爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

沖縄戦の戦火を生き延びた森

2021-08-28 18:41:20 | 日記
沖縄県の首里城のすぐ近くに、琉球王朝時代の面影を色濃く残す首里金城町(しゅりきんじょうちょう)石畳道がある。

その石畳道を進んで行き、少し離れた所にそこだけぽっかりと木々に緑が豊かに残された神秘的な場所にたどり着く。

ここは沖縄独特の信仰における聖域の御嶽(うたき)の一つである「内金城嶽(うちかなぐすくたき)」だ。

境内には「首里金城の大アカギ」と言われる、国の天然記念物に指定された6本の立派なアカギの大木がそびえている。

一番大きなものは樹齢200年を超すと推定され、樹高は約20mもあるという。

この付近でこの様なアカギの大木が茂っているのはここだけで、まるで人里から唐突に森の中に紛れ込んでしまったかの様な、不思議な印象を受ける。

だが、それも当然の事だと言える。

なぜなら、かつて沖縄県内で当たり前に生えていたアカギだが、1945(昭和20)年の沖縄戦の時に、殆どが焼き尽くされてしまったからだ。

首里金城のアカギの森だけは消失を免れたのは、まさに奇跡的な事だった。

その昔に村人がここを通るたびに、ただならぬ霊気に打たれ、琉球王府に願い出た事から拝む場所が置かれて、神々と王府の交流の場所となったと、伝えられているのも頷ける。

古くから聖域とされたこの場所の持つ神秘的な力が、どんなに激しい戦火からもご神木のアカギを守ったのかも知れない。

琉球王国から沖縄への激動の歴史を見つめ続けてきた神の木々は、これからも静かに沖縄を見まもって行くに違いない。




山奥の聖地は磁力ゼロ

2021-08-27 07:37:45 | 日記
長野県の伊那市と大鹿村の境界に「分杭(ぶんぐい)峠」と名付けられた場所がある。

一見すると何の変哲もない、日本のあちこちで見られるただの峠だ。

だが、ここは数年前から「ゼロ磁場」のあるパワースポットとして知られ、今では多くの観光客を集めているのだ。

ゼロ磁場とは、プラス極とマイナス極の磁界が向き合い、磁力が相殺されてゼロ状態になっている場所の事である。

これには日本列島を走っている中央構造線という最大級の断層が関係しており、パワースポットと呼ばれる場所はこの線上にあるものが多い。

専門家によれば、地学的な特徴がいわゆる「気」を発生させているらしく、分杭峠もやはりこの線上に位置している。

過去には中国の著名な気功師がここを
訪れ、かなり強力な気が発生している世界的な「気場」だとお墨付きを与えている。

人によっては何かのエネルギーを感じる様に体がピリピリとするとか、あるいはここにいるだけで妙に心が落ち着くという声も聞く。

こうした自然が発する気の作用が、パワースポットと言われる所以(ゆえん)だ。

また、分杭峠のすぐ傍にある山の山頂では、絶対に聞こえる筈のない南米のラジオ番組が聞こえるという不思議な現象も確認されている。

これについては、分杭峠一帯の上空は電離層(大気上空にある電波を反射する層)に異常があるというのが専門家の見解だ。

やはり、ここには何か未知なるエネルギーが充満しているのかも知れない。




出兵した氏子を守った神社

2021-08-26 06:50:31 | 日記
東京都中央区の、江戸の情緒を残す人形町にほど近い場所に、小網(こあみ)神社がある。

三方をビルに囲まれた狭い場所に有りながら、存在感を放っている神社だ。

それは日本橋地区で、唯一戦火を逃れた伝統的な木造ひのき造りの神社というだけではない。

ここには強運厄除けのパワーが宿っていると、言われているのだ。

現在の小網神社がある場所には、もともと僧侶の住まいである庵があった。

1466(文正元)年、地域に悪疫が流行し、その時かつてこの庵で過ごした網師を稲荷大神として崇めよというお告げがあった。

そこで村を挙げて神社を建て祈願を続けたところ、間もなく平穏が訪れたというのだ。

