2006年7月17雨時々曇り
現在『バルトの楽園』が上映されていますね。
私は昨年の2月に鳴門のドイツ館を訪れました。
きっかけはイラク攻撃をしている米英がアブグレイブ収容所で、
人権を無視するひどい行為の映像が報道されましたので、
第一次世界大戦の捕虜収容所跡を見学したくなりました。
日本は第一次世界大戦時に、日英同盟を結んでいたので、
連合国側としてドイツに宣戦布告しました。当時ドイツは
中国の山東半島のチンタオをアジアの軍事拠点にしていましたので、
日本軍はチンタオのドイツ軍を攻撃し、勝利しました。
そのためドイツ兵の捕虜を日本各地に収容しました。その一つが鳴門の
坂東俘虜収容所だったのです。戦争が終わるまでの
2年余りの収容所生活でのドイツ兵は坂東の人々にさまざまな技術などを
教えることによって、交流が深まり、『ドイツさん』と呼ばれていたようです。
その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と戦争状況の中で、
収容所のことは忘れ去られていたようですが、
1970年代に、収容所跡地にドイツ館ができました。
という訳で、映画『バルトの楽園』は観なければと、
丸の内東映に出かけました。映画はドイツ兵の2年余りの収容所生活
をテーマにしたもので、収容所の所長さんに焦点を合わせ、
若いドイツ兵が故郷ののお母さんに手紙で境遇を知らせるという展開でした。
元会津藩士を父とする、坂東俘虜収容所の所長松江は敗者の気持ちを尊重し、
ドイツ人にとってよい所長さんだったことを強調していましたが、
この話を始めて知った人には少々分かりづらかったのではないかしらと思いました。
所長さんが流暢なドイツ語を話したと言うことは、脚色でしょうか
ドイツ兵の土木技術の指導などの場面があると、
説得力のある作品になったのではないかと思います。
所長さんがドイツ橋を渡る場面でカメラが止まりましたが、
説明無しでは、橋を作る技術をドイツ兵から伝授されたということは
わからないような気がしました。
十分に書けませんでしたので、私の旅行記のページを読んでいただけたら
嬉しいです。クリックしてください、とびま~す
現在『バルトの楽園』が上映されていますね。
私は昨年の2月に鳴門のドイツ館を訪れました。
きっかけはイラク攻撃をしている米英がアブグレイブ収容所で、
人権を無視するひどい行為の映像が報道されましたので、
第一次世界大戦の捕虜収容所跡を見学したくなりました。
日本は第一次世界大戦時に、日英同盟を結んでいたので、
連合国側としてドイツに宣戦布告しました。当時ドイツは
中国の山東半島のチンタオをアジアの軍事拠点にしていましたので、
日本軍はチンタオのドイツ軍を攻撃し、勝利しました。
そのためドイツ兵の捕虜を日本各地に収容しました。その一つが鳴門の
坂東俘虜収容所だったのです。戦争が終わるまでの
2年余りの収容所生活でのドイツ兵は坂東の人々にさまざまな技術などを
教えることによって、交流が深まり、『ドイツさん』と呼ばれていたようです。
その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と戦争状況の中で、
収容所のことは忘れ去られていたようですが、
1970年代に、収容所跡地にドイツ館ができました。
という訳で、映画『バルトの楽園』は観なければと、
丸の内東映に出かけました。映画はドイツ兵の2年余りの収容所生活
をテーマにしたもので、収容所の所長さんに焦点を合わせ、
若いドイツ兵が故郷ののお母さんに手紙で境遇を知らせるという展開でした。
元会津藩士を父とする、坂東俘虜収容所の所長松江は敗者の気持ちを尊重し、
ドイツ人にとってよい所長さんだったことを強調していましたが、
この話を始めて知った人には少々分かりづらかったのではないかしらと思いました。
所長さんが流暢なドイツ語を話したと言うことは、脚色でしょうか

ドイツ兵の土木技術の指導などの場面があると、
説得力のある作品になったのではないかと思います。
所長さんがドイツ橋を渡る場面でカメラが止まりましたが、
説明無しでは、橋を作る技術をドイツ兵から伝授されたということは
わからないような気がしました。
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