です。大和郡山城は、豊臣秀長(とよとみひでなが、秀吉の弟)100万石の城として有名です。江戸時代も大和・郡山藩の城でした。
 下の写真は、大和郡山城の追手向櫓の上部です。昭和62年の復元ですが、まだ新しさが残っています。


 さて、前回の続きで、城の東側にある春岳院(しゅんがくいん)から外掘コースに向かって歩きます。
 最初は、良玄禅寺(旧雲幻寺、臨済宗)というお寺です。大和郡山藩の藩主・本多政勝(ほんだまさかつ)の菩提寺でもあります。

 大阪夏の陣で豊臣家が滅ぶと、大阪・京都は幕府直轄地となり、その周辺は徳川一族や普代大名(ふだいだいみょう)で、守りを固めることになります。大和郡山藩も譜代大名が続きます。
 順番に並べると、
(1)水野(みずの)家 6万石、西暦1615年~1619年
(2)松平(まつだいら、奥平)家 12万石、西暦1619年~1639年
(3)本多(ほんだ、忠勝系)家 15万石、西暦1639年~1679年
  本多政勝はこの時の初代藩主です。
(4)松平(藤井)家 12万石、西暦1679年~1685年
(5)本多(ほんだ、忠勝系)家 12万石、西暦1685年~1723年
(6)柳沢(やなぎさわ)家 15万石、西暦1724年~1871年
 江戸時代前半の100年程の間に5回も転封があり、普代の家臣は幕政に関与することが多かったので、柳沢家になる前までは、それほど大和郡山の発展には力を入れて無かったようにみえます。

 良玄禅寺の境内には、文化7年に柳沢家・大和郡山藩の第3代藩主・柳沢保光(柳澤尭山)等によって建立された芭蕉の(初時雨)の句碑があります。
句碑には、「けふはかり人も年よれ初時雨 はせを」と刻まれているそうです。

 お寺の中に入るのを遠慮して寺名の石柱を撮影して行こうとした所、門の中で子供を遊ばせていた奥さんらしき方が、親切にも「どうぞ」と案内していただき、下の写真を撮影することができました。ありがとうございます。

 さらに、東に進んでいくと、東側の外堀跡に出る事ができました。ここから南に進みます。

 大和郡山城の外堀を利用した「外堀緑地」の入口に北門があります。

 説明板です。北門は、冠木門(かぶきもん)をイメージして造られたそうです。

 外堀沿いに白い塀が続きます。

 下の地図のように、外堀沿いに整備されています。

 郡山名物の金魚や鯉も泳いでいます。
(絵画調)


 外堀公園の最後近くで、寺社の多い道に入ります。薬園八幡神社(やくおんはちまんじんじゃ)の神門です。

 薬園八幡神社は、薬園村の鎮守(ちんじゅ、土地を守る為の神様)でしたが、現在の場所に移転したと伝わります。地元では「やこうさん」と呼ばれるそうです。


 さらに進むと、洞泉寺町(とうせんじちょう)という場所にでます。
(絵画調)

