JR吾妻線・万座鹿沢の吾妻川沿いで思いがけない桜見物のあと、国道144号線を西へ大笹神社に向かいました。
四月末、万座鹿沢にて
浅間なる ふもとは今に さくらかな
四月末、大笹を通過せんと、芭蕉の句碑に立ち寄る
ひばり啼く なかの拍子や ほととぎす
大笹神社の乾燥した石碑の句は荒れ、鳥の音は聞けずが、
ひばりなかず 里はしゃくなげ さくらかな

この神社に芭蕉が立ち寄った標として句碑(嘉永6年(1856年)地元俳諧衆(竹烟ほか)によって建立)があります。
雲雀啼 なかの拍子や きじの声
句の意味は「雲雀の細い声に拍子をとるかのように甲高い雉の声がきこえる」元禄3年(1690)の作、句集『猿蓑』(元禄4年、1691)所収。
1690年に芭蕉は江戸から大笹にやって来たのか、鳥居峠から大笹経由で江戸に帰る途中にこの地に立ち寄ったのかというのは分かりませんが・・。

神社の南側の日当たりがいいところに吾妻石楠花が咲いてました。

すみれ

四月末、万座鹿沢にて
浅間なる ふもとは今に さくらかな
四月末、大笹を通過せんと、芭蕉の句碑に立ち寄る
ひばり啼く なかの拍子や ほととぎす
大笹神社の乾燥した石碑の句は荒れ、鳥の音は聞けずが、
ひばりなかず 里はしゃくなげ さくらかな

この神社に芭蕉が立ち寄った標として句碑(嘉永6年(1856年)地元俳諧衆(竹烟ほか)によって建立)があります。
雲雀啼 なかの拍子や きじの声
句の意味は「雲雀の細い声に拍子をとるかのように甲高い雉の声がきこえる」元禄3年(1690)の作、句集『猿蓑』(元禄4年、1691)所収。
1690年に芭蕉は江戸から大笹にやって来たのか、鳥居峠から大笹経由で江戸に帰る途中にこの地に立ち寄ったのかというのは分かりませんが・・。

神社の南側の日当たりがいいところに吾妻石楠花が咲いてました。

すみれ

