友人からのメールに「東京国立博物館の「薬師寺展」を鑑賞して平成館を出ると、万燈供養会が再現されていて感激だったわ、18・25日の金曜日にもやるようですよ。どうですか?」
金曜日は行かれないわ、と諦めていましたが、今年度は金曜に仕事が入らないことになったので、昨日「薬師寺展」に夫を引っ張って行きました。しかし、夫は夕方用事があったので、「7時半までに博物館に入ればいいだろう」・・・ハラハラ・・・どうやら午後7時20分くらいに入場できました。
日光・月光菩薩像の制作年代は7世紀末または8世紀初期と、説明の掲示がありました。
ちょっと解説
7世紀末(白鳳文化・藤原京【本薬師寺】)
8世紀初期(奈良時代初期・平城京【平城京遷都のとき本薬師寺も西ノ京にお引越して薬師寺となった】)
(以下は素人のたわごとだとお読みください)
夫「どっちだと思う」
私「難しいわね」
夫「こんなに腰をひねっていたのか」
私「今回の薬師寺展のポスターは菩薩だけなので、ひねりが目立つわね」
夫「やっぱり唐の影響が強いようだね」
私「腰のひねりはグプタ朝のヒンドゥー美術の影響かな」
夫「7世紀か」
私「7世紀前半はハルシャ・バルダナ朝よ。グプタ朝は4世紀~6世紀よ」
夫「奈良時代も初期でなくもう少しあとのような気がするな」
私「でも、大仏以降ってことはないわよ。大仏以降は金銅仏はないもの」
夫「大仏と同じ頃かも」
夫「建物と仏像と、どっちが先に出来たのかな
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私「藤原京造営と現在残る薬師三尊像のような立派な仏像を作る力があったのかな」
・ ・・・・
午後8時の閉門ぎりぎりで外に出ると、燈籠の明かりが次々に消え、片付けが始まっていました。二人連れのご夫人が変わりばんこに燈籠を背景に撮影していましたので、
夫は「撮りましょうか」
ご婦人の一人が「ココ押してください」
(夫はファインダーのないデジカメは苦手なので私は内心、きれいに撮れるかなと心配)
ふとご婦人の方を見ると横に薬師寺の執事長さんが写真におさまろうとしていました。私は、ここに居るはずがない執事長さんにビックリ
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執事長さん「今、奈良から着いたところです」
(執事長さんはご婦人方の人気者なのだ)
片付けが忙しそうだったので、失礼して帰ってきました。
※万燈供養会について、薬師寺HPを引用します。
毎年玄奘三蔵会大祭の日の日没後は玄奘三蔵院伽藍一面に設置された灯篭に火が灯され万燈供養が行なわれています。 お釈迦さまは涅槃に入られる前に、嘆き悲しむ弟子達に向かって「自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と最後の法を説かれました。燈明は法を求める人によって点ぜられます。玄奘三蔵は法燈を求め、また自らの燈明をも灯し続けられました。そして、その法燈は中国から日本にまで伝えられました。 5月5日夕刻6時頃に皆様の心の燈明を一斉に献じて頂き、玄奘三蔵の法燈を広めたいと存じます。
薬師寺展入場前、午後7時20分ごろ撮影
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