K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

ひめゆり

2007年7月12日(木)曇り時々雨

長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観てきました。   ポレポレ東中野
  
沖縄に関しては本腰を入れて勉強しなければと思っていましたが、日々の生活に追われてチャンスがありませんでした、が、2002年春に沖縄観光のプレゼンテーション用のパワーポイントのファイル作成の機会に恵まれました。マリンスポーツや自然も取り入れましたが、メインは沖縄戦と基地問題を取り上げました。沖縄に関する書籍やWebサイトを駆使して200枚弱のスライドのファイルを作りました。プレゼンテーションの所要時間は2時間弱くらいです。当時の私はWindowsのWordを使い始めたころだったので、画像処理も分からないままにPower Pointに取り組んでしまいましたので苦労して完成させました。そのような次第で、沖縄戦に関しては一通り理解していたつもりでしたが、長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」で生存者22名が語る証言に、私の知る沖縄戦は表面だけのものだったのだ・・・。
従軍看護になった女学生は腕を切断する手術の手伝いの時に、切り取った腕をゴミ箱に捨てるように言いつけられて、ガマの外へ腕を持って出ると、出会った兵士からすごいことをしていると云われ、従軍から1ヶ月、自分の精神状態の変化に愕然とした話。
ガマ(病院として使われている)の出口で砲弾にあい、一緒にいた友人を見失ったので、探し回ると向こう側の壁に吹き飛ばされて死んでいた。
自分だけが生き残ってしまって苦しい思いの日々を過ごした。
6月18日に突然の解散命令に、自由だといわれても、アメリカ軍に囲まれ、どうしていいのか分からない・・・。
沖縄本島南端に追いつめられ、アメリカの捕虜になり辱めをうけるよりは死にたい。手りゅう弾もないのでどのように死のうかと、針を呑もうか・・・「手りゅう弾をもっていなかったので、死なないでよかったと」
(生存者の体験談は私が書くと薄っぺらなものになってしまいます。是非、ご覧になってください)
アメリカの砲弾で死んだ人々
火炎放射器で死んだ人々
集団自決で死んだ人々
・・・・・・・・・・・・
極限状態の中で20万余の日本人が沖縄戦で犠牲者となりました。
日本軍の集団自決指示の資料がないから、旧日本軍は沖縄住民に集団自決を迫らなかった。と言うような枝葉末節的なことではなく、日本人、アジア諸国人、ヨーロッパ人を悲しい目にあわせた戦争を日本の指導者が起こしてしまって、終らせることができなかったということを真正面から検証する責務が日本人にはあると思います。

ひめゆり学徒の犠牲者は211名、極僅か生存者がいます。この映画を観て、生存者がいてよかったと、「生存者のみなさま、語り続けてください」
この映画を観ることによって、戦争に巻き込まれるとさまざまな悲しい目に、取り返しのつかないことが起こるのだということを戦争体験のない人々にも迫ってきます。

来年春にPower pointのファイル「ハイサイ沖縄」の5回目の更新をします。ひめゆり学徒の生存者の気持ちを伝えられるものにしたいです。
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