 格子窓の古い建物が建ち並ぶ所です。とくに格子窓の木造三階建ての建物は珍しい雰囲気です。

 薬園八幡神社から洞泉寺町の通りには、お寺が多くあります。
 近くには源九郎稲荷神社という神社もあります。白狐の伝説があり、「白狐渡御」の行事が行われる神社です。


 近鉄郡山駅の近くに、お城型の交番があるというので、ついでに寄ってみました。


 ここから先は外堀はすでになく、外堀跡の道路などを歩く事になります。時間も無くなってきたので、最後に豊臣秀長の墓である「大納言塚」を見て帰る事にしました。

 下の写真は、城の南側にある豊臣秀長(朝廷の官位は権大納言)の墓です。「大納言塚」と呼ばれています。

 現在、墓は大和郡山市の所有になっています。なぜか、多くのドングリが置かれていました?
 説明板にあった豊臣秀長像も、もう一度載せておきます。

 この後、朝見た柳沢家の菩提寺「永慶寺」の前を通り過ぎて、大和郡山城に戻りました。

 この外掘コースですが、大和郡山城の大きさは実感できますが、ともかく長いです。
 外堀コースは城の北側にある金魚池(外堀の一部)を歩く所が、一番お勧めのコースですが、
 駅前にレンタサイクルがあるので、借りて回る予定でしたが、年末なので休みでした。
 予定したコースの半分も回れず、残念でした。
 その他にも、城の外堀跡の南側に少し離れた所に大きな金魚池が一杯あるので、金魚の町らしさを感じられる所です。大和郡山の金魚の養殖産業は、柳沢家が大和郡山に転封になる時に、持ち込まれた金魚が藩の産業にまで発展した結果です。

 東京で「正月の初日の出」を撮影する予定でしたので、午後2時がタイムリミットでした。
 車で大和郡山城を出発し、やっと、東京に到着したのは、夜の10時過ぎです。
 ちょうど、大晦日の「王子の狐」の行列が年越しの挨拶をしている時間帯でしたが、
 前年は寝不足で朝早く起きられなかったのので、簡単に荷物の整理して、すぐに就寝・・・・・・・
 そして、初日の出一つに絞って、平成26年の元旦の初日の出撮影に成功しました。


 前回までのブログは、ブログ右欄の「カテゴリーアーカイブ」にある「訪城記」をクリックすると、過去のお城周りのブログ一覧が表示されます。
(1)奈良県の城の過去のブログは、
 「城004 雪の高取城(1) (奈良県・百名城61番、日本三大山城)」
 「城004 雪の高取城(2) (奈良県・百名城61番、日本三大山城)」
 「城004 雪の高取城(3) (奈良県・百名城61番、日本三大山城)」

 「城005 奈良県の織田家 柳本藩(1) 橿原神宮の文華殿」
 「城005 奈良県の織田家 柳本藩(2) 黒塚古墳」
 「城005 奈良県の織田家 芝村藩 織田小学校・慶田寺」
 「城005 奈良県の織田家 織田信雄の宇陀松山城(山城、陣屋)」

 「城008 大和郡山城(1) 羽柴秀長100万石の城」
 「城008 大和郡山城(2) 柳沢家・大和郡山藩15万石」
 「城008 大和郡山城(3) 三重の掘、秀長の菩提寺」
 「城008 大和郡山城(4) 外堀めぐりコース」 (今回分です)

(2)名所江戸百景の大晦日の「王子の狐」と初日の出話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景134 第118景 王子装束ゑの木大晦日の狐火 王子の狐」
 「名所江戸百景135 第81景 高輪うしまち レインボーブリッジ 初日の出」

 最後に、「ごまさん」へ、奈良県の城が2月の高取城から作り始めて、最後の城が9月になってしまいました。
 この間に色々ありましたが、「ごま姫ちゃん」や「くろちゃん」、そして、ご家族の方といつまでも仲良く、お元気でいてください。何度も、ご訪問していただき、そして、コメントありがとうございました。

 今回は、これで終了とさせていただきます。
 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。

 これで、大和郡山城の話は終わりです。
 テスト的に、「城007 秀吉の但馬攻め」と「城008 大和郡山城」を並行して進めてみましたが、
 後で見ると分かりにくくなると思いますので、しばらくしましたら、番号整列の為、順番を入れ替えます。
 次回からは、名所江戸百景の残分を進めて行きたいと思います。
 さすがに息切れしてますので、今後は、かなりスローペースになると思いますが・・・

 ここまでのブログの大半が、8月半ば頃にできていたので、途中でミスもありましたが、ほとんど自動更新でした。
 8月の終わりごろから、インターネット作業環境の環境更新と仕事・旅行・撮影、その他雑用で、ほとんど、インターネットに入れませんでした(この状況は、まだ続いているのですが)。
 皆さまのブログに訪問できませんでしたが、少しずつ、復帰していきたいと思います。

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