爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

平泉中尊寺金色堂のミイラ

2021-06-13 22:41:03 | 日記
約1000年前の平安後期、平泉は京都に次いで栄えた都市だった。

ここ岩手県南西部には、奥州藤原氏が多くの仏教建築を建て、華やかな仏教文化が花開くのである。

しかし、1337(建武4)年の火災で多くの建物が焼け落ち、現存する当時の建築物は金色堂だけになってしまった。

金色堂はその名の通り、すべてが金箔で覆われた豪華なお堂だ。

1962(昭和37)年から6年かけて改修され、柱から壁、床、軒やお堂の内外全て当時のままの金色に輝いている。

しかし、このお堂にはその豪華な外観以上に、人の心を惹き付けて離さないものがある。

それはご本尊が祀られている須弥壇(しゅみだん)という台の下の棺に収められたミイラ化した遺体だ。

この遺体は、平泉に黄金文化を築いた奥州藤原氏の初代清衡、2代目基衡、3代目秀衡の3人である事が解っている。

しかも、秀衡の遺体の側には4代目の泰衡の首も安置されていて、神聖な場所でありながら、ミステリアスなイメージが拭えないのだ。

だが本来、仏像を安置して礼拝供養する為の寺のお堂に、なぜ遺体が収められたのだろう。

じつは、この金色堂は、死後みずからを祀る為に清衡が建てた墓堂なのだ。

清衡の金への執着は、かなりのものだったとみられ、棺の内外も純金箔で仕上げられている。

仏教では建築物や仏像に金箔を施す事は珍しくないが、ここまで徹底しているのは他に例がない。

栄華を極めた奥州藤原氏は、まばゆいばかりの黄金の中で眠っているのだ。






高野山奥院に空海が

2021-06-13 17:47:11 | 日記
和歌山県と奈良県の県境近くに、標高1000m級の8つ峰に囲まれた天空の里の様な盆地がある。

そこが空海が創設した日本仏教の聖地の高野山である。

ここは仏の浄土であり、一度でも徒歩でお参りすれば、みずからが犯した罪を償えると言われているのだ。

高野山の西側では、真言宗の総本山である金剛峯寺をはじめ、117の寺が立ち並び、そこから東に向かって歩いていくと空海の御廟がある奥院に到着する。

ここが聖地と言われるのは、空海が即身仏となって「生きている」からだ。

即身仏とは、厳しい修行によってみずからをミイラ化した仏様である。

空海は835(承和2)年に瞑想の修行に入り、弟子たちは空海の即身仏を御廟の地下の石室に移したのだ。

それ以降1200年近くにわたり、御廟には朝夕の2回欠かすこと無く、空海の食事である御生身供(ごしょうじんぐ)が運ばれているのである。

そんな霊場と呼ぶに相応しい高野山だが、寺院の合間には学校や観光センターなどもあり、決して敷居は高くない所なのだ。

しかし、2013(平成25)年に発覚した資産運用スキャンダルは世間を騒がせた。

賽銭やお布施などの一部を金融商品で運用し、6億8000万円もの損失を出したのだ。

それによって宗派の議会にあたる宗会が解散するという事態にまで発展した。

生前と同じように空海に仕える僧侶と、マネーゲームに走る僧侶…。
高野山はそのギャップの狭間にある。

まさに、究極の「聖俗空間」といえるのかも知れない。

即身仏の空海は、このような事態をどう感じているのだろうか。











ミシュランから三ツ星を受けた聖地

2021-06-13 01:24:55 | 日記
標高600m足らずで、手軽に登山を楽しめ、東京都内からのアクセスも簡単な事から、高尾山は人気が高い観光地の一つなのだ。

じつは高尾山は、フランスのミシュラン社により発行される『ミシュランガイド』の最高クラスの三ツ星認定をを受けている。

日本の山で三ツ星の観光地は富士山と高尾山だけである。

富士山は日本一の山として、有名なのは理解出来るが、なぜ高尾山はフランス人からの評価が高いのだろうか。

その理由の一つは、高尾山が古くから人々の信仰を集める、山岳信仰の場だと言う事に有るのかも知れない。

高尾山は「修験道のお山」とも言われ、今でも山中にある琵琶滝と蛇滝では滝に打たれる水行が行われている。

俗世の穢れを清め、山の神聖な霊気を体中に浴びる、絶好のパワースポットなのである。

また、古くから天狗が住むとされる高尾山は天狗信仰の山としても知られ、名所の一つである「たこ杉」にも天狗伝説が残る。

たこ杉は樹齢およそ450年の杉の木だが、土から露出した根があまりにも奇妙にねじれていて、タコの足を連想させる為、その名が付いた様だ。

伝説によれば、その昔、山に住む天狗たちが参拝者の為に、山道を整備し始めた所、途中で四方に根を張る大杉に出くわした為、翌朝に杉を引き抜こうと相談していたのだという。

すると、杉の根がみずからくるくると丸まったとのだという。

こうした怪異な伝説も、霊験あらたかなる高尾山中では、あながち作り話ではないと思えるのだ。

日本の神秘に惹かれる外国人の目には、より謎の多い神聖な山と映るに違いないのかも知れない。