爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

「常識」を疑ってみる

2022-04-28 11:39:28 | 日記
ある日に子貢という弟子が、孔子にこんな質問をした。

「郷人皆之を好せば如何」と。

郷人とは、今日で言えば市民とか国民と言う事になろう。

市民や国民が、これは良い事だと好んでいるものは、良いと言えるのでしょうかと、いう質問だ。

孔子は「未だ可ならざるなり」と答えた。

皆んなが良いと言ったって、良いとは言えないね…と。

そこで子貢は質問を重ねる。

「郷人之を悪まば如何」と。

市民や国民が、これを悪い事だと嫌っているものは、悪いと言えるのでしょうか。

孔子は、また答える。

「未だ可ならざるなり」と。

皆んなが悪いと言っても、本当に悪いかどうかは、判らないね…と。

今日では、市民や国民の多数の意見とか、世論によって、善悪を決定する。

社会にしっかりした世論というものがなければ、人民の幸福を増大させる事はできない。

それは、良く判っているが、と言っても世論による善悪の考えが、すべて正鵠を射ているかどうかと言う事になると、「そうとは言えない」と孔子は言うのである。

世人から褒められると嬉しいが、けなされると悩んでしまうのは、一方的に世論が正しいと思っているからだ。

生命の根本は同じだが、善悪の考えが違う。

そこが難しい。


 

話をよく聞く

2022-04-19 16:54:10 | 日記
自分の考えをまとめて、要領よく話す事が、皆んなとても上手くなった。

老人も子供も成人も、かつてはまったく考えられないくらい、発表能力が上達したが、自分の考えはよく主張するが、相手の考えを聞く耳を、すっかり失ってはいまいか。

広い知識を得て、自分の考えをまとめる事は、現世を生きる上で必須であろうが、その考えを相手に合わせて、相手の考えを尊重する態度を持たないと、素晴らしい貴方の考えは、いささかも現実化しない。

せっかく苦労して確立した自分の考えが活きないばかりか、返って反感を招き、友を失って孤立する。

「之を約するに礼を以てす」

皆んなが自分の意見をしっかり持つようになったら、お互いに他人のそれぞれの意見を聞き入れる、態度や礼節を養わないと、明るく幸福な世の中にはならない。

自分の意見だけが正しいのではないことを、心に銘記すべきである。

お互いに自己の考えを確立すればするほど、謙譲の礼を失っては困る。

「之を約するに礼を以てす」の「之」とは、自分が修行で得た事や、学問をして身につけた事をさす。

自分が身につけた事で、世の中の役に立てようとしても、他人の意見に耳を貸さず、ただ無礼に威張った態度をしていたのでは、せっかく習得した知恵を活用する事ができないだろう。

人を敬し、思いやり謙虚に仕事に打ち込んでいると、不思議に他人がよく自分の意見を聞き入れてくれるばかりか、あたりに思いも依らない出会いや運が、ぐるぐる巡ってくるようになる。

 

思い通りにしようと

2022-04-16 21:21:20 | 日記
子供を持っている多くの親達は、自分の子が「宇宙の子」であると言う事が理解出来てない。

「とんでもない。うちの子は、私が産んだのよ。私の子供でしょッ」

まさに、事実その通りであるが、十月十日胎内にいる時に、一本一本の毛をはやし、手と足にツメを着けてくれたのは、誰なのか。

それも、よく思わなくてはいけない。

人間は誰もが、宇宙の生成力によって生まれ、そして死ぬ。

さて、子供が宇宙の子であると言うなら、両親がどういう点に注意しなくては、ならないのであろうか。

自分の子供は決して、自分の思い通りには成長してくれない…と知る事なのだ。

子供には自然から授かった、子供の素性がある。

「人の生くるや直し、之れをなくして生くるや」

いくら自分が産み育てた子だからと言って、自分の思い通りにさせようとするのは、間違いである。

その人の素性に、適正した生き方を応援する事だ。

私はある時に、高校生にこう言った。

「これからは英語だけじゃダメだ。三ヶ国語ぐらい、マスターしなさい」

数年たって同窓会で、ある青年が酒を飲んで、私に食ってかかってきた。

「俺は先生のいう通り、三ヶ国語マスターして就職した。ところがどうだ。

アメリカから帰ってくれば、今度はドイツ、ドイツの任務が終わると、もうすぐフランスへと、日本でまったく生活できずに、世界中をふらふら回されて疲れはてた。

三ヶ国語をマスターして何がいいと言うんだッ」

私も自分の思い通りに教育しようとして、彼の人生にロープを掛けてしまった。







見守る度量を

2022-04-13 18:22:57 | 日記
生きとし生けるもの、微生物に至るまで、全てが大宇宙の生成力(天徳)の表れである。

もしその事を実感しないと、私たちはちっぽけな人間社会の価値観にだけ、振り回されて、心の迷いに囚われる。

両親たちは、殆どが頭のよい子に育てられれば、一番いいと思っている。

では、頭のよい子がいい子てあり、頭のよい子がしっかりした子なのであろうか。

頭のよい子でいい子もいる。

頭のよい子で悪い子もいる。

頭が悪くたって「いい子」は沢山いる。

だから、決して頭のよい子がいい子ではない。

一般に「頭のよい子」と言うのは、学校や塾で教わった事を、しっかりと記憶している子の事だ。

「いい子」とは「生きている尊さ」を知っている子だ。

「勉強しなさい」「あれをしなさい」「これをしなきゃダメ」と言う前に、もう少し宇宙や自然のリズムに合わせて、ゆっくりと、うるさい事は言わず、優しい笑顔で見守ってやる事だ。

楽しい生活をしている内に、いつしか素晴らしい和の能力が、自然発生する。

「真面目に勉強しましょう」これは結構な事だが、「真面目に勉強しなければならない」、これがいけない。

「真面目に勉強しましょう」、そこには友だちと仲よく一緒にね…と言う気持ちがある。

「真面目に勉強しなければならない」、そこにはもう、友だちが入ってくる余地が失くなる。

自然の在り方の基本は、共存共生である。

「仁を知らず、焉(いずく)んぞ佞(ねい)を用いんと」ーー「佞」とは才能。

思いやりの心を知らないで、才能だけで競争をしてはいけないと、孔子は主張する。



親を大切に

2022-04-12 14:50:20 | 日記
もともと、私たちは「仁」の心で生きている。

「仁」の心を生きている。

宇宙の「モノを育て慈しむ」心を生きているのだ。

その「仁」の心は、人が「自分の為」ばかり思っていると、次第に消滅してしまう。

ここが、肝心である。

「仁」の心は広く宇宙に有り、かつ自分にも有るが、自分中心の考えでは隠れてしまうのだ。

これを目覚めさせるには、天空に声を掛けるか、太陽に合掌するか、月を賛美するか、自然の懐に抱かれるか…。

そして、心の底から「ありがとう」と思う事だ。

「親に篤ければ、則ち民仁に興る」

自分に人を思いやり、慈しむ心が生じたら、まず自分の両親や兄弟に、その「仁」の行動を摂る事だ。

その影響を受けて、周りの人に仁愛の心を忘れず接する事だ。

私たちは他の動物と違って、モノを考え文化を持った人間として、二度と無い最愛の命を生きているのだ。

二度と無い最愛の命を生きている人間だからこそ、お互いに敬し、思いやり助け合って、仲よくしてあげないとならない。

それが、日本の伝統の心だ。

利益の辻褄が合わないからと、何十人何百人と首を切ってしまうのは、如何だろうか。

つましきを耐え、助け合って生きて来たのが、日本の伝統ではなかったのか。