爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

出雲大社には戦いの歴史が

2021-06-11 22:14:18 | 日記
日本中の神々が集まる所、出雲のシンボルといえば、やはり出雲大社だろう。

日本有数の大きな神社で、毎年多くの参拝者が集まる場所でもある。

神社というと、穏やかで静かというイメージがあるが、この出雲大社には、そのイメージをくつがえす様な話があるのだ。

出雲大社のルーツは、高天原が日本列島の支配権を大国主命(おおくにぬしのみこと)から譲り受けるという「国譲り神話」にある。

『古事記』によれば、古代の日本を作って統治していたのは、大国主命である。

そこへ天照大神(あまてらすおおみかみ)を中心とする高天原勢が、さまざまな使者を送り込み、国譲りを要求して来たのだ。

すると大国主命は「支配権を譲る代わりに、自分の住まいを立派な神殿にして欲しい」と交換条件を出してきた。

そうして建てられた神殿こそが、出雲大社なのである。

もちろんこの話は神話だが、じつはその陰にはある史実が隠されている。

大和朝廷による出雲征服だ。

その昔、日本統一を目論んだ朝廷は、地方の豪族や土着勢力と戦いを繰り返しながら、支配を広げていった。

とりわけ、銅や鉄の産地であり、国家としても立派に機能していた出雲は、朝廷にとって格別な場所だった。

そこで、どうしても出雲を支配下に置きたい朝廷側は戦争を仕掛け、やがて征服を進めていく。

国譲り神話は、この歴史を暗示したものではないかと、言われている。

しかし、神話の成立時期や神社の創建時期も含め、真相は知る由もない。

これらの謎が解ける日は、まだまだ先の事になりそうだ。




 



学問の神は昔の怨霊

2021-06-11 14:41:43 | 日記
受験時期になると、受験生で込み合う太宰府天満宮だが。

全国に12,000ある天満宮の総本山である。

祭神は天神すなわち菅原道真(すがわらみちざね)で、学問にご利益がある事から全国から参拝者が訪れ、一年中賑わいをみせている。

今でこそ学問の神様として知られる道真公だが、その昔は祟りを起こす怨霊として世の中を震撼させていたと言うから驚く。

道真は都で右大臣の要職に就いていた頃、敵対する藤原時平の陰謀で降格の憂き目にあい、太宰府に流れてきた。

そして、そのまま都に戻ることなく、この地で世を去った。

903年(延喜3)のことである。

道真の遺体を運ぶ牛が、おろむろに歩みを止めたのが、現在の天満宮がある場所で、これが道真の遺志とばかりにそこに埋葬された。

ところが道真の死後、都では恐ろしい出来事が続発する。

その筆頭は、道真を陥れて失脚させた時平の死だ。

病に倒れた時平を僧侶が祈祷すると、突然時平の両耳から道真の怨霊が現れた。

そして、その怨霊が強制的に祈祷を中断させると、時平は絶命したという。

ほかにも時平の甥や孫、道真の後任の右大臣などが次々と謎の死を遂げた。

また、都では洪水や火事が相次ぎ、極めつけは天皇の住まいでもある清涼殿に落雷し、時平の陰謀に手を貸した藤原清貴ら多くの貴族が焼死したのである。

この落雷事件によって雷神と道真の祟りが結びつき、天神信仰が始まった。

つまり太宰府天満宮は、道真の祟り封じの象徴なのである。