「小池百合子都知事の目は、本当に垂れているのか?」
小池都知事の似顔絵は、面白いことを示唆してくれます。
写真を見て、「写実的な見方」で描いてみました。
意外と垂れていません。
だから垂れ目に描く必要はない・・・というわけでもないです。
今度は、「写実的な見方」ではなく、「単純な記号的な見方」で描いてみました。
単純化した見方、記号的な見方だと、垂れて描かないと似ていないと感じます。
これが似顔絵なのです!!!・・・・というわけでもありません。
この記号的な見方で、さらに写実的に描いてみます。
記号的な見方のものを、(写実的な見方をもって)写実的な表現で描いてみました。
垂れ目で、かつ写実よりな似顔絵が描けました。
実際に写実的に描けるか、描けないかは別として、「写実的な見方」で描くと、
デフォルメ・誇張するのは、(私の経験として)難しいと思います。
これは、何を意味しているかというと、
「写実的に描ける練習をしても、デフォルメ・誇張ができるようにはならない可能性が高い」
ということです。
デフォルメ・誇張ができるようになるには、「記号的な見方」=「パーツの配置や角度、大きさをとらえる見方」
が必要です。
「写実よりの誇張された似顔絵」を描きたい方は、「写実的に描ける練習」のほかに、「記号的に似せる練習」が必要になります。
もちろん、写実的なものも似顔絵ですし、記号的なものも似顔絵です。
そして写実よりの記号的な似顔絵もアリです。
「似顔絵は、絵の上手さとは関係ない」
といわれる理由は、
「写実的な見方で、写実的に描ける必要はない」
ということなのかもしれません。
「必要がない」というだけで、写実的に描いても一向にかまわないです。
【注意】最初から「自分独自の見方」を持っている、才能のある方もいます。
【追記】
おそらく、みなが自分独自の見方を持っている可能性は十分にあります。
けれど、社会化されていくうちに、共通の認識を求められることが多くなり、独自の見方が弱まってしまうのかもしれませんね。
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写真を見て、「写実的な見方」で描いてみました。
意外と垂れていません。
だから垂れ目に描く必要はない・・・というわけでもないです。
今度は、「写実的な見方」ではなく、「単純な記号的な見方」で描いてみました。
単純化した見方、記号的な見方だと、垂れて描かないと似ていないと感じます。
これが似顔絵なのです!!!・・・・というわけでもありません。
この記号的な見方で、さらに写実的に描いてみます。
記号的な見方のものを、(写実的な見方をもって)写実的な表現で描いてみました。
垂れ目で、かつ写実よりな似顔絵が描けました。
実際に写実的に描けるか、描けないかは別として、「写実的な見方」で描くと、
デフォルメ・誇張するのは、(私の経験として)難しいと思います。
これは、何を意味しているかというと、
「写実的に描ける練習をしても、デフォルメ・誇張ができるようにはならない可能性が高い」
ということです。
デフォルメ・誇張ができるようになるには、「記号的な見方」=「パーツの配置や角度、大きさをとらえる見方」
が必要です。
「写実よりの誇張された似顔絵」を描きたい方は、「写実的に描ける練習」のほかに、「記号的に似せる練習」が必要になります。
もちろん、写実的なものも似顔絵ですし、記号的なものも似顔絵です。
そして写実よりの記号的な似顔絵もアリです。
「似顔絵は、絵の上手さとは関係ない」
といわれる理由は、
「写実的な見方で、写実的に描ける必要はない」
ということなのかもしれません。
「必要がない」というだけで、写実的に描いても一向にかまわないです。
【注意】最初から「自分独自の見方」を持っている、才能のある方もいます。
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おそらく、みなが自分独自の見方を持っている可能性は十分にあります。
けれど、社会化されていくうちに、共通の認識を求められることが多くなり、独自の見方が弱まってしまうのかもしれませんね。
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「自分の絵に飽きている」
「どうして自分の画風をコロコロと変えるのか」の答えで、これが一番しっくりきます。
自分の今の画風がつまらなくて嫌になる。
だから常に新しい画風を模索する。
常に自分の絵に飽きている。
たまに「似顔絵」からも脱線する。
結果的に、似顔絵というものの、価値は高められないかもしれませんが、概念を広げられればと思っています。
モデル:片岡愛之助
コンセプト:ジキルとハイド似顔絵。対立する印象を一人として描いてみました。
とある方から、「似顔絵は、見たまま描くのではなくて、印象を描くものなんですよね?」
と言われて、私は困ってしまいました。
私には正解も間違いもなくて、全てが相対的な空間に見えていて、まだ見えていない空間の似顔絵を創作するのが楽しい・気持ちいいのです。
また、すぐに飽きてしまうのですが・・・。
先ほどの答えですが、
「印象」を描いても、描かなくても似顔絵は成立すると思います。
「ちょいとワル」や「美化」のように逆の印象を与えてもいい。
それで、一人に二つの印象を与えるアイデアが浮かびました。
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「どうして自分の画風をコロコロと変えるのか」の答えで、これが一番しっくりきます。
自分の今の画風がつまらなくて嫌になる。
だから常に新しい画風を模索する。
常に自分の絵に飽きている。
たまに「似顔絵」からも脱線する。
結果的に、似顔絵というものの、価値は高められないかもしれませんが、概念を広げられればと思っています。
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とある方から、「似顔絵は、見たまま描くのではなくて、印象を描くものなんですよね?」
と言われて、私は困ってしまいました。
私には正解も間違いもなくて、全てが相対的な空間に見えていて、まだ見えていない空間の似顔絵を創作するのが楽しい・気持ちいいのです。
また、すぐに飽きてしまうのですが・・・。
先ほどの答えですが、
「印象」を描いても、描かなくても似顔絵は成立すると思います。
「ちょいとワル」や「美化」のように逆の印象を与えてもいい。
それで、一人に二つの印象を与えるアイデアが浮かびました。
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阿佐ヶ谷区民センターのグループ展が終了しました。
私は、フィギュアスケートのレジェンドたちを描きました。
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