やがて大正、昭和になって小網神社が強運厄除けの力を宿していると、言われる様になる出来事が重なる様になる。

1923(大正12)年の関東大震災で社殿が倒壊したものの、ご神体を抱えて避難した宮司とともに行動した大勢の人々が、命を落とす事なく助かった。

さらに昭和になり、戦地に出征していく氏子に「強運厄除け守」を授けたところ、お守りを持って出征した者が全員生還したというのだ。

また、東京大空襲でも境内の建物は火災を逃れている。

この様な出来事によって、ますます小網神社の強運パワーに注目が集まる様になったのだ。

現在でも「強運厄除け」「商売繁昌」「合格祈願」を願い、そのパワーにあやかろうとする人の姿が途絶える事はない。





国道沿いに入れない森

2021-08-24 16:45:23 | 日記
千葉県市川市の本八幡駅から歩いて数分の場所には、足を踏み入れれば二度と出てこられないと古くから畏れられている場所があるそれが「八幡不知森(やわたしらずもり)」だ。

東京都中央区と千葉市を結ぶ幹線道路である国道14号線沿いに位置し、しかも絶えず人が出入りする市役所の向かいに有りながら不気味に佇む森は、わずか20平方mほどの大きさしかない。

入り口には「不知森(しらずもり)神社」と書かれた鳥居がひっそりと建ち、背後を竹藪(たけやぶ)が覆っている。

江戸時代の古書にはすでに、誰も立ち入る事が出来ない「八幡の藪知らず」として全国的に知られているとの記述がある。

だが、なぜここが立ち入り禁止になったのか、その理由についてはどうもはっきりしない。

有名なのは、平将門にまつわる奇妙な言い伝えだ。

平将門と言えば、平安時代にみずから「新皇」を名乗り、関東地方をはじめとする東国を支配しようと乱を起こした人物である。

この森には、その平将門と対峙していた平定盛が死門(あの世への入り口)を敷いていたと言われているのだ。

さらに、それに関連してか、平将門の家臣6人が平将門の首を守り続け、いつしか泥人形になったという、おぞましい話もある。

森にまつわるエピソードは他にもいくつかあり、本当の所は誰にも判らないが、地元の人たちは今も伸びた竹の枝ですら、むやみに切る事はないという。

住宅地の中に異空間の如く存在する森は、地域住民にとって決して侵してはならない聖域なのである。



聖なる島の女性は巫女に

2021-08-24 02:06:04 | 日記
沖縄本島の南東部にある斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国時代に最高の聖地とされていた場所だ。

そんな斎場御嶽から海を眺めると、一つの島が見える。

周囲がわずか8kmしかない久高(くだか)島だ。

しかし、小さいからと言って侮ってはいけない。

昔から「神の島」と呼ばれるほど、特別な扱いを受けてきた場所なのである。

琉球の神話によれば、アマミキヨという神が最初に降り立ったのがこの島で、ここから大地や人々を創ったのだという。

その為、神々の世界に最も近い島として大切にされてきた。

今も沢山の聖域があり、男性の立ち入りが禁じられている場所も少なくない。

神の島というだけあって、久高島には他では見られない独特の神事も伝わっている。

それがイザイホーである。

これは12年に一度、午(うま)年に行われる祭りで、久高島生まれの30~41歳までの女性がノロになる儀式だ。

ノロとは神事を行う巫女の様な存在である。

祭りは4日間に渡って行われるが、事前の準備を含めれば、ひと月にも及ぶ大イベントだ。

新人のノロは七ヶ所の御嶽を回って霊力を授けて貰ったり、踊りや綱引きをしたりと、様々な儀式をを行う。

島の女性は全てノロになる事が宿命付けられているとは言え、こうした儀式を終えなければノロとしては認めてもらえないのだ。

イザイホーは600年以上も受け継がれてきたというが、近年では過疎化が進み、新しくノロになる女性がいなくなってしまった。

その為に、残念ながら1978(昭和53)年を最後に行われていない。